Healing Discourse

ヒーリング随感 [第17回] 頭寒足熱

◎最近街中を歩いていると、「フットマッサージ」とか「フットケア」などと称する簡易マッサージを謳った店をよく目にするようになった。一体どういうものなのか、どんなことをやっているのか、2年ほど前のことだが、当時ヒーリング・アーツを習いに来ていた人たちに、見聞を広める意味で実体験してみるよう勧めたことがある。
 その後、十数名から報告が届いたが(体験した店はすべて異なる)、特に何の効果も感じなかったというのはまだマシな方で、グリグリ強くねじ込まれて身体に違和感が生じ、2〜3日の間どこか調子が狂ったような感じだったという者が3分の2以上に及んだ。もちろんこれらのデータはあくまで主観的なものであり、わずか十数件の事例をもって、巷間の足マッサージすべてを同列に論じるつもりはない。
 だが、その後あるマッサージ専門家が、「大抵は、施術台から降りた途端に元通りです」、「グイグイやらないと受ける方が納得しない」などと言うのを、直接この耳で聴いた。この業界では珍しくもない話だといわんばかりの調子で、ごく当たり前のように、恥ずかしげもなく口にしていた。改めるつもりもまったくないようだから、その人物と関係者には、爾後ヒーリング・アーツを教えるのをやめた。

◎足(足首から先)全体を柔らかく凝集しながら、頭を丸ごと感じるようにしてみる。足を凝集したりレット・オフしたりを適切なリズムで何度か繰り返していく。すると、足(特に踵)の凝集によって頭が締まり、頭蓋内の圧力が高まってくるのがハッキリわかるだろう。
 こういう状態が長く続いて慢性化することが、脳溢血や脳卒中の一因となるのではあるまいか? これらの病気に倒れた人たちは、私のこれまでの経験によると、皆、足が相当固く締まりっ放しになっていた。

◎足(踵)をヒーリング・タッチで開放する。・・・と、頭骨もじわりと裡より解き放たれ、息づき始める。私は、まるで頭がふいごみたいな働きをして、全身の呼吸を強化するのを感じる。吸いにも吐きにも、息は頭の中を通る。

◎足を締めながら、自己暗示的に無意識のうちに、頭を自分で締めているかもしれない。そして、レット・オフの頃合いを巧みに見計らって、(無意識が)頭を開放しているかもしれない。何となく私の説明に合致しているような感じがしないでもない・・・。
 自己欺瞞に囚われている間は、いつまでたっても本当のところがわからない。何だかちょっと出来たような気がする、もう少し頑張ればたぶん大丈夫だろう、なあに他の連中も大して出来てるわけじゃないはずだ、今日は本調子じゃないから、やる気になって猛練修に打ち込みさえすれば、・・・・・そうやって自分自身を誤魔化し続けているうちに、ハッと気づくと独り荒野に取り残されていて死ぬほど驚く、・・・そんなことになりがちだ。独修者は、常に自らを厳しく戒め続けなければならない。
 上述の術に、わざと頭を(かすかに)締めてレット・オフすることをクロスオーバーすれば、純粋な足からの作用を作為的な凝滞から分離していくことができる。足からの作用は、体の中を伝わってきて、頭の中から働きかけてくる。凝集、拡散(レットオフ)共にそうだ。これに対して作為的凝集・拡散は、体の外で仮想的に動き、作用も部分的だ。

◎不思議に思うのは、現代人は頭に中心があると(否定的な意味で)しばしば言われるのに、こと呼吸に限っては頭を活用している人があまりにも少ないことだ。やれ腹式だ何だのと騒ぎ立て、鼻からいきなり腹の中に息を送り込もうと、大抵の者がしている。
 一度、次のような呼吸法を実験してみてほしい。
 両手で頭にヒーリング・タッチし(熟達につれ、様々な触れ合い方を試す)、両手をそっと凝集させつつ、同時に息を鼻から吐いていく。頭の中の息を柔らかく鼻から絞り出す感じで。
 息を吐ききったら、呼吸のことはそれ以上一切構わず、両手をレット・オフ。そして完全な待機姿勢に入る。身体の外形を変えない。ただし、体を固くさせず、常にリラックス。息を吸おうともしない。
 すると、自分の意志とはまったく無関係に、「息が吸われること」が密やかに、しめやかに起こってくる。そしてその息は、レット・オフに伴い頭蓋内に染み込んで来て、頭を一杯に満たす。これが起こる時、同時に体内へと息が拡がり充ちていく。その息は非常に深くまで届くはずだ。
 吸いが極まったなら、自然にレット・オフが起こって吐きへと転じる。この際も、常に頭の中身を吐き続けることだけを意識すればよい。胴体からの呼気は、頭とシンクロして自然に深く行なわれる。この間、頭に柔らかくヒーリング・タッチし続ける。決して頭を強く押さえつけないように。
 このようにすると、呼吸に合わせて頭が実際に膨らんだり縮んだりするのがありありと実感できるだろう。そして、頭が満たされれば自然に腹の奥深くにまで息が満ち、頭から吐けば腹の奥底深くより自ずから息が吐き出されることもわかるはずだ。私は頭をやわらげて呼吸すると、背骨にまで息が通り始めるのを生理的に感じる。息というよりは、光として内観される。骨盤も活き活きと呼吸している。

◎頭の呼吸を中途半端に抑圧してみる。と、たちどころに体に出入りする息の量が減ってしまう。体が硬くなって息が通わなくなる。
 こういう稽古は、自分1人だけのためにヒーリング・アーツを実践するのであれば不要かもしれない。アンチ・ヒーリング状態をわざわざ人為的に造り出すのは、「できない人」、「わからない人」の立場に立って研究し、いやしの分かち合い(ネットワーク)をさらに拡げていくためだ。

◎頭蓋呼吸をよりトータルなものとするためには、頭の形を両掌で感じ、さらに頭そのもので感じよ。形を感じれば感じるほど、そこに意識と息が通っていく。

◎足裏の中心は、東洋医学の湧泉と合致する。生命の泉が湧き上がるが如く、活きた流動(穏やかな興奮感覚)が大地から脚の裡を上昇してくる・・・湧泉が開かれると、そんな実感が生じ始める。
 ヒーリング・タッチでちょっと触れ合ったくらいでは、湧泉は部分的にしか開かない。しかし、ごく表面的に開くだけでも、いろいろ肯定的変化が起こってくる。例えば、足の中心が活性化されるので、全身的なバランスが良くなる。湧泉への指でのヒーリング・タッチ(30秒ほどで充分)の前後、目を閉じて片足で立ってみれば、明らかに全身の安定度が増すことがわかるだろう。

◎なぜ、湧泉へのヒーリング・タッチだけでは不足なのか?
 非常に根深い仮想(身体における主観と客観の不一致)が足には伏在するからだ。
 直立した時、足は全身を支えている。小さな足が、それ以外のすべての身体パーツを載せて支え、バランスを取っている。それだけの力・能力が足には秘められている。「足は芸術作品であり、工学的傑作だ」と言ったのはミケランジェロだ。
 足の仮想は、文明レベルのものだ。靴を履き、足を締めつけ始めたことにより、人は大地から切り離され、あらゆる文明的病が繁茂する土壌に根を下ろした。足の仮想は人類の文明とほぼ同じほど古い。だから、それを一朝一夕ですべて解き放つことは、ほとんど不可能に近い。

◎足の仮想の実例を1つ。少しずつ進んでいこう。
 踵が足首の真下にあると仮想し、踵を前から感じようとしている人は多い。横から観れば明らかな通り、踵は足首より後ろ側に突き出ている。

◎ここまでをすべて理会した上で、片足を両手で柔らかく包み込み、頭とシンクロさせつつ、両手を<凝集→レット・オフ>。足の静中求動を心がける。・・・と、足の裡が充実すると同時に、鏡で映し合うように頭が涼やかに開放されていく。大抵の人は、頭と足の中身がシフト(交替)するのを感じるだろう。
 それが、頭寒足熱だ。頭と足の間で粒子的共鳴が起こっている。こうしたヒーリング状態をちょくちょく味わっていれば、健康で元気溌剌としてこない方がおかしいというものだ。

<2009.02.27>