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高木一行
※[ ]内はルビ。
ヒーリング・フォトグラフという新しい<道>が本格的に開幕したことを高らかに告げる、記念すべき作品群が、これだ。
撮影者は、妻の高木美佳。それ以前にはカメラの構え方さえまともに知らなかった、岡本太郎のいわゆる「絶対しろうと」だ。
何か、ただならぬことが、起きた。
当人も、「奇跡が起こった」と感激のおももちだ。
詳しくは妻の「ヒーリング・ダイアリー」(第2回)や私の「ヒーリング随感2」(最終回)をご参照いただくとして、この最初のヒーリング撮影に成功して以来、まったく突如として、魂を直撃する斬新な画像芸術を、彼女は次々と産み出すようになってしまったのだ。
その日(2010.10.15)、私たちは夜の帳[とばり]が下りると共に、冷水を浴び、衣装を整え、自宅隣の天行院(プライベート道場)へと向かった。
私が、ヒーリング・アーツによる「カミ映し」の態勢へと入っていく。・・・その様を、妻がヒーリング・アーツの流儀で写真撮影する。
「ここぞ」と感じられる処[ところ]、「ぐっ!」と来るもの、打ってくる感じ、そういったものに対し、自らの裡へと意識を反転させつつ、シャッターをスピリチュアル(心身即応的)に斬る。この時、呼吸は自ずと停止する。
「これだ」という瞬間と、「撮れた(カメラの裡に納めた)」という確信めいた感覚とを、生まれて初めて感じたと妻は言った。
しかし、その結果として、まさかあそこまで迫力ある作品群が出来上がってこようとは・・・。私も妻もまったく予期してなかった。
あの撮影時、ひたすら「空[くう]」であることに自己責任的に委ねようと、私はしていた。「器」となり切ること(これをレット・オフという)。
その聖杯的な受容性へと注ぎ込まれるようにして、私の元を訪れ、舞を通じて語り合った様々な神話的感覚——虎のスピリット(干支動物)や密教的な明王の力などによる、 魔を退ける破邪顕正[はじゃけんしょう]のヒーリング作用——が、驚くほど鮮明に、呪術的に、見事に、妻の写真には写し撮られていた。
絶対しろうとの作品だから、ピンボケとか手ブレとか構図がどうとか、そんな皮相的なことには一切執着・頓着しない。
重要なのは、私の裡で流動・循環する生きた光の波紋が、 これらの写真には(光学的情報として)活き活きと活写されているという事実だ。
外側の姿形ではなく、内なる超越性を写し、表わすことが、ヒーリング・フォトグラフには、どうやらできるようだ。誤解を恐れず敢えていうなら、それは大胆不敵にも、<カミ>を写し撮ろうとする試みである、といえよう。カミの姿を、ではなく、カミの本質を、だ。
この場合のカミとは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教的な絶対神のゴッドではなく、アニミズム的・シャーマニズム的な(ただし現代の高度な知性と合理性に裏打ちされた)スピリット体験を意味する。
ヒーリング・フォトグラフ道にかける妻の情熱は、半端なものじゃない。 真冬の夜中に雪がちらつく中で長時間戸外撮影していても、(私同様)寒さをまったく感じないそうだ。「第二の人生が始まった」と、本人は笑いながら話している。
ファインダーをのぞく目を、旧来とは替えてヒーリング撮影を行なうようにした結果、3〜4ヵ月の短期間で、何と「利き目」まで入れ替わってしまったから凄い。
モデルと撮影者の役割を交互に入れ替え、あるいは共にそれぞれのカメラを構えて同じ被写体に向き合うなど、夫婦共同で私たちは、今、ヒーリング・フォトグラフの道を、新たに切り開きつつある。ヒーリング・アーツの新しい可能性が、比翼連理的創作というまったく思いがけない形で私たちの前に顕[あら]われてきたことは、妻にとっても私にとっても真なる驚きだ。
ここは、超時空写真館。
私たち夫婦の、共同創造の歩み。
ギャラリーを観てからライナーノーツを読まれるも良し、読んでから観るも良し。何度も繰り返しリピートして観るも良し。
呪術的ファクターがそこここで騒ぎ踊るヒーリング・フォトグラフの世界を、どうぞご堪能あれ。
<2011.03.03 ひな祭り>
付記:ヒーリング撮影で使用した五鈷杵は、2010年度のインドネシア巡礼中、あたかもそれが聖なる下賜品ででもあるかのように、一種啓示的に、私の手へと渡ってきたものだ。
関連記事は、ディスコース『ヒーリング随感2』(第12、13回)にて。