◎青竹踏み(踏まず)だが、土踏まずのところを、青竹とできるだけ柔らかく、軽やかにタッチすることに、慣れてきたらだんだん留意していくように。
すると、終わった後の足(及び全身)の軽やかさが、断然違ってくる。
◎ただ土踏まずを無意識的に載せて体重をかけるのでなく、ふわりと載せたそこを3の原理(中心と二極相照)で爪先側と踵側に別け、天秤を揺らすように意識を交互にスイングさせる。
あなたの土踏まずは青竹の断面と同じ形・サイズでは、おそらく大抵の場合、あるまい。
とすると、土踏まずに青竹がまんべんなく働きかけていくためにはどうすれば良いか、あれこれ試しながら工夫していくといい。まんべんなく、触れ合っていくことが大切だ。
青竹の曲面に沿って、順に意識(注意)を移動していくことで、線の流動感覚が生まれてくる。青竹と触れ合っているのだから、青竹の形に沿って、土踏まずを感じていくのだ。
◎土踏まずが覚醒して液状化するに至る・・・と、身体運動が流体的となる。
この状態が、龍宮拳の基本だ。
龍宮拳とは、土踏まずに基づく全身の流体感覚に、いかにして表現を与えるかについて、戦いという人間にとって最も根源的な営為を通じ、教え諭[さと]す道といえる。
争闘は、舞へと昇華され得る。舞となって尚、武術として高度な機能・威力を発揮できる実例を、私はこの目で実際に目撃したことがある。
◎前回、龍宮拳のごく一端を、やや大きめの動画で公開したら、もうレンタルサーバーの「月間許容量」ギリギリとなったらしい。仕方ないから、ヒーリング・ムービー配信を円滑ならしめる新システム導入を、今、急ピッチで進めているところだ。
試験的に、毎回の龍宮拳相承会の模様の、一番「おいしい」ところをダイジェスト版としてピックアップし、インターネット上の2Dムービーとして友人たちに配信し始めた。
さらに希望者は、同じシーンの3D版を、ブルーレイ・ディスクとして手にすることもできる。
まるで、空間に窓(PCやテレビの画面)がポッカリあいていてそこから向こうの世界を眺めている、そんな風に多くの人が感ずるほどのリアリティをもって、龍宮拳伝授の模様を自宅に居ながらにして観ることができるというのは・・・・これはやはり画期的な出来事とはいえまいか?
まるでそこに私が本当にいて、活き活きと息づいているかのような、実際に生きているかのような、それほどの感触を、観の目を3D映像に対し使えば、感じられるようになる。すでに体験した者たちは、皆、そんな風に報告している。
最近発売された頭部装着型[ヘッドマウントタイプ]のディスプレイを使えば、さらにリアルな3D映像が体験できるというから、近いうちに試してみて、結果をご報告する。が、予約殺到で品切れ状態が続いているそうだ。
真っ暗な部屋でヘッドマウント・ディスプレイを装着し、心身統合の訓練。・・・・龍宮拳とは、確かに奇妙な武術だ。
ジョーク(ただしコズミックな)といえなくもない。が、仔猫の件でもおわかりのように、あるいは町内会の件でも明らかなように、私たちは常に全身全霊をもって真っ正面からぶつかっていく。人から嫌われようが、迫害を受けようが、まったく構わない。我らは、ヒーリング・ウェイを歩む者だ。
ゆえに、ジョークといえど、宇宙大なり。
◎プライベートな龍宮拳伝授の記録のうち、人類全体の福祉向上のため明らかに貢献できると感じられる情報については、これまで同様、公式サイト上で一般公開する。
独占するつもりはまったくない。
◎ゲッカンキョヨウリョウを超えてしまうかもしれないが、龍宮拳「波紋棒」(一例)を、ムービーにてご紹介する。ここでは120センチの杖[じょう]を使用。
波紋掌と波紋の足をクロスオーバーし、棒を介して互いに響き合う術[わざ]也。
極めの瞬間以外、棒は常に柔らかく、円く、扱う。
ひと月ほど前に1、2度「習い」、人に対して使うのはこれが初めてだが、何も考えずとも自然に身体が動き、彼我[ひが]一体となって自由自在に波打ち・舞うことができた。入門レベルとしては、まずまずというところか。
龍宮拳 Boleh[ボレッ]!!
※bolehは、マレー語で「できる」の意。転じて「万歳」「すごい」「素晴らしい」などの意も。
◎昔ちょっとかじった太極拳の蹴り術[わざ]を、今、波紋の手足を使ってちょっとやってみたのだが、何と、以前のやり方は全然ダメだったことが、諸君、ハッキリわかったぞ。
それはまあ、前もちょっとはいいところもあったのだろうが、今自然にできている「これ」とは、まるで比較にならない。「桁違い」である。
そういう、間違ったやり方で体を使えば、必ずや身体にブロックができる。心にもこわばりが生ずる。
その事実が・・・・ああ・・・・正しい動きを1、2度しただけで・・・・身体の奥底からがらがら骨が、腱が、肉が、内臓が、皮が、組み換えられていって、・・・・・<愉悦の情(エクスタシー)>と共に認知される。
悪い動きを訓練して得たコツ(こうして、こうやる、ここに注意する、といったプロトコル・手順)を、そのまま無意識下で放置しておくと、正しい自然な動きの妨げとなる。
私も明日から時間を取り、昔稽古した内容すべてをヒーリング・アーツ原理に基づき一通りやってみて、ブロックの有無を精密検査していくつもりだ(やれやれ)。
<2011.12.04 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)>