スライドショー3-1 <ボルネオ巡礼:2011 第1回 ゆるしの海に抱かれて> 撮影:高木美佳&一行 2011.08.30〜09.08

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ライナーノーツ

高木一行

ボルネオ巡礼:2011 撮影:高木美佳&一行 2011.08.30〜09.08
第1回 ゆるしの海に抱かれて

 マレーシア領ボルネオへ、巡礼とお礼参りを兼ね、妻の美佳と共に、また行ってきた。
「お礼参り」というのは、ヒーリング・フォトグラフ道を始めとする素晴らしい生命[いのち]の神宝の数々を、一連のボルネオ巡礼を通じ授かってきたからだ。これだけの恩恵を蒙[こうむ]っておきながらお礼参りを怠るとしたら、それこそ失礼・無礼の極みといえる。
 そのお礼参りのための再訪地として、ボルネオ巡礼を開始したシパダン島を、私たちは選んだ。注1)

 私たちは、全身まるごとで・・・体の表面だけでなく、水の抵抗を通じて身体内においても・・・シパダンの海を感じていった。
 皮膚だけでなく、肉でも筋[すじ](腱)でも膜でも骨でも、慎重に感じ確かめた。ヒーリング・アーツを使えば、そういうことが実際にできるようになる。
 念のため、シパダンで5度、ダイブするたびごとに確認した。
 シパダン周辺の海水の質は、信じられないほど・・「柔らか」だ。

 私たちを受け容れ、取り巻く水は、驚くほど・・・柔らかにして、こまやか・ひめやかであり、・・・そして・・・限りなく優しかった。
 大いなる太初の慈母に抱[いだ]かれる原初の赤子のごとき、やすらかさ、自己存在感の希薄さを、毎度感じた。
 これは・・・ニルヴァーナ。

 この特別な海の質[マナ]を、この1年間錬りに錬った帰神フォトの術[わざ]をフル発揮しながら、斬り撮ってきた!! 
 観の目でこれらの写真をごらんになった皆さんには直ちにご同意いただけると思うが、シパダンの海は宇宙の生命力を受ける聖杯のような役割を、地球上において果たしている。
 帰神フォト中にて燦々[さんさん]と降り注ぎ・きらめいているあの生命[いのち]の光こそ、私たちがシパダンの海にて感じ・得たものだ。
 
 2ヶ月前に巡礼したパラオの海の質は、まったく違っていた。
 その2ヶ月前に行ったエルニド(フィリピン)も全然違う。
 これまで私が確かめた限りでは、どの場所の海も、それぞれ異なる独自の質感を備えている。
 例えば、沖縄の宮古島の海の感触を一字に集約するとしたら、私は「母」を躊躇[ちゅうちょ]なく選ぶだろう。あそこの海中にて、母胎の裡でやすらぐ胎児のごとき意識を、私は皮膚を通じ感得したことがある。
 そんな風に、皮膚を介して、海の質の違いを実際に感じることができる。
 これは、分厚いウェットスーツで全身の皮膚を締めつけるスクーバダイバーには閉ざされた、海中の楽しみの1つだ。
 私がスクーバダイビングに敢えて背を向け、シュノーケリング(スキンダイビング)にこだわり続けるのには、こうした理由[わけ]がある。
 
 私は、いろんな海の質を肌身で感じ、それぞれ一つの漢字として結晶化させるアートプロセスを、これまでずっと楽しんできた。
 これは結構面白い。文字の起源神話的な、その文字の魂ともいうべき根源的本質(意味の質、言葉のクオリア)と直触するスリルを味わうことができる。
 いわゆる「言霊」とは、これだ。
 人間を他の全動物と区別する特徴、すなわち「人間らしさ」の1つは、疑いようもなく言葉による会話(現在同士の交信)と文字による記録(現在同士及び過去→現在→未来への伝達)だろう。これこそ、人間だけが突出して持つ生物学的特徴の最たるものといえる。
 お気づきだろうか? 考えることも、言葉(記号)に基づいて行なわれる。 
 その、人間にとって非常に大切な言葉の、最もエッセンシャルな、いわば魂に相当するものが、私の言う言霊[ことだま]だ。
 私がアート活動の一環として綴っているディスコース・シリーズは、すべてこの言霊に基づき、執筆されている。
 ディスコースに限らず、本ウェブサイト内の私のすべての文章もまた、言霊をベースとする一連のアート作品だ。

 私と妻は、トータルないやしと感・動とが一つにフュージョンする経験を観照者に与えるような、そんなまったく新たな形態・様式の芸術作品を、今、次々と生み成し、ヒーリング・ネットワークを通じ発表しつつある。
 武術とか健康法とか能力開発法とか心身探査法とか、そういった枝葉末節[ゴール]に強調点がある通常の「道」を超越して、武術のアート(芸術)、芸術的健康法、etc.・・・・・など、アート(プロセス)の方に重きを置く新しい「道(生き方)」を、私たちは提唱しようとしている。

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 特別チャーターしたボートから「おばあさんのようにそっと」(ウィラード・プライス)海へすべりこんでいった、次の瞬間、目の前にぬっと銀色の壁が立ち上がった。
 その構成単位は、・・と「見」れば、パラオでも最初に歓迎を受けたギンガメアジたちだ。この魚は、目の後ろの黒い小斑で他の近似種と区別できる。
 
 生きて流動・循環する有機建造物の「壁」が、ぐんぐんどんどん、このままではぶつかってしまうのではないかと思えるほど、近づき迫ってくる。
 近い、近い、近すぎるほど近い。が、決してこちらと触れ合ったりしない。
 群れがいったん崩壊し、個々の魚へと分解還元しながら、私たちをすり抜けていく。
 そうして行き違いつつ、次なる群れのフォーメーションが新たに流動的に造り成されていく。
 変形・合体自在の巨大生命構造体が、私たちを何度もよぎり、交わし、取り囲む。そして、ぐるぐるぐる、回る廻る。
 一体何のために? ・・・私にはわからない。
 だが、危険な感じは一切しない。『ボルネオ巡礼:2009』でもご報告した通りだ。

 魚たちが、一斉に、統一を乱さず、様々な形を波紋的に生み出し、折り重なっていく。
 ぐるぐる、さらさら、にぎにぎと、空間が魚で埋[うず]め尽くされていく。
 ヴェールにヴェールを織り重ねる、龍宮レヴュー。
 気づくと、私たちは、そのまっただ中に迎え入れられていた。
 私たちのまわりで魚たちが舞っているんじゃない。
 私たち自身も、その舞の一部だった。
 私たちも、群れの一員だった。
 これは、「実際に体験してみないことには想像もつかない」「凄い」体験だ。
 
 時折、群れからはずれ、横や下、斜めなど、いろんな角度からこの生きた生命マンダラと向き合っていった。
 海底から魚の大群をみあげるなんて、完全な「非日常」の体験だ。
 空に浮かぶ魚たちの、そのさらに上に奇妙に波打ち揺れる膜のようなもの(海面)があって、陸上[アチラ]でソラとかクモと呼ばれている不可思議なシロモノが、界面膜を通じ彼方に透[す]かしみえている。そんな光景は、地上にはない。
 シパダンに向かう途中、空中ジャンプを繰り返しながら移動していくイルカの大群と遭遇したが、私が思うに、イルカたちはそうやって「非日常(海上世界)」へのジャンプ(超越)体験を楽しんでいるのではないか?  

 ふと、かたわらに目をやったら、大きなウミガメがすぐそばをゆったり泳いでいた。
 そんなことが実際に、しかも日常茶飯事の如く起こるのが、シパダンというところだ。
 ここを行き交うたくさんのウミガメたちのまなざしの、何とものうげで、やさしげなことよ。
 私たちの真下の海底にゆっくり潜行していったと思うと、岩陰にてじっと動きを止めてしまった大ウミガメもいた。
 一体何歳[いくつ]になるのだろう、ただならぬ老成ぶりを感じさせる巨大なプニュウ(マレー語でアオウミガメ)。
 潜行し、そっと近づいていって半眼の目をのぞき込んだ・・・・ら、そこには外界の何ものも映し出されてはいなかった。
 瞑想者特有の目。この大ウミガメは海の底で、深い瞑想に耽[ふけ]っている。
 そのままゆっくりカメラを構え、帰神モードで祈念[きねん]撮影。

 いったん浮上して息を軽く整え、周囲をざっと見回して状況チェック。自分と妻、ボート、島、ガイド、などとの位置関係を確認した。これは、シュノーケリング中、必ず定期的に行なうべき作業だ。慣れない場所では、潮流の強さや向きも頻繁に確かめる必要がある。

 私がギンガメアジを帰神撮影していたら、海底で昼寝するネムリブカを、妻が発見して教えに来た。海面からの目視によれば、体長およそ1メートル。
 遠間[とおま]からそっと慎重にアプローチしていき、祈念の帰神写真を1舞。

 いろんな群れを作る小魚たちも、我々<絶対シロウト>にとっては、ひどく珍しくて面白い。これまで帰神フォトに収めたことがないような種類もいっぱいいて、妻が盛んに帰神撮影していた。

 前述したように、シパダンの海は驚くべき柔らかさの質を備えている。
 そして優しい。
 これは、水中に潜っていく時の感覚にもダイレクトに反映されてくる。
 シパダンの海ほど、すんなり滑らかに潜れる海を、私は他に知らない。
 シパダン島からボートで約30分のマブール島の海の質は、シパダンと共通する柔らかさはあるものの、もっと粒子が荒くてざらついた感じだった。

 こうしたシパダン特有の海の質(マナ)を、私は<容[ゆるし]>という文字へと呪術的に集約する。
 シパダンの海は、ゆるしの海だ。
 限りなく優しく、柔らかく。かの海は人を抱[いだ]く。
 私たちは、ただただ、それに委ねさえすれば、それでよい。
 慈母に抱かれる赤子の安らぎが、満身の細胞レベルにまで浸透していくに任せつつ。
 私は、<容[ゆるし]>という神聖象形文字をパスワードとして、シパダンの海の質を随所で体感することが、今や自在にできるようになりつつある。
 それを、ヒーリング・タッチを通じ、他者と分かち合うこともできる。これは文字(漢字)の呪術的使い方の一例といえよう。

 このたびの巡礼では、『ヒーリング随感3第6回にてすでにご報告した通り、はなから思いがけぬアクシデントに見舞われ、極めて不利な条件下での海中帰神撮影を強いられた。
 が、一貫してレット・オフを心がけ、与えられた条件を精いっぱい活用した。そして、夫婦で一台のカメラを分かち合いながら、ヒーリング撮影を粛々として執り行なっていった。
 その成果を、観照者であるあなた方一人一人の内面世界を通じ神明へと捧げるべく、妻と私は、本シリーズ第一弾をうやうやしくここに提げ示すものである。

 スライドショーとクロスオーバーしてお届けするのは、2009年度のボルネオ巡礼を契機として、妻が創作したヒーリング楽曲『プラウ・シパダン』の冒頭部分。

<20011.09.09 草露白(くさのつゆしろし)>

注1:ボルネオ巡礼のこれまでの経緯については、ヒーリング・ディスコースの『ボルネオ巡礼:2009』及び『ヒーリング随感2』(第18回〜22回)に詳しい。

※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回第6回第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4