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高木一行
遥かなる憧れの島、マブール。
視界の中の何か1点だけを集中して見れば、他のものは注意を引かなくなる。そういうみ方を、見[けん]の目という。
見の目を強調してサクリファイス(手放)し、静かにレット・オフに委ねている・・・・・と、極めて短時間でみえ方そのものが変わり始め、「全体像」が浮かび上がってくるのがおわかりだろう。これが観の目だ。
観の目は、全体像を知るためのみ方といえる。
視界の中のすみずみまでを同時に、建築学的に把握するためには、どうしても中心点(視点)が要る。そこでヒーリング・アーツでは、視点をまず定めておいて、そこに四方八方から注意を集中し(見つめ)、その集中のみをオフにすることで(視点は変えない)、観の目を惹起しようと図る。
とりあえず、2次元(平面)のレベルで充分だ。
成功すると、巷[ちまた]の3D映像よりもっとリアルに立体的に、生々しく、まるで本当に「生きて」いるように、帰神フォトに映し出された世界が「観えて」くる。
観の目あってこその、帰神フォトだ。さもなければ、3Dメガネなしで3D映像(の元)を見るのと同じになってしまう。
観ながら、「うなる」のも非常によろしい。時折、かしわ手を打ち鳴らしながら。
うなり(ハミング)のヴァイブレーションを、観ることそのものに響かせるつもりで。 これは、感・動養成法の一手だ。
すると、本当に神経に響いて、みえ方が変わる。さらに立体的になり、さらに生き生きとしてくる。
見事に、びっくりするくらい。
もう、こうなると笑い出すしかない。
宇宙的愉快を大いに笑おうではないか。かしわ手を打ち鳴らしながら、共に。
帰神フォトに映し出されている世界(画像)が揺らいだり、うごめいたり、息づいたりしては・・・「いけない(=写真は決して動くものではない)」という、その思い込みも、この際レット・オフしてしまうといい。
生きて脈打っている「あなた」が、視覚という体験を、今生きているのだ。その視覚(あなた)が生きて脈動して、なぜ悪い?
・・・・・・・・・・・・
次回は、ボルネオ巡礼:2011の特別編として、マブール島で妻が啓発された帰神フォトのさらなる新境地を、皆さんにご紹介する。
<2011.09.25 雷乃収声>
※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011』
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話』
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回、第6回、第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4』