Healing Discourse

ヒーリング随感4 第11回 水の魔術師

◎「水の魔術師」「神秘のナチュラリスト」などと呼ばれた、オーストリアのヴィクトル・シャウベルガー(1885〜1958)について、今後、折りをみて少しずつご紹介していきたい。
 シャウベルガーは、自然から謙虚に学ぶ道を唱えた人だ。
 だが、彼は単なる夢想家、理論家ではなかった。
「水そのもの」から教えられたという、内面へと向かう作用(求心的動き)を応用し、従来の発電機の127倍ものエネルギーをクリーンかつ静音にて引き出す方法をつかみ、これをインプロージョン(内破あるいは爆縮)と名づけた。
 1937年、音速の約4倍の推力を生じる内破エンジンを開発。
 シャウベルガーいわく、「内破は私が新たに発明したものではなく、失われた古代の知識を復興させたものである」と。
 終戦直前、ナチスに強制されて「空飛ぶ円盤」の開発に携わったが、1945年2月19日にプラハでプロトタイプが打ち上げられ、それは3分間で高度1500メートルまで上昇し、時速2200キロを達成したという。
 シャウベルガーの研究がもう少し早く完成していれば、戦局は大きく変わり、その後の全世界の様相が一変したかもしれない、とさえいわれているほどだ。
 しかし、プラハでの実験後まもなく、アメリカ軍がオーストリアに進攻、プロトタイプは撤退するドイツ軍の手によりすべて破壊された。
 その他のシャウベルガーの発明品も、空飛ぶ円盤同様、終戦時に大半が破壊され、残りは設計図や資料と共にいずこかへ持ち去られた。現代の高度な科学レベルをもってしても、シャウベルガーのマシン再現にはいまだ誰も成功していない。

◎私が過去約20年間、ずっとシャウベルガーに着目してきたのは、彼が述べているような水の未知なる諸性質や運動を、私自身の身体内の<水>を通じ実感することが多々あるからだ。龍宮拳を始めてから、その感覚が特に強まった。
 私だけでなく、他の人も、龍宮拳を通じシャウベルガーをしばしば思い起こすらしい。水は生きているとシャウベルガーは述べたが、我々の体内の水を活かし、命を吹き込むのが龍宮拳だ。
 私たちの身体内には、「水」を媒体とする未知なる稼働システムが、明らかに備わっている。私が龍宮拳の動きとして実際に示しているものがそれだ。
 龍宮拳とは、水という観点から人体の構造と働きについて改めて再検証するエヴァリュエーション(再評価)作業を、武術芸術という様式を通じ、実行・実践中の「ムーヴメント」だ。このムーヴメントは、文字通り動く、舞う。

◎半世紀以上も前、シャウベルガーは知人に宛てた手紙の中で次のように書き記している(『自然は脈動する』より)。
「私は、核分裂によるエネルギー生産が非経済的どころか、ばかげて見えるほどに安価にエネルギーを作れるエネルギー源を、生命を守り、救おうとする人たちの手にもたらさなければなりません。これは残されたわずかな時間で自分に課された任務なのです。」
 現代文明が採用しているエネルギーの生産/消費(浪費)の方式は、遠からずして甚大な環境悪化を引き起こし、それがひいては人心をも倦み疲れさせ荒廃させていく・・・とシャウベルガーはすでに早くから(1920年代)予見していた。
 今、まさしく、その通りのことに、なりつつある、あるいはすでになってしまっている・・・・のではないか。
 水の次は、空気も買わねばならぬ(空気清浄機など)時代に、気づいてみたらいつの間にか、・・・・なっていた?? これはほとんどSF的な緊急事態と、私には感じられるのだが。
 シャウベルガーは、こうした緊急事態を解決する実際的・現実的方法を本当に発見していたのかもしれない。(宝のありかを常に示すところの)私の例の直感が、さかんに信号を発し続けている。

◎「水の性質を利用してエネルギーを生む」と聞くと、いかにも疑似科学めいた印象を受けるかもしれない。が、しかし改めて考えてみれば、水ほど不可思議な物質は地球上で、あるいは宇宙全体においても、珍しいのではなかろうか?
 例えば、周知の通り、水は常温で固体(氷)・液体(水)・気体(水蒸気)の3つの相を同時にとることができるが、こんな化合物は私たちが知る限り他に存在しない。液体の方が固体より密度が高い(ゆえに氷が水に浮く)という点も、しばしば目にすることなので誰も珍しがらないが、実は非常にユニークな現象といえる。
 水の特性をあげていけばキリがないほどだが、それ以外にもまだ知られていない未知の性質が、水にはあるのかもしれない。
 シャウベルガーによれば、水の比重が最大となる「4°C」に、水の神秘的性質を理会するための重要な鍵が秘められているという。

◎シャウベルガーの息子・ヴァルターは、物理学と数学を深く修め、父の研究を他の科学者が理解できるよう説明し直すことに心血を注いだ。
 1950年、イングランドに招かれたヴァルターは、オックスフォード、ケンブリッジ、バーミンガム各大学の一流の科学者たちを相手に講義、対話し、ジェームズ・チャドウィック卿(ラザフォードと共に初めて原子を分裂させた)を始めとする多くの科学者に深い感銘を与えたという。
 バーミンガム大学の原子物理学者のグループは、ヴァルターの講義について話し合い、「反駁の余地がない」との結論に達した。が、それでどうするつもりかとの識者からの問いかけに対しては、「何もしません」と答えたそうだ。その理由は、「世界中のあらゆる教科書を書き換えることになるから」だそうな。

◎シャウベルガーに興味をお持ちになられた方には、人物と業績について詳しく紹介されている上掲の『自然は脈動する』(アリック・バーソロミュー著、日本教文社)の一読をお勧めする。水(海や水蒸気、あるいは氷をも含む広義の水)に深い関心・関わりをお持ちの方や、地球規模の環境問題を実際に解決し得るヒント(可能性)を真剣にお探しの方などにとっては、素晴らしいインスピレーションの源泉となるかもしれない。

◎話は変わるが、打撃系の武術を、剛が自ずから反転し始めて柔へと化す境地まで極めた方であれば誰しも、内破あるいは爆縮という用語に深い共感を覚えると思う。
 打撃系といえば、今(本稿執筆時)龍宮拳では、「波紋の拳」という学び[ラーニング]が展開中だ。
 すでにディスコース旧シリーズで述べてきた手と前腕、及び上腕の骨格構造に基づき「柔の拳(中が空っぽで柔らかさに満ちていると感じられる拳)」を造り、リラックスしたまま自由自在に振る・・・と、面白いことに拳の内面がたぷんたぷんと「揺れる」のだ。つまり波紋が拳の内部に発生する。
 この波紋を、水としての相手身体に打ち込むのだが、先日妻にちょっと教えてそれで軽く私を打たせたら、誇張や冗談でなく、「体内の水」がどすんばたんと激しく波打ち、もんどり打って背中から床に叩きつけられたから愉快爽快(実際にすごく気持ちいいのだ)。
 龍宮拳の打撃わざは、ゆっくり柔らかい練修から始めるので、武術の初心者でもまったく無理なく練修できる。
 ゆっくり、柔らかく打つだけでなく、ゆっくり柔らかく、全面的に・楽しく・打たれ・倒されることも、交互に稽古し、「打撃」という行為の意味・本質をトータルに、全身で感じ・受けていく。
 最新版マナに属する波紋の拳はまだ撮影したことがないので、動画はまた改めて別の機会にご紹介する。

◎龍宮拳伝授会で全員のエネルギーレベルが高まり、楽しさの感覚が互いに共鳴し合って「内破」し始めると、「神聖さ」の質を帯びたある種の感覚/意識が、空間そのものの内部に満ちてくるように感じられる。
 そうした聖性の発露に遭うと、畏怖の念と共に、「感謝」の気持ちが自然に沸き起こってくる。
 そんな時私たちは、感謝と喜びを表現する一手段として、舞を、しばしば奉納する。
 舞の奉納といっても、何らかの形式に則った儀式めいたものじゃない。神社仏閣などにいます神とか仏へ捧げる(捧げたつもりになる)といった、迷信的気分のものとも違う。
 私たちは、奉納するという気持ちはそのままに保ちつつ、ただ外側(の神仏、その他)へ向きがちとなる意識の方向性のみをレット・オフで反転させるやり方を、現時点では採用している。
 すると、自然に身体が動き始め、それが洗練されるに従い、自由自在なる舞となって顕われる。普通の身体運動と違う点は、いついかなる瞬間を切り取っても武術のわざとして使える、ということだ。
 舞手は一切、自分の作為的な動きを加えない。ただ身体が自然に動いていくがままに、レット・オフを使って委ね続けていく。

◎龍宮拳伝授の模様を一連のムービーでご紹介しているが、人間の身体を流体として観ると面白い。画面全体を観の目で観れば、身体が波打ちながら交流し合っているのがハッキリわかるだろう。
 ずーっと観の目を保ち続けることがコツだ。
 そうやって「観る」稽古を積んでいると、前にはみえなかったもの・気づかなかったことなどが、いろいろ観えるようになってくる。
 例えば、あれこれ、もやもや考えている者の頭や首、肩のあたりは、必ずひと塊となっていて、脈動・流動しなくなっている。重く、こわばった感じだ。
 同様に、流体として身体を観れば、どこがこわばって動かなくなっているか、一目でわかるようになる。身体を水として、観の目で観ることがコツだ。
 精神に変調を来[きた]している者は目を観ればわかるが、私は街中などで後ろから背中をちょっと観ただけでわかることがよくある(少し時間をかけて様子を観察すれば必ず事実と判明する——例えば大きな声で独り言を言い始めたり——)。妻がしきりに不思議がっているが、これも観の目の一応用に過ぎない。

◎話はさらに変わるが、日本神話の創世記において、男神と女神が柱の周りをそれぞれ反対方向に回り、出合ったところで「みとのまぐわい(セックス)」をするというくだりは、性行為におけるどういう部分を現代語で言えば指しているのか、もしかしてまったくわからない、いくら考えても見当もつかないという方が、読者諸氏の中にもいらっしゃるのではなかろうか? 以前ふと思いついてプライベートBBSで問いかけた際には、誰一人として答えられなかった。
 ヒーリング・タッチ原理をセックスに当てはめれば答えは自ずから明らかなのだが、そのあまりにも明瞭なことに、私がみるかぎりでは人類の大半が、いまだ気づいてないようだ。
 これはとても良いことであり、大切なことでもあるのだが。
 少し前、ある若い夫婦のたっての希望で、上記の一手を含むヒーリング・セックスのわざを授けた。
 その後の2人からの中間報告によれば、セックスもできないほど疎遠となっていたものが、2人で夢中になってヒーリング・セックスの実践を楽しんでいるうち、これまでなかったほど親密で良い雰囲気がお互いの間に育まれつつある、とのことだった。
 今、ヒーリング・セックスの潜在的需要が大きく膨れ上がりつつあるのを感じている。セックス・セラピストならざる絶対素人の私たちのところにまで、セックスの問題が次々と持ち込まれるようになっているのだから、これもまた緊急事態に違いない。
 信じがたいことに・・・・既婚・未婚を含むカップルの大半が、セックスライフに・・・真に満足を覚えてない・・・?????・・・らしいのだ。
 ところで上述のカップルからの報告中には、ある時は気づいてみたら数時間以上も延々とヒーリング・セックスし続けていた、ともあったが、そんな驚くべき体験がヒーリング・セックスを始めると実際に起こるようになるからスゴイ。
 そういう誰でも開花させることができる生得の可能性を眠らせたまま、カップルで協力して目覚めさせ・開発していくことなく、ただ無意識的・機械的なセックスを続けるとしたら、それは根深い欲求不満が生じ、蓄積していくのも無理はないかもしれない。
 くれぐれもご注意いただきたいのだが、私たちは人様のセックスに口出しするつもりなど毛頭ない。こうしてヒーリング・セックスについて書いているのは、秘密を知ってるぞ・教えてやるぞ、といった意味ではまったくなく、原理であるヒーリング・タッチの具体的方法はすでにオープンソースとして公開し詳しく解説してきたのだから、それを各自(各カップル)なりのやり方でいろいろ応用してみてはいかがですか、と皆さんに示唆している、ただそれだけのことに過ぎない。
 真言立川流以来、日本でヒーリング・セックスを語ろうとする者は極めて慎重にならざるを得ないのだ。
 私たちはあくまでアート活動の一環として、愛の芸術であるヒーリング・セックスについて語っている。
  
◎ヒーリング・セックスで思い出したが、射精反射を極端に遅らせ自由にコントロールするという、タントラの特殊な修法をかつて実験したことがある。
 これは、ヴァジュロリという銀製の「練功用具」をペニスの先から尿道内に少しずつ差し込んでいき、尿が漏れ出始める寸前で止める(ここまでを1~2週間かけて徐々に行なう)。そこに射精と関わる反射中枢があり、ヴァジュロリの径を少しずつ太くしながら毎日尿道に差し込むことで、当該ポイントの感覚が鈍磨し、射精が起こりにくくなるのだという。
 尿道カテーテルで代用でき、実際に効果があった。のみならず、ペニスの元から先まで、外側からでなく内面からダイレクトに感じられるようになったことで、以降のヒーリング・セックス探求の上でどれだけ役立ったかわからない。ばからしいと投げ捨てたりせず、自らの直感に忠実に従い、真剣に取り組んで本当に良かったと思っている。
 妻は、卵型の大理石(長軸に穴が開けられ、紐を通せるようになっている)を膣内で動かして鍛える中国伝来の練功法を熱心に試したことがある。
 それにより、性交時に膣内からうねりくねるような快感波紋を起こせるようになる。これはスゴイ。多くの女性たちにも教えてあげて非常に喜ばれた。
 ただし、闇雲にやったのでは効果が薄いから、正しくタッチ感覚を感じ取りながら実践すべきだ。熟達後は卵に紐を通して錘をぶら下げ、ウェイトをかけて修練する。
 単に膣内の筋肉を締めることだけでなく、ヒーリング・アーツ流でレット・オフにも重きを置きながら練修すると、より一層効果を高めることができる。

<2012.03.25 櫻始開>