ヒーリング・フォトグラフの新世界

高木一行

※[]内はルビ。

 ヒーリングとは・・・・、生と死を共に超える、永遠[とわ]の<いのち>だ。
 ヒーリングを呼び招く。
 それをわが身の裡[うち]の奥深くへと受け容れ、聖妙なるエクスタシーの振るえに、全心身をもって満たされんとする・・・。
 そうした祈りのごとき営み。それがヒーリング・アーツだ。
 ヒーリング・アーツによって、人は活気づけられ、慰められ、新勇気を吹き込まれる。
 自分を信じ、頼る気持ち(自信)が、体のすみずみの細胞レベルにまで充満していく。いのちが、膨らむ。

 ヒーリング・アーツの実践を通じ、感覚の解像度・粒子レベルがあがっていく。すると、これまで周り中いたるところにあったのに、まったく気づくことができなかった・世界の「美」や「驚異」を、あなた自身の五感でありありありと感じられるようになってくる。ヒーリング・アーツを使えば、感覚同士を複合共振させることもできる(シネセシア)。
 美しい。
 それ(ヒーリング)は、「美」そのもの、美のエッセンスにほかならない。ヒーリングとは美だ。
 美とは、・・・そもそも一体何なのか、自らの内面を深く掘り下げつつ問うたことがある人は、案外少ないのかもしれない。それは、<愛>同様、自ら体験し味わうことによってのみ知り得る、ある種の「質」なのだ。
 ヒーリング・アーツにおけるアーツ(アート:Art)は、こうした<美>に対し、宗教的な敬けんさと科学的な客観性のバランスを図りながら、波動関数的に(波動現象として)取り組んでいこうとする営みを指す。
 ヒーリング・アーツのアートとは、芸術であると同時に、術[わざ]だ。「技」ではなく「術」と書くのは、それが小手先のテクニックを超えた、その人のあり方の全体性を指しているからだ。

 ヒーリングは、様々な形(アート様式)を通じて自らを表現しようとする。その表われ方には、ほとんど無限といっていいほどのヴァリエーションがある。
 そして今、<ヒーリング>は、写真術という思いがけない分野を通じ、新たなヒーリング・ウェイ(実践と学びの有機的システム)となって、この世に顕現しつつある。
 それが、ヒーリング・フォトグラフの<道>だ。
 
 あの縄文土器を創った古代の人々が、最新のデジタル一眼レフカメラとコンピュータシステムを与えられ、それらのツールを駆使しながら自らの裡なる芸術衝動を表現せんとしたならば・・・・、このようなものを産み出すかもしれない、・・・そんな風に思わせるようなもの。
 それが、ヒーリング・フォトグラフだ。実物をごらんになれば直ちにおわかりになるだろうが、普通の写真とはまったく異質なものであり、極めて呪術的かつ魔術的かつ神話的な要素に充ち満ちている。
 エロスとタナトスが絡まりあうような妖しい魅力が、ヒーリング・フォトグラフにはある。

 ヒーリング・フォトグラフとは、超時空の精霊(カミ)の姿を、光のエッセンス波紋として写し撮ろうとする試みだ。神々と交信する21世紀式のやり方、という意味で、シャーマニック芸術と呼ぶこともできるだろう。
 ヒーリング・フォトグラフをある特殊なやり方で「みる」と、心身に精霊的感応が起こってくる。この驚くべき事実を、私たちはつい最近、発見したばかりだ。
「実験」を開始して現在に至るまで、わずか数ヵ月が経過したに過ぎない。が、知人・友人たちから(膨大といっていい量の)体験報告が、今も、続々と、寄せられつつある。
 何か、普通でないことが起こっている。それだけは確かだ。

 ヒーリング・アーツを使って神経系を超意識モードに調律する・・・と、内的な波紋体験が、様々な形で生理的・神経的に惹起されてくる。その生命の質感を帯びた光の波紋に導かれるがまま、ヒーリング・アーツの流儀でカメラをホールドし、ファインダーをのぞき、シャッターを「斬る」。すなわち、ヒーリング・アーツの原理を応用しながら、写真を撮る。
 これが、ヒーリング・フォトグラフの原理だ。
 人間をモデル(帰神媒体)として用いる場合、そのモデルがヒーリング・アーツ原理で姿勢を取り、動くのでなければ、霊妙なる神明世界の形姿は決して写真上に表われてこない。その意味では、神や精霊の世界と現代的な感性・知識に基づき交信するための神聖舞踏、とヒーリング・フォトグラフをみなすこともできるだろう。
 ヒーリング・フォトグラフが写し撮ろうとするものとは、超時空世界から感応的に送られてくる波紋情報だ。それは、(広い意味での)舞となってこの物質世界に顕[あら]われる。世界は、カミと感応・交合しながら、舞っている。
 宇宙万物の舞を斬り撮るヒーリング・アーツ流・写真術。名付けて<ヒーリング・フォトグラフ>。

 これにより、私たちヒーリング・アーツ修養者が神聖ヒーリング世界の奥殿にて感じ、みている神秘世界を、かなりリアルに写真画像として表現し、伝えることができるようになった。
 私がこれまで、ごく少数の人々のみとしか共有することを許されなかった霊的神秘体験を、より多くの広範なる人々と分かち合うことが、ヒーリング・フォトグラフにより、初めて可能となった。
 神が空間に降臨する、・・・・ヒーリング・フォトグラフのファン、マニアの中には、自らの体験に基づきそのように真面目に唱える者も少なくないようだ。
 そうした形(写真を含む)に宿る神性を、私は南太平洋文化圏への郷愁的共感に基づき、<マナ>と、しばしば呼んでいる。
 私が言う神(マナ)とは、キリスト教的なゴッド(天主)・唯一神のことではなく、アニミスティックな汎神、やほよろずの神々的なカミ、豊穰なる波紋的超生命のことだ。私が今後使用するであろう「超越世界(超越界)」という言葉は、私たち人類を取り巻く「環境」を、秘め隠されし次元にまで敷延[ふえん]した多元的多層概念を意味する。

 生命[いのち]の波紋こそ、ヒーリング・フォトグラフが最も関心を寄せるものだ。
 ヒーリングの分かち合いの、従来とはまったく異なる方式・様式が、新たに鮮烈に、啓[ひら]かれつつある。現在も、次々と、陸続と。
 1つの道が神明によって拓かれるというのは、まったくもって只事ではない。
 尋常ならざる事態といえる。

 さあ、これより、ヒーリング・フォトグラフの玄妙なる世界へと、皆さんをご案内しよう。
 ヒーリング・フォトグラフは新しい形態のアート(芸術)なので、それに光学的情報として記録されたある種の<クオリア(質)=ヒーリング作用>を身に受ける(視覚を介して身体内にダウンロードする)ためには、ちょっとした基礎的な訓練が必要だ。
 そうした、いわば審美眼の開発法(!)も、写真作品の発表と共に、少しずつご紹介していこうと思っている。感動開発法(!)も、あわせて伝授予定だ。

 ヒーリング・フォトグラフの新世界へ、ようこそ。

<2011.02.26 草木萌動(そうもくめばえいずる)>

 高木一行[たかきかずゆき]& 高木美佳[たかきみか]

 ヒーリング・ネットワークという共有ヴィジョンの元、いやしの芸術の道・人生を共に邁進中。2010年秋、期せずして、めおとで取り組んでいくべきヒーリング・フォトグラフの道を超越的に開示され、現在、その神秘世界を、驚きの目を瞠[みは]りつつ共に探検しつつある。広島県在住。

『マッシュルーム・マン』
スライドショー1-26<精霊顕現>より)
『龍田姫』
スライドショー1-3<龍田姫>より)