Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション2 第八回 死は最も親しい助言者

◎2021年12月29日深更・・・過去にいろいろ体験してきた相当印象的な霊的出来事ですら、それが起きた日付を記録、あるいは記憶しようという気にならなかったというのに、この件に関してはそうではない、ということは、(私にとり)よほど珍しかったのだろう。
 瞑想が深まり、心身の振動数が細やかに・さらに細やかに・・なっていって、臨界点を超えた、と感じた、その瞬間、ふっ・・と、息が止まった。
 それだけなら別に珍しくもなんともないが、そのままどんどん時間が過ぎてゆくのに、いつまでたっても苦しくならないのである。素潜りの経験が40年以上あるから、長く息を止めているとどのあたりでどんな苦しみが起こってくるものか、よく知っている。
 それなのに、・・・全然苦しくない。
 苦しさを意図的に再現しようとしても、すっと力を抜くと楽になってしまう。
 このまま続ければ死ぬのだろう、と他人事みたいに感じられたが、それでは呼吸を無理に再開するとどうなるのか、と実験的に試してみたところ、何事もなかったかのように再び自然に、息が出入りし始めた。

◎この、ちょっと不思議な現象を通過した、たったそれだけのことで、<死>に対する感じ方が驚くほど変化した。そうと気づくことなく、これまでなかったほど近く、死に近づいていたのかもしれない。
 個人としての死など、もうとうの昔に全面的に受け容れたと思っていた・・・のだが、「どうせ死ぬのであれば意義ある死を死にたい」とか「死後に何か価値あるものを社会に残すためには」とか、そんなくだらん・瑣末さまつで・無意味なことに、深くとらわれていたと気づいた。
 とらわれ・・・そうとしか言いようがない。なぜなら、「何をも残す必要なし!」「死に意義など見出そうとする必要なし!」「静かに宇宙へ溶けて消えてゆくことこそ最高・最大・最後の大恩寵!」と深く納得した瞬間、全身あちこちの奥深くに巣くっていた重さ、滞りが、みるみるほどけ、どんどん楽になっていったからだ。
 重いとも滞っているとも感じてなかった、それらのブロック(こわばり)を、以前の私は義務とか責任などと取り違え、自分で自分をがんじがらめに締めつけていた。
 実に馬鹿馬鹿しいことだ。
 この小さな悟り以来、死が、かつてなかったほど純粋になったと感じている。死は、私の最も親しい助言者だ。

◎人類の死(絶滅)については、第四回で述べた。
 同様にして、過去20年心血を注いできたヒーリング・ネットワークについても、「末長く残さねば」とか、「後継者を育てねば」とか、あれこれ考え・願うこと、それ自体が囚われを生み、苦しみの元となることが、腑に落ちて理会された。
 しかるべき時が来れば、死ぬ(終わる)のが自然なのだ。何事も。何者も。
 間もなく62歳。今の世の中、65歳くらいで定年退職するのが普通のようだから、私も65歳までやれば充分なはずだ。私の霊的歩みがいくら遅々としていようとも、その頃までには、いわゆる「練神還虚れんしんかんきょ」の修業が完成しているだろうから、ヒーリング・ネットワークを閉じ、虚空へと静かに・楽しく・消えてゆけば、それでいい。羽化登仙うかとうせん、と神仙道では、それを呼ぶ。
 老後の生活に対する不安も、病の苦痛や認知症への恐怖も、一切何も、いだかなくて済むというのは・・・、<ヒーリング>の極みだ。

◎誤解しないでいただきたい。
 人はいつか必ず死ぬのだから、何かを一生懸命やることなど無意味、適当にだらだらやっておけばよろしい、などと私は述べているわけではない。
 いかなる障壁が立ちはだかろうと、瞬間瞬間に全生命を燃やし尽くす。20歳で心身修養の道に志して以来、これまでずっとそのような生き方を貫いてきた。
 ヒーリング・ネットワークを数年後に終了することを決めたからといって、手抜きなどするつもりは毛頭ない。これまで以上に盛大に取り組んでゆくし、真剣に<道>を求める者がいれば、その熱意に全身全霊をもって応えもしよう。が、これまでもそうだったが、こちらから勧めたり、誘ったり、そういうことはしない。何かを得たいのであれば、自ら積極的に求めることだ。
 ヒーリング・ネットワークを誰かが引き継ぎ、自分なりの価値観や考え方に従い、私とはまったく違う形で何らかの活動を展開してゆく、それもまた結構。好きなようにやればいい。

◎少し前に東京を訪れた際、ちょうど池袋の古代オリエント博物館で「古代の女神展」を開催していた。ポスターを観ると、ヴィレンドルフのヴィーナス像も来ているらしいではないか。
 こりゃすごい、と喜び勇んで足を運んだまではよかったが、実物を前にして心底がっかり。何だレプリカじゃないか。クランツ社(ドイツ)製の同じものがうちにもあるよ、と。
 ちなみに、ここで言うレプリカとは、オリジナル標本から直接型を取り、素人目には本物と区別がつかないほど精巧に作られた、博物館や研究者用の超精密複製を指す。

ヴィレンドルフのヴィーナス

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 オーストリアのウィーン自然史博物館は、様々な種類の恐竜全身骨格や世界最大の隕石コレクションなどで有名だが、その中で「最も価値ある収蔵品」とみなされているのが、10センチあまりの旧石器時代(約3万年前)の小像、通称「ヴィレンドルフのヴィーナス」だ。
 細部に渡って正確に再現されたレプリカであれば、ヒーリング・タッチで触れ合うことにより、(超)古代の女神崇拝の本質へと迫ることが可能だ。

◎話を死に戻す。
「知り合いの子供で、まだよちよち歩きを始めたばかりの幼児が、マンション6階のベランダから下に落ちちゃった。今病院で検査中だが遠隔ヒーリングで何とかしてやってほしい」・・・・そんな頓狂とんきょうな依頼の電話が深夜、突如かかってくるようなことが、かつてはしょっちゅうあった。
 私はその子の両親すら知らず、当時は携帯電話がまだ普及してなかったため顔写真を手軽に送受することもままならず、仕方ないから電話してきた相手にその子をできるだけ鮮明にイメージさせ、間接的に遠隔ヒーリングの作用を及ぼすべく試みたのだが、間接的だからなのか、どうも要領を得ない。というより、何の問題もないと感じられる。いや、元気・・・なのではあるまいか・・・???
 いやいや、6階の高さから落ちて無事であろうはずがない。にもかかわらずハッキリ感じられる「これ」は、妄想か、気休めか、空しい希望なのか・・・。
 夜が白々と明けめる頃、報告の電話があって、「怪我一つなく、無事であった」、と。
 どうやら生け垣のところにうまく落ちたらしい、というんだが、本当に良かったねえと喜び合いながら、同じように高いところから落ちた乳幼児が奇跡的に無傷ですんだ実例が結構あると気づき、そのことを話したら「そういえばそうですね」と、相手にも心当たりがあるらしかった。
 無心・無我、が生死を分ける鍵となるらしい。
 荘子いわく、「酔いどれ怪我せず」、と。

◎大人がマンションの6階から転落すればどうなるか、と想像力豊かな私なんかはついついイマジネーションの翼を広げてしまう。落ちてゆく人間にとっては、周囲のすべてが物凄い勢いで天へ向かって上昇するように感じられるのだろうか。
 人が生き続けようと意思することをやめて死を選ぶ時には、自らの死に方について徹底的に考察するはずだ。どんな死に方でもいいから、その時その場の思いつきで適当に・・・という人間は、たぶんいないと思う。
 首吊り、入水、身投げ、服毒、自殺のやり方はいろいろあるが、なぜ特定の方法を選ぶのか、そこには当人も気づいてない理由が、やはりあるのではなかろうか。
 以前、あるワークショップで、参加者の1人がどうも挙動不審なので、リードをアシスタントに任せ、全体の流れから離れて個人的に話を聴いているうちに、「どうにも苦しくて苦しくて仕方なく、自殺しようと思ったことが何度かある」という言葉が出てきた。
「実際に自殺するとしたら、君の場合は首吊りを選ぶだろう。首を吊って死のうと思ったんだね」と言ったら、一瞬考え込み、「ああ、そうだ。そうです。でもどうしてわかったんですか」と、不思議そうな顔をしていた。
 普段から何かとクヨクヨ頭で考え込み、頭の中が常に雑念妄慮もうりょでパンパンに膨れ上がっているような者は、えてして首吊りを自殺の手段として選ぶ。
 首吊りというのは、私自身は実際に試したことがないので確信をもって述べることはできないのだが、窒息によって死がもたらされるわけではなく、体重が一気にかかって頚椎が折れ、即死するのだとか。
 男性の首吊り自殺者が勃起し、しばしば射精している事実は昔からよく知られていた。何が起こったのか死んだ者に尋ねることはできないわけだが、 私が思うに、長きに渡る極度の煩悶に悩み苦しみ抜いてきた者にとり、「頭」と「体」が神経的に瞬時に切り離されるのは、男であれ女であれ、無上のエクスタシー(忘我)を伴うある種の絶頂体験として知覚されるに違いない。

◎こうして書いていて思い出したことがある。余人を交えた場で当人自身の口から明るく、過ぎ去った過去の一エピソードとして語られたことであり、関係者のほとんどが鬼籍に入った今、公表しても差し支えあるまい。
 肥田春充(肥田式強健術創始者)から望まれ肥田家に養子として入った肥田通夫みちお氏は、東京大学法学部を首席で卒業した英才だが、春充没後、順調に経営していた会社を部下に乗っ取られたり、息子があちこちでこしらえた莫大な借金を肩代わりしたことで、肥田家が代々所有していた広大な地所のいくばくかを失うことになり、それを周囲から嫌みったらしく責め立てられ、失意のどん底で自殺を決意した。
 後年の通夫氏が、にこにこしながら楽しげに語る内容に、私も思わず釣り込まれて笑顔になりながら、それでも目までは笑うことがどうしてもできず、真剣に聴き入ってしまったのだが、その時通夫氏も首吊り自殺を選んだのだそうだ。
 真新しい丈夫な縄を購入し、よく吟味して、「これなら大丈夫」と確信。端を輪にした縄を松の太い枝に結わえ、高い台に載って輪に首を入れ、その台を思いきって蹴倒した・・・瞬間、頑丈な新品のロープがビシッと切れ、通夫氏は何事もなく大地の上に着地したそうだ。
 しばし呆然とした後、悟りにも似た確信の境地が翻然として拓かれたという。
「天が生きよと命じているのだ」、と。

◎シチュエーションは全然違うけれども、本質的にまったく同一の現象を、不当逮捕され大阪で勾留されていた時に、私も実体験した(2013年11月末)。
 自らの無実を示すため、取り調べの全期間(2ヶ月)、留置場で出される食事をすべて拒絶したのだが、食を完全に断って必要なら行き着くところまで行く、というのは、最も緩慢な形態の自殺にほかならない。
 普通の自殺者がせいぜい数分までの間にさっさと終わらせてしまう死へのプロセスを、私は極限まで引き延ばしに引き伸ばし続けて延々60日間、毎日毎日、一瞬一瞬、ずっと<死>と真っ正面から向かい合い、死を受け容れ続けた。
 大阪地方裁判所における第一審の弁護を担当した弁護士の一人は、裁判所へ提出した意見書の中で私について、「年間3万人が自殺するわが国の現状をいやすことができる人物であると確信する」、と述べている。
 当時はそんなことを言われてもあまり実感が湧かなかったのだが、その後内省を深めるうちに、ふと気づいたのだ。
 俺はもしかして、今生きている日本人の中では、自殺や死のエキスパートなのじゃあるまいか、・・・とね(呵々大笑)。
 自殺志願者を説得したり、説教したり、そういったことに私はまったく関心がないし、説得や説教などむしろ百害あって一利なしと信じている。
 しかし、自殺を切実に望む者と最も深い魂のレベルで共感することなら、私にもできそうだ。

<2022.04.25 霜止出苗(しもやみてなえいずる)>