◎三代目春駒こと小林一彦さんが、リリースされたばかりのCD『p.s』を、私たち夫婦に贈ってくださった。
妻は早速聴かせていただき、感想などもお送りしたようだが、私はちょうど短期の断食に入る直前であり、お礼のみ申し上げ、後日の拝聴を約した。断食中は、音楽も断つからだ。
ライナーノーツのみ拝見したが、「ひかりのコーラス隊」とか、家族・友人らを巻き込みつつ楽しいイベントのように作品が創り上げられていく様子が如実に感じ取れ、そうした「雰囲気」作り・「流れ」作りに、小林さんが実に巧みで長[た]けていらっしゃることに、まず感心させられた。なかなかできることではない。
◎太霊道断食法には人生そのものを変える力があるといわれるが、私も確かにそれを毎度経験してきている。1日でも、それなりに充分な効果がある。
現在、友人らの間で1日断食が流行っているが、誰もが皆、「きつさ、くるしさも多少ありはするが、全体として素晴らしい体験だった」とプライベートBBS上で報告している。
◎今回私がちょっと断食したら、仔猫(推定生後1ヶ月)が新たにわが家にやってくるという、「大変化」が起こってしまった。
毎日毎日が、「魔法の瞬間」の連続となった。それら奇跡のような瞬間を、帰神フォトにて斬り撮っていっている真っ最中だ。
◎本で学んだムツゴロウ式(裸の体当たり法)を実践したところ、猫との超ディープな交流が、実際に感じられるようになってきた!
心と心が通じ合い、お互いの気持ちがひとつになる。そんなビューティフルな状態が、何度も起こるようになり始めた!
これは、私のあらゆる経験の中で、最上の部類に属す。
猫とのテレパシックな共感体験!!
猫はいかにして猫となり、人を認識し、そして人とのいかなる関係を結んでいったのか。
かつて最初の猫が人と暮らすようになったプロセスを、私は今、仔猫とのヒーリング・タッチを通じ追体験しつつあるところだ。
ご存知だったろうか、猫にも独自の神話世界があることを。
◎ちょっと目を離したら、どんな新しい奇跡を見逃すことになるか、わかったものじゃない。
というわけで、ずっとつきっきりになった。
妻は、毎晩仔猫と一緒に寝ている。
私の執筆時間はめっきり減り、仔猫と過ごす時間へと振り向けられた。
◎質問。
次のうち、実際に起こったことはどれでしょう?
1.猫に人間用トイレ(洋式)を使わせるためのトレーニング・ビデオを好奇心半分で購入したところ、それを一緒に観ていた愛猫(約1歳)が、まだ何の訓練もしてないのに(子供用の補助便座から始めて、結構煩雑な諸段階がある)、翌日から人間用トイレを使い始めた。
2.10年近く前のことである。毎日わが家の裏手で朝食と夕食を食べていくメス野良猫が妊娠したようなので、「かわいい仔猫が生まれたら1頭[ひとり]くれるかい?」と話しかけたりしていたところ、そのメス猫の子が本当にわが家にやってくることになった。しかも2頭[ふたり]も。あれやこれやの紆余曲折を経て。
現在、わが家の長老猫となっているマナとスピカである。
3.翌年、再び懐妊した例のメス野良猫に、「今度はみるだけでいいから、生まれたら連れておいでよ」と話しかけたら、しばらくして本当に仔猫(小さな小さな)をみせに来た! 巣はかなり遠くにあるらしいのに。
4.ちなみにこのメス猫、全然人に慣れておらず、背中の毛を逆立てシャーッ!とやるのが親愛の挨拶だった。この猫がある冬、病気に倒れた時以外、一度も触れ合ったことがない。
あの時は、わが家の一室を専有して数ヶ月療養後、全快。その間、運び込む時と連れ出す時の2回、タッチしたのみだ。
後者においては、私と妻の両手は爪と歯による攻撃でぼろぼろになった。分厚い手袋もまったく役立たなかった。畳もふすまもバリバリに引き裂かれた。私が苦心して不器用に張り替えたばかりの真新しい素敵な障子も、破られた。
その後もあいかわらず、挨拶はシャーッ!だった。
そのさらに数年後、最後に会った時以外は。
しばらくみないうちにめっきりやせほそった猫との、それが最後の別れであることを、なぜか私はハッキリ感じとることができた。あちらも、そのつもりで来ていたのだろう。その後、二度と姿を見かけなかった。別れ際のそのメス猫の目は、とてもやさしく穏やかで、そして超然としていた。
以上、すべて実話だ。
もっと凄い話、神秘的な物語が、猫がらみとなると、あれこれいっぱいある。
ちなみに、猫は礼儀正しいことをご存知だったろうか? こちらがお辞儀すると、たいてい相手も礼を返してくる。
こういう記事が大好きな猫好きの皆さんは、『ヒーリング随感2』第22回も是非ご参照あれ。
◎ムツゴロウさんこと畑正憲氏いわく、「仔猫ほどかわいいものは、この世にない」と。
◎やってきた時は片手に乗るくらいのサイズだったが、母猫から早くに無理やり引き離されたものとみえ、妻が胸の上に乗せ、試しに自らの乳首を吸わせてみたら、ぎゅっとしがみついて離れようとしなくなった。やがてうとうとし始め、ついにそのまま眠ってしまうまで、仔猫は妻の乳首をしっかりくわえたままだった。
猫好きの女にとり、これはまさに特別な、そして至福の体験だろう。
◎先日、育児・帰神撮影もやや落ち着いてきたので、時間をたっぷり取り、春駒さんの新CDを聴かせていただいた。
◎これは、聴きながら踊る、あるいは踊りながら聴くべきものだ。
直ちに、そのように感じた。
自室なら、ごろごろ転がり、踊り舞い、時に共に口ずさみながら、聴いたっていいと思う。
言霊使い・春駒が空間内に自在に生み出す明朗なる呪術的ヴァイブレーションの波に全身全霊で委ねていけば、みそがれ・祓われ、どんどん軽やかに、爽やかに、楽しく、元気になって、聴き終える頃には心も体も新品同様だ。
そんな風に聴く(=踊る)ことが、これら春駒さんの作品を鑑賞する最上の方法であると私は思う。
◎かつて、人々が心を歌っていた時が、我が国にあった。
歌垣に集った男女にとり、互いに和歌[うた]を詠み合うことは、即、恋の駆け引きでもあった。
人は悲しいと泣き、うれしいと笑い、憤[いきどお]れば叫ぶ。
美しい光景を前にして胸ふるわせる。
そうした諸々の情動[パッション]や感動を<歌>として表現し、他者に伝えることのできる少数の人々が、この世には存在する。春駒さんもそうした希有な才能の1人だ。
そして、なぜだろう、このような「心の歌い手」たちには、皆どこか共通するところがある。
ひた向きなまでの純粋さ、素直さ、誠実さ。献身聖労への秘めたる情熱。あるいは、繊細な感性とそれゆえの葛藤。そして、生への徹底した信頼。
そうした質(人間性)が、歌を通じダイレクトに伝わってくる。
◎その後、小林さんのその他の作品(サキイカ讃歌とか、名作と評判の『その男ヨシオ』など)も聴かせていただいた。
天は、この人に、何か大きな・・・後世に長く残るような・・・<仕事>を、もしかして用意しているのかもしれない。
彼は、それに向け、着々と自らを準備してきたのかもしれない。
小林さんの諸々の曲を何度も聴くうち、ふと、そんな風に思った。
この人の、今後の動向から目が離せない。
はねばはね踊らばをどれ春駒の のりの道をば知る人ぞ知る(一遍上人)
<2011.10.25 霜始降(しもはじめてふる)>
※三代目春駒・小林一彦さんについて詳しくは、下記オフィシャルサイトにて。
http://www.harukomania.com/