◎あちこちで龍宮道伝授の場を設けるたびに、これまで一面識もなかったような初心者たちも参加し、新旧の人々が入り交じって皆楽しげに龍宮道に取り組んでいる。それは大いに結構なのだが、調子に乗って龍宮道の高度なわざや最新の修法、秘伝などをどしどし教えていると、あっと驚かされるような質問が時折、初学者諸君の口からあっけらかんと発せられることがある。
いわく、「レット・オフがわかりません」「粒子感覚というものが感じられません」「観の目とは何ですか?」「地球調和と龍宮道と、どんな関係があるのでしょうか?」「ヒーリング・タッチができません!」
◎・・・・・そうか、そうなんだね。なるほど。
龍宮道(ヒーリング・アーツ)の基本的なところについては、ごくシンプルで当たり前の(自然な)ことなんだから、誰もが独学・独習でわかり・できるようになっていただきたい・・・、と、これまでウェブサイトですべてを公開し・詳細に解説してきた・・・のだが、どうやら一方通行のところが多々あったようだ。
これまで心血を注いでやってきたことが(すべて、とは言わぬが、かなりの部分が)無意味であったとしたら、その無意味なことに基づきこれ以上あれこれ対外活動などを展開してもやはり無意味なのだから、いったん立ち止まって現状を把握し、諸々についてよく検証し、必要とあらば軌道修正し、さもなければ無駄・無意義なことなどきれいさっぱりやめてしまうべきである。
そんなわけで、今はヒーリング・ネットワークの活動を制限中だ。初学者のグループを対象として、例えばオフ感覚や観の目などの基本的なところが、チーム・コミュニケーション・ツールやリモートラーニング、地区の自主練修会などを通じどれだけ伝え得るものなのか、流心会のメンバーが実験・検証しているところである。
Trust(信頼し)、Let go(あるがままに任せ)、Be open(心身を開く)。それがわからないままで(あるいは、わかろうとせず)、ただ表面的な技術のみ追い求めても、結果は空しいものとならざるを得ないだろう。
◎という次第にて、私自身は本連載の執筆以外、ほとんどやることがないので、最近はイノシシ鍋の研究に没頭している。
肉の産地や味噌仕立ての配合など、あちこち食べ歩いたり、通販でいろいろ取り寄せてみたり、あれやこれやと試した結果、以前公開した龍宮館レシピ(『ヒーリング随感4』第28回)が一番美味かったという、「青い鳥現象(最も素晴らしいものは身近にある)」を再確認する結果となった。
◎自分自身の行動を客観的に観察してみると、「これができるようになりたい」「あれがほしい」「それがしたい」といった個人的願望をほとんどすべて実現してしまい、これ以上特に望むもの・望むことがなくなってしまうと、人間はヒマにならざるを得ない、ということなんだろう、とそう思う。
「小人閑居して不善をなす」。儒家の教典『大学』にある言葉で、徳のない小人物が暇をもてあますと悪事に走りがちでろくなことがない、という意味だが、なるほど確かにそうかもしれんとしばしば感じる今日この頃である。
◎とはいえ、閑居していても不善をなしているわけでは決してない、その証拠に、心身調和のわざは今も留まるところを知らず進化/深化の真っ最中だ。
最近、研究しているのはヒーリング・ストレッチの一法で、簡便な方法を通じ、深遠とすらいえるエクスタティックで美しい体験に浸ることができる。
ところが、ストレッチ法としての手法はもちろん、原理までが、巷間にある一般的なストレッチ法とは異なっているから、少々厄介である。
普通のストレッチが凝って硬くなっている箇所を外側から引き延ばし・緩めようとするのに対し、ヒーリング・ストレッチは呼吸と身体感覚をシンクロさせ、そこに細やかなヴァイブレーションを発生させることで、内側の一番奥深いところから緩みを起こす。根本原理が違うので、その効果も自ずから異なるものとなり、「緩む」とか「伸びる」といった言葉ではその実体を到底言い表わせない。
どんな形式でも構わないから、どこかを適当に引き伸ばす体勢をとる。その状態にて、息を使って微細振動を起こし、息を吐き切ったら寝ころんでリラックス。この間、わずか数十秒。
すると、働きかけたところの深奥から、ゆっくり・柔らかく・「ほどけ」てくるのがハッキリわかる。それは決して声高に自己主張するようなものではないのだが・・・ひたすら「気持ちいい」のである。気持ちよさの中に全心身が穏やかに溶けてゆく、この状態は、<和らぎ>と表現するのが最も適切であろう。
名づけて、「和息法」。
◎聖徳太子の手になるという十七条憲法の冒頭にいわく、「和をもって貴しとなし、忤ふる(逆らったり争ったりする)ことなきを宗(中心、根本)とせよ」、と。
面白いことに、ヒーリング・タッチなどの基礎修法を体得して心身の感性がある程度開かれてきた人が、和息法を修している最中の術者と触れ合うと、「和らぎ」が直ちに共振してきて、共にやわらかな宇宙的エクスタシーの中へ溶けてゆく体験ができる。
グループで共に和息法を修するのも楽しい。各自の「和らぎ」が共鳴し合い、人と人の間、人と世界の間にある垣根のようなものが取り払われ、大いなる一体感や純粋な絆の感覚を味わうことができる。
◎和息法は、観の目などの一見関係なさそうな修法とクロスオーバーすることも可能だ。
ちょっと上級の応用わざになるが、暗いところで、ろうそくや小さな電球を視点にして観の目を起こし、その状態で和息法を修する・・と、目や視神経がダイレクトに振るえ・和らぐからか、あたかも光の奔流が目から体内へどっと流れ込んできたかのごとく、突然視界が(あるいは頭の中が)ピカッと明るく光って驚くことがある。
<2022.12.02 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)>