文・音楽 高木美佳
※2015.02.25、インターネットを通じて発表された草稿と音楽を再録。
2023.12.08 記
夫が自宅で突然逮捕され、連れ去られるという出来事は、私が今まで生きて、信じてきたものすべてを否定され、貶められるに等しい体験でした。
2013年9月24日。無抵抗で逃げようとする意思などまったくないにも関わらず、みせしめということなのでしょうか、誇り高い夫は手錠をかけられ、腰繩をつけられた姿のまま、大阪水上警察へと連行されてゆきました。
部屋の中で独りぽつんと立ち尽くす私は、心にポッカリ空いたまま埋めることのできない虚無の空間を、夫への想いで満たそうと、必死にあがいていました。
こうなることを夫は半年近く前から予見し、それが信念を貫いて誠実に生きようとしてきた努力の結果であるなら、にっこり笑って受け容れるしかない、じたばた見苦しく騒ぐのはやめなさい、などとと周囲の人々にも厳しく注意していました。
「人は時として、生きることよりも、死ぬことを通じて、生命をより一層激しく鮮やかに輝かせることができるのだ」と静かに語りかける夫の態度からは、普通の人間なら当然あるはずのためらいや後悔が微塵も感じられず、目の前に確かにいるのにその内面では蛹が蝶へと変わるようなメタモルフォーゼのプロセスが進行しており、徐々にこちらの世界の住人ではなくなりつつあるような、どんどん透明になって消えていくような、そんなつかみどころのない奇妙な感覚にしばしばとらわれたことを思い出します。
逮捕から数日後に警察から電話がかかってきて、「ご主人が断食を続けている。何か好きな食べ物はないか?」と聴かれました。かねてから予告していた通り、夫が抗議の完全絶食に入ったのだとわかりました。
なぜそんなことまでする必要があるのか、と私は夫にすがりついて泣いたこともありましたが、返ってくる答えはいつも淡々としたものでした。
「それが私にとって、冤罪であるという事実と、自らの信念を主張するための唯一の方法なのだし、意識を換えることの神聖さと重要性には、命をかけるだけの価値が確かにあるのだと人々に伝えなければならない。」
「別に死ぬことを目的として断食しようというわけじゃないんだから、そんなに大騒ぎするのはおかしいじゃないか。でも、実際に死ぬ可能性もある。人はいつか必ず死ぬのだし、それは事故や天災などの形で明日やってくるかもしれない。いつ死と出合ってもあわてふためくことのないよう、常に心がけることは人が生きる上でとても大切なことだ。」
「私たちの個人的な生活は、シンプルであってもこの上なく素晴らしく、楽しく、喜びに満ちあふれたものだった。類い稀な美しい宝石を無数に連ねたような、この無上の素晴らしい暮らしを大義のため犠牲にすることは、それは個人としては心残りでもあり、愛する者を残して去らねばならないことほど辛いことはほかにない。だが、大局から観てそれが最も正しい選択であるとの確信を持てたなら、その苦しみを悦びに変えることができるのだ。」
夫は、感情に乏しい、無機質な人間ではありません。それとまったく正反対に、燃え盛る炎のような激しさとこの上なく優しい繊細さとを同時に併せ持つ、情熱的でロマンティックな人なのです。
その夫が、生の悦びも死の恐怖も超越してしまって、自分の死についてまるで他人事のように話す時、宇宙の深淵をのぞき込んでいるような神秘的な印象に、私はいつも圧倒されるのでした。
夫が連れ去られた後、接見禁止命令(弁護士以外、誰とも面会できず、手紙のやり取りもできない)がいつ解けるかさえわからない中で、1日、また1日、と過ぎていくたびに、夫の命が縮まり、このまま2度と逢うことなく、私を残して逝ってしまうのではないか・・・、と自分自身の中にある不安や恐怖と戦う日々がずっと続きました。
そうした不安を、誤摩化したり、否定することはできませんでした。
それは本当の「愛」でなく、「執着」に過ぎないと言われても、夫のいない世界で独り生きていくことに、どうしても意味を見出せずにいたのです。
家宅捜索時に、乱暴な態度の大勢の男性たちが、(逮捕状を示すことさえなく)無理やりサンルームのドアをこじ開けて庭から押し入ってきたため、猫たちは怯えきって、しばらく2階にある寝室のベッドの下に隠れたまま出てきませんでした。その出来事はいまだに猫たちのトラウマとなっているようです。
時折何かのきっかけで、急に怯えたようになり、「恐い人たち」がいないかどうか家中を確かめて回る猫たちに声をかけても、まったく耳に入らないようで、そんな姿を観るたびに、家宅捜索以前にはこのような行動は一切なかったことが思い起こされ、あらためて心の傷の深さを思い知ります。
夫は家宅捜索の時も、いつもと変わらず落ち着き払い、丁寧に対応していましたが、私は怒りと敵意で全身が燃え上がりそうになっていました。
なぜ、私の夫がこんな目に遭わなければならないのか、現実と向き合う心の準備ができていなかったのです。
出合って一緒に暮らすようになってから随分長い年月が経ちましたが、その間夫はいつも他者の幸福に気を配り、自分のことは常に後回しでした。そんな人が、どうして、こんな理不尽な目に・・・。
私はそれまでずっと、夫の庇護下で、大切に守られて生きてきました。
でも、私を守ってくれる人はもうここにはいない。
その事実から目を背けず、向かい合った時、これからは逆に、私が夫を守るのだ、という狂気にも似た思いが湧き上がってきたのです。
それはただちに、夫の命を何としても救う、という強い決意へと高まっていきました。
私がもっと「できた妻」であったなら、「どうぞ、信念のために命を捧げてください。私は遠くから観守っております」と毅然として言えたことでしょう。
しかし私にはそれができませんでした。ただひたすら、夫への想いを温め続け、いつか必ず夫が戻ってくることを念じていたのです。
そうした、嵐のように揺れ動く精神状態の最中にあって、夫の逮捕以降、創作する気にすらなれなかった音楽が、ある日突然私のもとにやってきました。まるで、「これを歌いなさい、創りなさい」と、芸術を司る女神が語りかけているかのようでした。
芸術の女神に導かれるようにして、自然にあらわれてきた新曲が、すでにインターネット上で公開した『1万回の「愛してる」を、あなたへ』と、今回ご紹介する『愛のうた』です。
それまで私は、歌詞のついた曲を発表したことがありませんでした。
言霊の使い手である夫に、常々、「くだらない文章は書くな」とたしなめられており、言葉にはかなりのコンプレックスを持っていたからです。
これまで一度も聴いたことがない楽曲が、突然内面的に聴こえてくる現象を、私は時々体験するのですが、それが私の音楽創作の源泉となっています。
以前は曲が聴こえるだけだったのに、『1万回の「愛してる」を、あなたへ』と『愛のうた』の場合、歌詞とメロディーが同時にインスピレーションとして訪れるという初めての経験をしました。
これはもう、言葉づかいが下手だろうが何だろうが、創って発表するしかない、と決意する以外に道はありませんでした。
愛する人への想いを綴る歌であり、歌を通じて、たくさんの人たちに夫の活動を知ってもらいたいという祈りによって、これらの曲は完成したのです。
幼少の頃から音楽の世界と関わって生きてきた私にとり、他にない、自分だけのオリジナルな音楽を創作することは、見果てぬ夢であり、憧れでした。
夫と知り合い、「音楽のことなど何一つ知らない完全な素人」を自称する夫が、シャーマニック・セッションで変幻自在に紡ぎ出すドラムやディジュリドゥー(オーストラリア先住民の原始的な管楽器)、岩笛(古神道の降神術で用いられる自然石の笛)などの、魂を揺さぶる音色に衝撃を受け、それまで培ってきたものをすべて手放し、捨て去ることを決意しました。
友人たちと一緒に盛んに行なっていたライヴ活動もやめ、音楽関係のアルバイトもやめ、外部への働きかけを一切封じて、ひたすら内面世界の探求に重きを置いた結果、捨てたはずの音楽がまったく新たな装いと共に自ら戻ってきて、私独自の音楽世界が自然に開かれることとなったのです。
そのように導いてくれた夫には心の底から感謝しており、いつも、何か恩返しをしたいとずっと思ってきました。
これまでの修養の成果をすべて結晶化させ、愛と祈りの音楽を、遠くはなれた夫のために歌い、贈る・・・それが今の私に、唯一できることではないか・・・。
そんな思いに突き動かされるようにして完成した『1万回の「愛してる」を、あなたへ』と、『愛のうた』を夫が実際に聴いたのは、保釈後に広島で行なった支援感謝のライヴの場でした。
その時、広島に移ってから1度もライヴを開いたことがなく、夫の前で歌ったこともなかったことに、突然気づいたのです。
この歌を、生きて、夫もともに味わえる歓びに、私は文字通り天にも舞い上がる心地となりました。その歓びと感動は今もなお、これらの曲を聴くたびごとに、私の心を揺さぶり、涙を流させるのです。
裁判(大阪高等裁判所での控訴審)の判決を目前に控えた今、私は龍宮館のリビングで、また買い物のため行き来する車の中で、いつもこの曲を聴いています。
夫への愛をいつも自分自身の裡に燃え立たせ、愛の火を絶やさないために・・・。
そして、「愛してる」と言葉に出しながら、心と体のすみずみまでを愛で満たします。
私たちの未来が、愛で満ちあふれますように。
世界中の人々、命あるものたちが、愛のヴァイブレーションに包まれ、歓喜と感謝の中で生きられますように・・・、と。
事件が起こった当時のヒーリング・ネットワークの内情をよく知る友人たちは、「裁判の場で証言することを先生はついに許してくれなかったけれど、自分たちが知っている真実をありのままに記した陳述書を裁判官に送ることくらいはできるのではないか」、などと相談し合ったそうです。
しかし、それを私が告げると夫は、「決定的な無罪の証拠でさえすべて却下されたのだから、今さら陳述書を記しても徒労に終わるだけであることは火を見るよりも明らかだ。それに、この期に及んでなお弁解を重ねるがごとき態度は見苦しい限りじゃないか。私たちは信念に基づいて行動してきたのだから、どうか寛大な判決をお願いしますとか、少しでも刑罰を軽くしてやってくださいとか、そんな卑屈な言葉は絶対に使ってほしくないね!」と、にべもなくはねつけてしまいました。
この裁判が一体どのような結末を迎えるのか、弁護士ですらまったく予想がつかないといいます。私たちはこの先、一体どうなってしまうのだろう・・・。そんな不安に胸を締めつけられることもたまにあります。
『愛のうた』は、愛を生き抜こうとする決意を歌う曲です。
愛があふれて こぼれそうな時
あなたのために うたを歌うわ
悲しみの涙も 苦しみの叫びも
歓びに変わるうた
愛のうたを歌おう
あなたに届くように
愛が遠くて 壊れそうな時
あなたのために うたを歌うの
寂しさに負けそうな 眠れない夜にも
口ずさむ愛のうた
祈りこめて歌おう
あなたを愛しているから
愛のうたを歌おう
あなたに届くように
<2015.02.25 霞始靆(かすみはじめてたなびく)>