◎ある日の夕方、羊飼いがいつものように山での放牧を終え、ふもとの小屋に戻ってみると、百頭いるはずの羊が99頭しかいない。そこで初めて羊飼いは、あのやんちゃ盛りの子羊の姿を、先程から見かけてないことに気づいた。
あたりは徐々に暗くなりつつある。
羊飼いは、野を探し、森を探し、谷を探して一晩中歩き回ったが、子羊はなかなか見つからない。
夜が白々と明け染めようとする頃、すっかり疲れきった羊飼いは、小川のほとりで不安そうに鳴いている小羊を見つけて駆け寄り、抱きしめてこう言った。
「他の99頭よりも、私はお前を愛する」。
◎前回、問題児ぶりが高じて大阪府警本部の留置施設へ移送されたことを御報告した。
相も変わらず「対面監視」と称して、毎日24時間、昼も夜も絶え間なく見張られ、私が水を1口飲めば書類に何か書き込み、トイレに行けば窓からのぞき込んで、また何か書きつけている。
そんな調子で真夜中もじっと見張られたのではゆっくり眠ることなどできず、こちらへ来て1週間というもの、ほとんど一睡もできない状態が続いた。
◎しかも、そろそろ栄養補給を図ろうかと重湯を一口飲んでみれば、口の中や喉が焼けつくような不快感が生じ、その後数時間、内臓がよじれるような苦しみを味わった。
たぶん残留農薬の作用だろう。考えてみれば、留置施設で出される米が、無農薬米のはずが・・・・ない。
味噌汁もダメだった。こちらは化学調味料が悪さをする。
断食1ヶ月を超えて身体が極度に敏感になると、普段は気付かない食べ物の害がハッキリわかる。
問題児もついに進退極まり、本年12月11日と決まった第1回公判の時を待たずして、檻の中で命尽き果てるかに思われた。
別に構わない。
命を捨てる覚悟で、私はここへ乗り込んできた。
愛する妻、大切な友人ら、愛猫たちと、永遠[とわ]の別れを告げる機会を充分持てたのだから、もはや何の心残りもない。既述してきたように、「これ」を私は聖なる使命ととらえ、神明の求めに即応して、一命を捧げた。
私の生命は、だから、すでに私のものではない。私の生き死には、神々が決める。
◎ゆえに、留置施設で出される食事が一切口にできないとわかっても、気楽なものだ。
志[こころざし]半ばで倒れることを神々が選びたもうのであれば、私はそれを全面的に受け入れる。
これを惟神[かんながら]の道、という。
◎が、今のところ神々は、私が生きることを、どうやら望んでいらっしゃるようだ。
詳しい経過説明は煩雑なので省くが、結果として、朝昼晩、好きな時に、私のために冷蔵庫にストックされた飲み物の中から100%野菜ジュースなどをチョイスして好きなだけ飲めることになった。他の収監者には許されてない、超特別待遇といえる。
今、私を取り調べている刑事にその話をしたら、「やるなあ。俺は高木さんを先生と呼びたくなってきたよ」なんて感心していたが、私が「いつの間にか、ステーキや寿司を外から取り寄せて食べていたりして」と言ったら、「あんたなら本当にやりそうで怖い」だとさ。
ジュースの件は断食を切り札としてあれこれ交渉した結果じゃない。
気づいてみたら、いつの間にかそのような次第となっていた。
讃えるべきかな、龍宮の神々。
◎連日24時間、監視されてみて、檻の中に囚われた動物の気持ちが、私には痛いほどよくわかるようになった。
が、そこで気持ちを切り換え、「オレは超VIPだ」「王様だ」「これらの人々は、私の護衛だ」「家来だ」と思うようにしたら、面白いもので、その夜から「ぐっすり」とまではまだゆかぬが、「少しは」眠れるようになった。
時々わずらわしさを感じることもありはするが、そんな時には、そのわずらわしく感じている「自分」の方へと注意を向け換え、強調→レット・オフする瞑想法を実践している。
龍宮道(ヒーリング・アーツ)が、恩寵にほかならないことが、こんな時に強く実感される。聖なる恩寵(たまわりもの)だ。
◎大阪府警本部始まって以来という、前代未聞[ぜんだいみもん]の長期絶食レジスタンスに遭[あ]い、看守らの周章狼狽[しゅうしょうろうばい]ぶりは甚しく、ついに異様な行動を取り始めるに至った。
最初、偉そうな態度を取っていた看守らが、ある夜、寝具を運び込もうとしたら、「わしが持つ。なぁ、持たせてくれ。上からの命令なんや。持たせてもらえんとわしらが怒られるんや」と、猫なで声でもみ手せんばかりにして哀願するではないか。
もちろん、断固としてお断りした。
ところが、毎朝起床後、直ちに寝具を収納庫へ戻し、房へ帰ってすぐ、床をほうきで掃き、さらに雑巾でトイレと部屋の床を拭き掃除する段になると、皆、知らん振りで、まったくの無関心だ。
つまり、夜、寝具を運んでやれと「上」に命令されはしたが、それ以外の指示は聞いてない、ということなのだろう。
自分自身で判断し、責任を持つことを放棄した人間の、機械のような変貌ぶりには、底知れぬ薄気味悪さを感じる。
「警察官」という仕事は、老後痴呆症を発する確率が最も高い職業の1つといわれているが、その理由が今や私にはよくわかる。
◎先日、府警本部内のかなり本格的な診療室で、健康診断を受けた。
結果は例によって「(今のところ)異常はなさそう」だったが、私を診た中年男性医師のタッチには、感銘を受けた。これまで別の病院で、まるで物みたいな扱いを受けてきたのとまるで違う、柔らかく、生命[いのち]への敬いがこもった、暖かな手。
「あなたの、その触れ合い方は素晴しいですね。名医と評判が立つような方なのでしょう。敬服致しました」と、素直に賛辞を捧げた。
おそらく、専任ではなく、嘱託なのだろうが、思いがけない場所で思いがけずも素晴しい(ヒーリング・)タッチと出会えた嬉しさに、私もちょっといたずら心を起こし、その医師が手首を脈診している最中、脈をしばらく止めたり、また出してみたり・・・・。
私は手首の脈を自在に止めることができる。
別に厳しい鍛錬の成果なんかじゃない。
ちょっとしたトリックに過ぎず、少し練修すれば誰でもできるようになることだ。
が、真面目そうな件[くだん]の医師は、そんなトリックのことなどまったく御存知ないとみえ、表面上は努めて冷静を装っていたが、手首をあれこれ探ってもどうしても脈が発見できず、ついに降参してしまった。
普段は決してしないことだが、その医師への賞賛の気持ちが、つい子供っぽいいたずらとなって表われてしまった。
トリック・スター(宇宙的面白がり屋)の要素が、私には、多分にある。
◎話は変わるが、今皆さんが御覧になっているこれら諸々の文章を、私は取り調べなどの合間に留置場内で書き上げ、厳しい検閲を経た上で、弁護士を通じ、妻の元へ届けている。
『ボニン・ブルー 小笠原巡礼:2013』と『ドルフィン・スイムD 利島巡礼:2013』の草稿も同様だ。
『ボニン・ブルー』のウェブ連載が始まったらしいが、先日、プリントアウトした見本を、接見室のぶ厚いアクリル板ごしに、弁護士より観せられて驚いた。
きちんと指示せずノートに書きなぐったものだから、文章の構造がメチャクチャに崩れてしまっている・・・・。誤字や脱字も少なくない。
全部校正して直してゆこうか、とも一瞬考えた。が、そんな悠長なことをやっている暇などない。
それに、いったん死んでしまえば、その後で私の言葉を誰がどうしようが、私の関知・関与するところではないじゃないか。・・・・そのように思いを振り切った。
今後、チェック・修正する何らかの機会が与えられれば、もちろん、そうする。
本ウェブサイト全体を通じ、誤字・脱字を探してみれば、そのあまりの少なさに誰もが驚きを禁じ得まい。幾度も繰り返しチェックしてきたからだ。
それだけの敬意と愛を、私は自らの内面より自[おの]ずから顕[あら]われ出[い]ずる<言葉>に対し注いできた。決して大げさでも誇張でもなく、1つ1つの文字、言葉に、私は徹底的にこだわり抜いている。
・・・・が、申し訳ない。留置場内から送り出している、これらの<言葉>に対し、私は最後まで責任を持つことが、勾留中という立場上、できない。
◎『ボニン・ブルー』などと共に書き上げた作品『1万回の「愛してる」を、君へ』は、妻への親書という形式をとっているため、妻との面会すらずっと禁じられたままとなっている現状では、外へ出すことができない。以前、本随感でそのように述べた。・・・・が、「親書」でない他の作品は検閲を通ったのだから、特定の人名を省き、全構造をいったん解体し、まったく別の作品として書き換えたらどうか・・・・?
妻なら、私の意図するところを汲み取れるはずだから、手元に届いた原稿を再び解体し、必要と思われる箇所を書き換え、そして組み立てなおして、元の姿に復元することが・・・・あるいはできるのではないか?
というわけで、相当な分量があったが、全部書き直して、送り出した。
そして、どうやら、あちらでも解体・復元に成功したようだ。
◎最初に留置されていた港警察署というのもかなり大きな建物だったが、今回移った大阪府警本部と比べると、前者が小人(しょうじん、いや、こびと)の一軒家とすれば、後者は巨人の集合住宅だ。まるで要塞みたいなものものしさに、かくも多くの「犯罪」が、わが国では行なわれているのかと、驚いた。
まあ、それも当然といえよう。叱責ですむような小さなことまで、やれ麻薬だ、それ組織犯罪だ、国際密輸団だ、と大仰に騒ぎ立て、あげつらい、税金を湯水のように浪費しながら、大量の人員を動員して、細かい、個人のプライバシーに属するようなことまで調べあげ、罪人[つみびと]を次から次へと大量生産しているのだから・・・。これは、私が実体験を通じ確かめたことだ。
◎府警本部に収監されているわが「同類」たちは、皆、ふてぶてしい面構えで、大半の者が全身にびっしり刺青をまとっている。いわゆるヤクザと呼ばれる人たちだ。
私はこれまで、ヤクザという人種は人を人とも思わぬ、反社会的な人間のクズのごとき存在であると、実際には1人のヤクザも知らないくせに、勝手にそう思い込んでいた。
もちろん、そうした陰の一面もありはするのだろう。
が、ここで私が出会った人たちは・・・皆、実に礼儀正しいし、個性と人情味あふれる愉快そうな連中ばかりではないか。
逆に、入浴時、私が冷水しか浴びないのを(断食中は冷水浴のみ)、「ヤクザ」たちが気味悪そうに遠くから見ていたりして面白い。
◎ふと思ったのだ。
私や友人たちがこれまで人生上の重要なことがらとして掲げ、世間から笑いものにされたり、軽んじられてきた、・・・誠(誠実さ)、義を重んじること、あるいは聖なるものへの帰依すら・・・「同類」たちは、決して鼻先であざ笑ったりせず、むしろ深い共感を示してくれるのではあるまいか、と。
そういえば、彼らの多くが龍の刺青を入れている。龍宮の道を奉ずる私とも、けっして無関係とは言えまい。
刑事に聴いたが、これらの収監者の半分が、私を含め、「薬物」関係の事件がらみという。
前に述べたように、私はあらゆる「薬物」を無条件に容認するものでは決してないが、この現状は、薬物の害を示すものというよりは、それが人間にとって<必要>であるという事実を、如実に訴えかけているのではないか?
現代の科学力をもって国家レベルで取り組めば、副作用のない「麻薬(魂に効くクスリ)」を作ることは、さして難事ではあるまい。安全に使用するためのガイドラインを作成し、必要なら指導に当たる人々を養成すればよい。
が、まずは魔女裁判じみた、狂気の弾圧・抑圧を、やめることだ。
◎彼女/彼らは、自[みずか]らの感ずるところに従って誠実に、活き活きと、生命力に溢れて生きようと望み、努力した結果、かえって世間から爪弾きにされた人々だ。
社会という巨大機械の部品となることを拒絶したため、不適格者の烙印を背負って生きることを余儀なくされた人々だ。
が、そのように「跳ねっ返る」ためには、「迷う」ためには、エネルギーが要る。勇気が要る。並々ならぬ好奇心が要る。
あらかじめ決められた枠組[ルール]から決してはみ出さ(はみ出せ)ず、ただ人に言われるがまま、命ぜられるがまま、唯々諾々[いいだくだく]と従うことならば、「羊」にだってできる。
迷える子羊[ストレイ・シープ]よ。
従順な99頭の羊よりも、私は、勇気ある反逆者である汝[なんじ]を愛する。
付記1:
思いがけずもいろんな人たちから、激励のメッセージが妻の元へ届き始め、これまで一面識もなかった人々までが私を応援してくださっているとの知らせを、最近、弁護士を介し、次々と受けるようになった。
中には裁判所へ提出する嘆願書を、私のためにしたためて下さった方までいらっしゃると聴き、感・動に打ち振るえた。
私が闇雲に<死>へ突き進まんとしているものと誤解し、死んではいけない、あなたにはまだこの世で果たすべき使命が残っているはずだ、などと強い言葉で励ましてくださる方もいらっしゃると聴いた。
『1万回の「愛してる」を、君へ』の連載が始まれば、そうした熱誠あふれる応援者の皆さんも、私がただ死なんがために死のうとしているわけでは決してないことを、少しずつ理会してくださると思う。
と同時に、観念論や見せかけでなく、リアルに死を覚悟し、常に死と共に歩むのでなければ、今私がやっていること、やろうとしていることは・・・決してできないことも、どうかご理会いただきたい。
何せ、してはいけないとされている禁止事項をことごとく破りながらの、極限の荒行・難行だ(アーカイヴ『太霊道断食法』参照)。
いつ何時、命を落としたとしても不思議じゃない。
が、観[み]よ! あの難攻不落の要塞みたいな警察本部が、今や(霊的に)グラリグラリと揺れ始めているではないか!
人々の熱き祈りが、私を満たし、私を護る力となっていることを、しばしば感じている。
本当にありがとう。心の底からの感謝を、皆さんに捧げます。
あなた方こそ、私が絆を結んでゆきたいと、かねてより熱願してきた人々だ。
私の同胞だ。
そしてどうか安心してほしい。
私はそう簡単にくたばりはしない。
私たちの勇気が、祈りが、重い扉を開くための最後の鍵となる。
付記2:
一昨日、府警本部内の例の診療所へ連れてゆかれた。
健康診断の結果は、「問題なし」。
が、体重を計って驚いた。1週間前にここで計った時と・・・・ほとんど同じ。その間、いうまでもなく何も食べていない。
一体これはどうなっているのか。
讃えるべきかな、龍宮の神。
<2013.11.03(断食41日目)>