Healing Discourse

ヒーリング随感 [第19回] ヒーリング・ストレッチ

◎ヒーリング・タッチで自他の裡が感じられるようになれば、それを動的に運用し、さらなる可能性を多元的に拓いていくことが可能となる。

◎例えば、裡を感じながら自分の手首をもう一方の手で柔らかく保持し、そっと折り曲げる。ホールドしている空間を触覚的に体感しながら行なう動作は、普通に手首を折り曲げようとする時のやり方とは、外見は似ていなくもないが、内面的にはまったく違うものだ。前者は空間的・流動的・有機的、後者は平面的・固体的・無機的だ。
 ヒーリング・タッチに基づき身体を扱えば、ちょいと手首を折り曲げるだけで、普通ではあり得ないような生命的緊張感を生み出すことが自在にできる。
 今、まさに開かんとして微細におののく蕾。つまびく指と離れる寸前の弦(つる)。
 それをレット・オフすれば、生命の音色なき音色が心身に鳴り響く。繊細な活力が沸き立ち、腱を通じて運ばれていく。体の中を生命力の実感が活き活きと巡る。

◎上記はヒーリング・ストレッチの基本の1手だが、同様の原理に基づく手法が果たして他にも存在するものだろうか? 数年前、そんな疑問が脳裏をかすめたのだが、その際、ふと書庫の片隅(未読書コーナー)に押し込んであった1冊の本が目に留まった。
 ロバート・C・フルフォード著『いのちの輝き』。
 健康法や武術、身体ワーク、そういう分野の本をほとんど読まなくなってからどのくらいの月日が経つだろう。
 ところが、手に取って何気なくページをめくったら、「・・・10分ほど手技をほどこした。治療が終わったとたん、男は強烈なエネルギーがからだじゅうを駆け巡っているようだといった」という一文が、活き活きと踊りながら、目に飛び込んできた。
「本物」は、必ずこういう感覚を伴ってやってくる。
 著者は「伝説の治療家」と呼ばれるオステオパシー医らしいが、自分が独自に探求してきたことに通じ、響き合う人・道が他にも存在することを発見した時、うれしさ、懐かしさとともに、神秘的な驚きを私はいつも感じる。

◎ところで上述の本の訳者あとがきによると、フルフォード博士はオステオパシーの源流が日本の柔術整復法にあるらしいと考えていたそうだ。
 柔術の場合、オン(関節を極める)の側面にのみ主眼点が置かれがちだ。が、オフの位相をおざなりにするとしたら、お互いの生命力を高め合うという、武術の知られざる素晴らしい可能性を切り捨てることになる。
 私は、昔の稽古では術(わざ)をかけるだけでなく、かけた術を(かけた方が)ほどくことにも重きが置かれていたのではないかと感じている。そういう練修法を採用すれば、ソフトウェアとしての技術を磨くと同時に、ハードウェアとしての心身の能力を拡げていくことができるからだ。
 私がヒーリング・ストレッチの様々な術をかけると、多くの人は内発的エネルギーに突き動かされて身体を滑らかに波打たせ始める。ヒーリング・エクスタシーが満ち溢れ、叫び声となって迸り出ることもしばしばだ。

◎読者諸氏も、自分の手首をもう一方の手を使ってちょっと軽く曲げてみていただきたい。滞りなき内的緊張が全身を貫き通し、さらにレット・オフに伴ってエクスタシーともいえるような活き活きした開放感が手首の裡から溢れ出てくるのでなければ、オン、オフ共にできていない、わかっていないということだ。
 そういう人は、何とかわかろうと頑張るよりも、わからない/できないという事実をアッサリ認めた方が、今の閉塞状況から早く脱出できる。

◎ヒーリング・ストレッチは、手首だけでなく、肘でも膝でも足首でも、指の関節1個1個でも、どこでも自在に行なえる。腱だけでなく、皮膚でも筋肉でも、内臓でも骨でも意のままだ。他者にも自分に対してもできる。お互いに同時に術をかけ合い、ヒーリング共振を楽しむこともできる。1回行なうごとに、歓喜愉悦の感・動(感じて、動くこと)が全身を駆け巡る。

◎実行するたびに感嘆の声が漏れ出るのを禁じ得ない。限りなく自由であり、限りなく充実し、限りなく美しく、限りなく神聖だ。部外者が外側の形だけを真似ても、こうしたエクスタシーは決して味わえないだろう。それは、ストレッチングに対する一般的アプローチとは、根本的に違うことを、ヒーリング・ストレッチではやっているからだ。

◎老化は、脚裏の筋肉、腱が弾力性を失って縮むことから起こる。
 これは医学的にも認められた周知の事実だ。ならば、脚裏をしっかりストレッチして伸ばせば、老化を遅らせ、あるいは逆転させることさえできるのではないか? ・・・多くの人がそのように考え、いろいろな方法で脚裏を伸ばそうと試みている。
 ある程度の効果を感じている人もいるだろうし、よくわからない、うまくできない人も多いかもしれない。痛い、苦しい、気持ち悪い。ちょっとは良い気もするが、長続きしない。
 いつも三日坊主で終わる人は、体自身が拒絶している可能性を疑ってみるべきだ。例えば立位で脚を揃えて前屈するとか、適当な高さの台に片足を載せて上体を倒すなど、いろいろなやり方で脚裏を伸ばした際、目的の部位がしっかり満遍なくピーンと張りつめているかどうか・・・それが実感できないとしたら、やり方そのものが間違っている可能性が高い。長年のうちには害をもたらすことさえある。
 軽くストレッチした時、伸びた腱から呼吸に合わせて超微細な振動が沸き起こり、体中に響くようでなければ、身体の理法に沿って正しく伸ばしているとはいえない。身体の法に背くことが長ければ、軽微な「ツミ」でも積もり積もって大きな病となる。
 
◎ごくシンプルな、しかし自力で気づくことはほとんどの人にとっておそらく不可能な、いくつかの要訣を会得すれば・・・・同じ前屈運動が魔法の回春法となる。1回行なうたびにハッキリした手応えが感じられるから、やればやるほど体も心も伸びやかに、軽やかになる。
 こういうマナは、できるだけ多くの人に紹介し、素晴らしい効果を各自の裡で奉(たてまつ)り、讚えていただきたいと思う。・・・が、自らの心身に深い関心を持ち、積極的に働きかけていこうという人でなければ、残念ながら教えても大してできるようにはならないし、そもそも最初から関心を示そうとさえしないだろう。

◎脚裏は、人体のあらゆる「力」と関わるパワー・ルートだ。これを正しくストレッチして振るわせ、たまふりを起こすことで、私たちの生命そのものが力づけられる。

◎腱にたまふりを起こすためには、オンでストレッチしてはいけない。張りつめた腱全体が、突如として粒子的凝集力をわずかに減じ、ために腱そのものの内部に細やかに沸騰するが如き感覚が注ぎ込まれる。オフ感覚に委ね続けること(レット・オフ)の中で腱がさらに伸びていく、つまり和らぎの裡で腱が伸びる。それがヒーリング・ストレッチだ。

<2009.03.01>