◎昔から問題児だった。
高校時代、修学旅行が近づいてきて、クラスメイトは皆うきうきしているのに、私1人だけ突然「行かない」と言い出した。
両親や担任教師、友人などのあの手この手の説得にも耳を貸さず、ついに初志(?)を貫き通してしまった。
卒業アルバム用の写真を撮影する際にも、1人だけ「撮られたくない」と拒否した。
健康診断も、高校2年頃より拒絶するようになった。
担任の先生に呼び出され、なぜ健康診断を受けないのか、あれこれ尋ねられ、説得され、それでも私が首を縦に振らないので、しまいには「それでは私は君を軽蔑する」とまで言われたが、「結構です」と、頑なに押し通した。
◎卒業式の直前、その担任教師に再び呼び出された。
そして言われたのは、「今日お母さんからお聞きして初めて知ったのだが、君は片方の耳が全く聴こえないそうだね。君が健康診断を嫌がっていたのは、それが原因だったんだなあ」、と。
私は初めて、毎回毎回、健康診断のたびごとに、片耳の聴力がまったくないことを説明しなければならない鬱陶しさ、無力感、屈辱について打ち明けた。
その教師は、「そんな君の気持ちを汲み取ろうともせず、軽蔑するなんて軽率にも言ってしまって、大変申し訳ないことをした。君に謝罪する」と言った。
男らしい、立派な人物だ。
◎「もしかして、修学旅行に行かなかったことや、卒業アルバムに載るのを拒んだことにも、何か理由があるんじゃないか?」と最後に聴かれたが、「もういいじゃないですか。卒業式も近いことだし」とだけ答え、その場を辞した。
「理由」は、もちろんある。
高校1年生の時、放課後、帰宅しようと机の上に乗せておいた学生鞄を見ると、無惨に大きな傷がつけられているではないか。祖母が入学祝いに贈ってくれた真新しい通学用鞄・ ・ ・ ・ 。
机の中の参考書がカミソリかカッターのようなものでメチャクチャに切り刻まれていたこともある。
誰がやったか知らないし、誰にも言わなかった。
けれど、そんな卑劣なことをする人間と旅行先で一つ屋根の下で寝たり、卒業アルバムに一緒に顔を並べるのは、まっぴらごめんだと思った。
◎高校卒業直後のこと、実家から遠く離れたところに住んでいる親戚が訪ねてきて、母と祖母に語っていわく。
「今回○○高校(私の母校)の卒業アルバム用の写真を撮ったのだが、1人だけどうしても写されたくないと言い張る生徒がいて、先生方が手を焼いていた」と。
その人が写真関係の仕事をしているなんて私はちっとも知らなかった。
母も祖母も、「それはウチの子です」とは言えず、随分気まずい思いをした、とのこと。
家族でさえ、私が写真撮影を拒否する理由を知らなかったのだ。
◎現在の留置場でも、問題児ぶりが目に余るようになったか、10月22日づけで、大阪府警本部へ移されることとなった。
せっかく、ここが気に入っていたのになあ・・・・。
まあ、新天地にて、新たな飛躍を目指すとしよう。
龍宮道の密珠とか、前々からどうしても明らかにしたかった諸々の課題に、絶食修養を通じひと通りの決着をつけることができたし、収監中に『ボニン・ブルー』を始めとするいくつかの作品を完成させることもできた。
<生命の対等>という根源的ヴィジョンも得たし、自我滅却のための重要な瞑想法をも啓発的に授かった。
約1ヶ月間の収穫としては充分過ぎるほどだ。
今現在の私の動きは、・・・・精神からも身体からも余分な贅肉が全てそぎ落とされて・・・・円転滑脱、無碍[むげ]にして自在だ。
途方もない開放感を毎日何度でも、望むだけ味わうことができる。
◎10月22日、午後。
プロブレム・チャイルドは大阪府警本部の留置施設に移った。
ここの留置場は・・・・真新しくて清潔、そして・・・・これまでの2倍以上広い部屋に、私が独りきり・・・・。
やはり常時監視がつくが、これは私がいつ何時倒れるかもしれないので見張るためという。
余計なお世話というものだが、前の留置場のように、必ず頭を戸口へ向けて寝ろと堅苦しいことを言わず、「原則はそうだが、あなたの好きな方を向いて寝てもらって構わない」とのことで、それならば眠りを妨害されることも少なかろう。
◎最初、私の健康診断や持ち物チェックを行なった人たちは、口々に「想像していたのと全然違う」「車椅子で運ばれてくるかと思ったが、元気そうだし血色もいいじゃないか」「1ヶ月近く何も食べてないのに一体どうなっているのか?」なんて好き勝手な感想を述べていた。
「本当に大丈夫なのか?」と繰り返し尋ねるから、その場で龍宮道の早わざを2、3手披露したら、それ以上あれこれうるさく言わなくなった。
新たな環境にて、心機一転、龍宮道のさらなる深奥を探究してゆく所存だ。
樂[たのし]!!!
<2013.10.22 断食 Day29>