Healing Discourse

ヒーリング随感5 第22回 守護の龍王

◎1ヶ月以上、ほとんど床(柔道用のビニール畳)に座りっぱなしでずっと執筆していたため、脚がすっかり弱り、数秒間片足で立つことすら難しくなった。
 ところが、そんな風に脚の筋肉が弱体化して初めてわかることがある。
 胴体の底が平らになっていて、そこから2本の脚が棒みたいに突き出している人間の姿を、小さな子供がよく描くが、すでに身体の仮想(非現実的認識)が始まっていることを示している。
 ご自身の脚(もも)のつけ根を観察すれば直ちにおわかりになる通り、立位時、そこは床に平行ではなく、まったく別の向きとなっている。
 当然、脚というものは、胴体の真下から棒のように真っ直ぐぶら下がっているのではなく、そこよりもっと高い位置、しかも斜め横から「生えて」いる。脚のつけ根は、胴体の下(底)には、ない。

◎このことは、すでに充分わかったつもりでいた。が、脚の筋力が落ち、幼少時代から始まった仮想の「根」が表面に現われてくると、その深いレベルにまで仮想身体のヒーリング(調和)が及んでなかったことが明らかとなった。
 先日の夜、それに気づき、布団の中で脚のつけ根に関する仮想をどんどん正していったところ・・・・これまで以上に頼もしい力が、両脚に漲[みなぎ]るようになった。
 それ以来、常に脚つけ根の角度に注意しているが、おかげで以前よりも全身のバランスが良くなった。
 1つ1つの動作がしっかりして、崩れにくい。
 片足立ちも軽々と、楽に、できる。
 腰を下ろした、いわゆる蹲踞[そんきょ]の姿勢で、目を閉じたまま、ずっとバランスを崩さないでいられる。

◎床に座りっぱなしの生活で脚が弱らなければ、決して気づけなかったであろう、根深い仮想だ。
 このように、ヒーリング・アーティスト(龍宮門徒)は、あらゆる状況を活用して、そこから学びを汲み取る。
 大きなマイナスを、大きなプラスへと、いつの間にか転換してしまう。
 時に私が、一部の人々から激しい憎悪を向けられる理由の1つだ。
 生意気なアイツが、今度こそ落胆の淵に沈み込むかと快哉[かいさい]を叫んでみれば、当の私は元気でピンピンしている上に、新しい宝まで手にして大喜びしているのだから。

◎これを記している今、留置場内における絶食50日目。
 今、普通の食べ物を普通に食べたら、場合によってはその場で死ぬこともあり得るだろう。
 実に奇妙な感じだ。
 命を養うはずの食物が、今の私にとっては<死>を招く媒体であるとは・・・・。

◎逮捕以来、ここまで取り調べを受けてきて、「事件」の複雑さをようやく理会するに至った。私が直接あずかり知らぬことであっても、「間接的、消極的に」関与した、という検察側のシナリオに沿って、私は裁かれようとしているらしい。
 取り調べの刑事らに対し、尋ねられるままにあれこれ答え、話をする。その中からいくつかの言葉をピックアップし、予断と先入観に基づき組み合わせる・・・と、こちらの意図とはまったく正反対の内容の取り調べ調書が出来上がる。私はプロの執筆家でもあるから、連中の手口がよくわかる。一旦出来上がった調書は、廃棄したり、作り直したりすることはもうできない。そうやって、どんどん「罪」がでっちあげられてゆくのだ。
 私が黙っている間に数ページの調書が勝手に出来上がったこともあった。あまりにもひどいから、署名を求められた際、隙をみて「私が沈黙している間にこの調書は出来上がった」と書き込んでやったら、それに気づいた刑事は怒り心頭に発して真っ赤になっていた。何せ、廃棄することも作り直すこともできないからね(呵々大笑)。

◎逮捕後、2日間、被疑者を勾留し、取り調べすることが、警察と検察には許されている。
 その後、さらに取り調べする必要があるかどうか、簡易裁判所で当人の弁解を聴いた上で、裁判官が10日間の勾留延長、あるいは釈放を決定する、というシステムとなっている。
 裁判所の待ち合い室で、手錠と腰縄をつけられたまま長時間待たされるのだが、その部屋の壁面に上記のことが大きな字でハッキリ明記されているのである。
 ところが、ようやく弁解聴き取りが始まってみると、一応こちらの話をざっと簡単に聴いてはくれるのだが、話し終わる前に、すでにプリントアウトされて印鑑まで捺された書類が取り出され、「ハイ、勾留延期」だそうな。
 私の話を聴いた上で判断するという話は、一体どうなったのか。
 一部の裁判官は検察の言いなり、思い通りといった信じがたい「噂」を留置場内で何度か耳にしたが、いくばくかの事実が含まれているのかもしれない、とすら思えてきた。
 1度などは「とんだ茶番ですね」と正直に感想を述べたら、裁判官がひどく怒り出して、取り乱していたっけ。
 私は逮捕後に、再逮捕されているが、2度とも、裁判所でまったく同じ「茶番劇」が演じられた。
 ちなみに、10日間の勾留期間が終了する前に、さらに10日間、勾留を延期するか否かを裁判所が決めるのだが、こちらについては裁判所におもむくまでもなく、自動的に「決定」の通知が留置場に届いた。
 さてさて、私の裁判の行方は、一体どうなってしまうことやら。
 ・・・・私は知らない。
 結果は私の関知するところにあらず。ただ坦々として、自らの信ずるところを主張するのみ。
 聖なる世界からの要請に応じて。

◎朝の洗面時など、「独房」の中で端座する私に対し、強面[こわもて]の「ヤクザ」たちが、檻の外からこわごわ中をのぞき込むようにしながら、遠慮がちに「お早うございます」と挨拶を送ってくれる。
 どうやら私が長期間断食しながら抵抗[レジスタンス]を続けているという話が、看守らを通じ収監者たちの間に広まりつつあるらしい。
 私も丁寧に、にこやかに、晴れやかに、挨拶を返す。
 何だか、彼らが親しい仲間のように感じられてならない。
 オレは、実は「そういう世界」向きの人間だったのかなあ。

◎寝転んであれこれ身体をゆっくり動かしながら、しかめ面をしてみたり、苦悩に顔を歪めてみたり、眉間にしわを寄せて憂愁に沈み込んでみたりすると・・・・とたんに動きが固くこわばるのがわかるだろう。
 表情をほんのわずか強調して、レット・オフすれば、顔だけでなく、全身が奥深いところから緩んでくるはずだ。
 伊豆七島の利島[としま]で出会った野生イルカが(目で)いわく、
「リラックス、リラックス」
「すべては遊び。神々の遊びだよ」・・・・と。
 岡本太郎のいわゆる「軽薄なその場限りのお遊びとは違う、命がけの真剣な遊び」。
 真剣で誠実だ。
 が、深刻じゃない。

◎ここ最近、肉眼では見えない龍の「ごとき」力・・・・あるいは意志・・・・が、私をぐるりぐるりと取り巻き、隙間なく取り囲んでいることを・・・・感覚を開放して四囲に意識を拡げるたびに、感じるようになった。
 最初は透明に近い、薄く透けて霊眼に映る程度だったものが、次第次第に形がハッキリしてきて、今では、ちょっと注意を集めさえすれば、「鱗[うろこ]」1枚1枚の細かい造形までが、内的視覚で明瞭にとらえられる。
 ゴータマ・ブッダを守護したナーガ龍王みたいに、瑞雲(五色の雲)のようなオーラを帯びてプラチナ色に輝く多頭の聖獣が、私を・・・・護っている・・・・???!!!

◎小笠原巡礼でイルカより学んだ、息を渦巻かせる呼吸法を使えば、龍王の力が螺旋状に身体内を巡[めぐ]り、還[まわ]る。
 私は龍のイレズミこそ入れてないが、身の外も内も、常に龍の力に浸[つか]り、満たされている。
 これは長期の絶食が生んだ妄想か、あるいは単なるイマジネーションか?
 ・・・・私は識[し]らない。    

<2013.11.12 断食 Day50>