Healing Discourse

ヒーリング随感5 第1回 龍宮道 高木一行

[ ]内はルビ。

◎龍宮の道を讃えて、オマーンから最近届いた「幻の乳香」を焚いた。
 トップグレードのホジャリィの中でも、木の上部のみで採れるやや青みがかった特別な乳香は、ただでさえ収穫量が極端に少ない上に、年によってはまったく得られないこともあり、かの地で非常に珍重されているという。
 人呼んでロイヤル・グリーン・ホジャリィ。これまでオマーン国外では入手困難とされていた門外不出の秘香だ。

ロイヤル・グリーン・ホジャリィ(クリックすると拡大)。

 立ち昇ってくる香煙を柔らかく立体的に「聴いて」みたところ(香りを聴くことについては『ヒーリング随感4』第17回を参照。乳香に関する記述もある)・・・・・・、
 ホジャリィよりもずっと繊細で上品。柑橘系の果物を思わせるさわやかな質のひらめきを、香りの渾沌の裡へとたどって行くのも楽しい。

◎祝・蛇歳の意味だろう、友人がイラブー(エラブウミヘビの燻製)を贈ってくれた。沖縄全聖地の中心地・久高島[くだかじま]で調製された最高級品というから、送り主もなかなか目が高い。私でなければ卒倒するやもしれぬ素敵なプレゼントだ。

クリックすると拡大。

 久高島のイラブーは、祭祀集団である祝女[ノロ]らによって琉球王朝時代からずっと独占的に製造されており、燻製時に使用されるいぶし材[チップ]の内容(すべて久高島産)は今でも秘密にされているのだそうだ。
 海ヘビが立体的に波打ちながら海中で優美に舞う姿を、私は八重山の海で何度も目撃したことがある。その、舞の波紋の無限小のエッセンスが、良質のイラブーには凝集されている。
 これを水で戻し、よく洗い浄め、数時間よく煮込んでイラブー汁を造る。イラブーは充分柔らかくなったらいったん汁から取り出し、骨を取り外して皮と身だけに(それにしても、蛇族のあの、肋骨の異様な多さは、一体何事だろう)。
 こうしたプロセスを通じ、汁そのものに海ヘビの波紋的スピリットがこもるようになる。
 とろりとろりんと波打ち揺れる、沖縄の真っ白い浜辺に打ち寄せる亜熱帯特有のねっとり暖かな波の質感(マナ)。
 それは、人体の活力を賦活させる妙[たえ]なる働きがある。沖縄では、滋養強壮の佳味[かみ]としてとりわけ季節の変わり目に珍重するそうだ。
 豚足、昆布、大根などを合わせて煮込むと美味。ちなみにイラブーの味はかつお節そっくりだが、かつお節よりもずっと濃厚だ。
 汁を多めに造っておき、イラブーを千切りにし、もち米と合わせて炊き込みご飯の要領で<イラブー飯>にするのも面白い。これは久高島流。ハレの日の特別な料理だそうだ。
 細皮のうろこ模様を観賞しつつ、汁と合わせながらイラブー飯をいただく。もちろん味覚をヒーリング・アーツで微細粒子的に超時空振動させつつ、だ。
 すると、じんわりと元気が細胞レベルでしみ出てくる。
 何だか、細胞1個1個に超精細の潤滑油がしみこんだみたいな、滑らかさ。
 それが、海ヘビのスピリットからの贈り物だ。
 い・の・ち。

◎自分に生まれながらの才能というものが仮にあるとしたら、それは一体何か、今改めて考え直しているところだ。もしそれがハッキリわかれば、そこに全エネルギーを注ぎ込むことこそ、これから先の人生を最も充実した歓びに充ち満ちて生きていくための鍵、条件となるかもしれない。
 母が私をみごもってまもなく、母自身は自らの妊娠にまだ気づいてすらいなかったが、不思議な感じを漂わせた年配の男性に路上で呼び止められ、「あなたのお腹の中の子は将来医者になる。大切に育てなさい」と告げられたのだそうだ。
 奇妙に思いながらも病院で検査してみると、本当に妊娠していることがわかってびっくり仰天。母は後年まで、私が医業への道につくことを真剣に望んでいたようだ。
 そんな、わけのわからぬ誰かの言葉に自分の人生を左右されてたまるものかと、医療という分野を私はかなり早い時期から意図的に避けるようにしてきたのだが、今になって思えば、「医」は私が唱えるところの<ヒーリング>に含まれ得るものであり、すなわち私は、この謎の男が予言した通りに、ある意味ですでになってしまっている・・・・ということに、なる・・・・?

◎ここ東観音台に越してきて間もない頃の私をよく知る人と少し前に談笑していて、「ぎっくり腰で動けなくなり、家族に抱きかかえられて運び込まれてきた人が、ヒーリングを受けての帰りには自分で歩いて車に乗るのをみた」などと相手が言うから、長いこと完全に失念していた光景が一瞬にして甦り、「ああ、そんなこともあったっけねえ」と2人して大笑い。
 当時、地元へ何かご奉仕したいという誠実・真剣な気持ちで、廉価にて病気のヒーリングが受けられる場を自宅一隅に設けた・・・ところ、「地元」の人はさっぱり来ず、東京とか大阪などの遠隔地から多くの人が訪れるようになってしまった。次々と起こる劇的回復の噂があちこちに飛び火していったようだ。
 病気ヒーリングに携わっていた約1年半の期間中、遠方より家族全員でそろって拙宅まで(ガンなどの深刻な病からの)回復感謝の礼を述べに来られた事例もひとつやふたつではないから、もしかすると私には本当にヒーリング方面で才能があったのかもしれない。ちなみに、それ以前に私は何らかの療術に関するテクニックを習ったことが一度もない。
 脳溢血の後遺症で半身に麻痺が残った某氏の場合、施術数回、約3ヶ月でほぼ完治した。最初顔の左右がかなりアンバランスで、いつも帽子を目深にかぶって隠していたほどだが、まもなく左右差が目立たなくなり始め、運動機能も日常のもろもろをほとんどこなせるレベルまで、短期間で回復した。
 この人はその後、障害者手帳を返還するのがいやさに(持っていると交通費が安くなったり、あれやこれや優遇されたりで、「生きていく上で何かと有利」なのだそうな)、定期検診の際に自らの状態を悪く述べたり、あれこれやっておったらしい。が、神罰でも降ったか、まもなく別の大病に倒れ本当に寝たきり状態になったと、その後風の便りで聴いた。
 こういう、「一体何のためのヒーリングか?」との問いかけを自らに対し痛烈に突きつけざるを得ないような事例に幾度も遭遇するうち、病気調律はだんだんつまらないもの、意味(やりがい)のないものと、私にとっては感じられるようになり、まもなく私はそこから離脱した。

◎龍宮拳のムービーを予備知識なしで初めて観た人からしばしば尋ねられるのは、「この人たちには一体何が起こっているのか?」と。
 受け手たちが、崩され、投げられた後も、寝ころんだままごろごろやっていたり、あるいは舞を舞ったり、声(ヒーリング・ヴォイス)を出したり・・・・。
 あれは、私との触れ合いによって生じたヒーリング波紋の余韻を、楽しんでいるところだ。「それ」は、実際に体の中を波打ち、駆け巡り、浸透し、みそぎはらう。
 そういう、現象を十全に楽しんでいる。
 いつでも自分の意思で止められる。

<2013.01.17 雉始鳴(きじはじめてなく)>