◎モルディヴ巡礼記の制作に夢中で取り組んできて、ふと気づいたら、夏はもう過ぎ去ってしまい、いつの間にか秋たけなわとなっているではないか。
この季節になると、ヤンニョム・ケジャン(生ワタリガニのキムチ)が恋しくなる。生のカニを使った料理としては、タイのプー・ドーン(ノコギリガザミ)、中国の酔蟹(上海蟹)と並ぶ世界三大生蟹料理の一つだ。
蟹スプーンで身を取り出し、熱いご飯と共にいただく。ねっとりと甘い生カニの身に各素材の味と香りが複層的に絡み合い・はじけ合い、よく知る人はにっこり満足げに微笑み、初めて食べる人はその華麗とすらいえる美味しさに驚きと歓びの声を上げる。つけ合わせにエゴマの葉などがあると、韓国気分がさらに高まる(韓国に行ったことはまだないけれども)。
龍宮館では、残った殻と漬けダレを活用して魚介類や豆腐、キムチなどと共に煮込み、チゲ(鍋物)を作る。
<ヤンニョム・ケジャンの作り方>
・韓国唐辛子、梅エキス、コチュジャン、醤油、魚醤、砂糖、ニンニク、酒、ショウガ・・・以上をペースト状にする。
・白ネギを混ぜる。
・上記を2つに割ったワタリガニにまぶす。カニの前掛けやエラは取り除き、爪は蟹ばさみで割っておく。甲羅の蟹味噌も生のままペーストに加えて活用。
・一晩置き、ごま油を仕上げにかける。
上記のレシピは、無実の罪で4年余の謫居(閉所に監禁されること・流罪)を強要された山口刑務所にて、韓国料理に詳しい囚人仲間から教わったものだ。料理人や料理が趣味という囚人が意外なほど多く、刑務所内で教えてもらって書きためた料理のレシピや食べ物関連の情報は、1000種類以上にのぼる。
無味乾燥な刑務所生活の中でも、学べることはいくらでもある。
◎暗い過去よりも明るい現在を生きたいので、最近は北京ダックの研究にも勤しんでいる。カルペ・ディエム(今日という花を摘め)、だ。
北京ダックも近ごろはネット通販で簡単に手に入るが、生のものだと一般家庭では上手に焼くのが難しかったり・非常に手間がかかったり、あるいは貼付の甜麺醤が塩辛過ぎたりなど、店により随分内容が異なっている。それに、中華料理店などで北京ダックを食べる際、薄餅に一緒に包む白髪ネギが噛み切りにくく、食べにくいと感じたことはないだろうか?
こうした諸問題を解決し、「食べやすく美味しい北京ダック」の黄金レシピを確立すべく、日夜実験と試食に励んできたのだが、その甲斐あってようやくゴールがみえてきた。
◎「独自の世界観」と、私の生き方や価値観を、あたかもそれが利己的で身勝手かつ異様なものであるかのごとく、かつて私を裁いた裁判官らは判決文において決めつけた(2015年4月、大阪地方裁判所)。
独自の世界観とは、アーティストやクリエイターの世界においては、「良いもの」「真剣に探究されるべきもの」「なくてはならぬもの」「努力を傾注して実現すべきもの」とみなされ、一般社会においてもそのことは広く知れ渡り、充分に受け容れられているはずだ。
私が理想とする「独自の世界観」とは、それでは具体的にどのようなものか?
・あらゆる人間の内面に生来秘められている、各自オリジナルの創造性が讃えられる世界。
・いろんな人間が、それぞれ自分自身に最も合った生き方を、溌溂として活き活きと生きながら、互いを深く敬い合い、助け合う世界。
・杓子定規のやり方、固定したルールに無理やり人を押し込めることなく、各自の独自性が重んじられる世界。
・多数派が少数派を強制的に支配したり、差別したりしない世界。
・国家という人為的な分割線によって分断されてない、1つのトータルな世界。
・人間だけでなく、あらゆる生命が対等に敬われる世界。
・美と歓びと感謝と輝きに満ちあふれた世界。
・愛が、決して揶揄されたり非難・批判の対象とならない世界。
・あるがままの自然な姿が、最も讃えられる世界。
・・・・これが、・・・・異様で異質で、「悪いもの」「忌むべきもの」と感じられるとしたら、その人間のマインドは明らかに病んでいる。
不自然、いや反自然的というしかない。
が、そういう類いの病的な人間が、今やわが国の裁判官の大半を占めるに至ったというのだからぞっとさせられるではないか。
◎判決文の中で彼ら裁判官はまた、以下のようにも述べている。
「厚生労働省が法律改正の根拠とした論文は査読を経ておらず、その内容はデタラメで学術的に信用するに足らないものである、などと被告側は言うが、独自の世界観に基づく勝手な主張であり、まったく意味はない」、と。
冗談や誇張では、これは、ない。自然科学を少しでも学んだ人なら、「ええーッ!?」と驚き、抱腹絶倒、腹を抱えて笑いすぎ、椅子からころげ落ち(そうになっ)たのではあるまいか。と同時に、憂慮すべき深刻な事態に、思わず眉を顰めざるを得なかったはずだ(「眉を顰める」とは、他者の忌まわしい言動に対し顔をしかめて不快感を表明すること)。
査読(ピア・レヴュー)は、学術誌が事前に論文を複数の専門家に厳しくチェック・批評してもらい、掲載するに足る内容か否かを判断するためのシステムで、これがなければ自然科学の正当性が成り立たないといっても過言ではないほど大切なものだ。
それをも「独自の世界観」「根拠のない身勝手な言い分」と断じ、ばっさり斬り捨てて顧みないというのは・・・、「日本の裁判所では科学がまったく重んじられてない」と世界各国から揶揄・批判されても致し方なかろう。
◎巡礼土産として、シンガポールのボタニック・ガーデン(植物園)で撮ってきた熱帯植物たちの帰神フォトを分かち合いたい。
強烈な日差しが照りつける中、汗だくになってあちこち迷い歩きながら帰神撮影したもので、2~3時間かけ大体半ばくらいまではくまなく観てまわったと思っていたが、実際にはほんの入り口あたりをうろついていたに過ぎなかったようだ。
◎シンガポールのアラブ人街で、東南アジア各国の香木(沈香)を巡礼土産としてたくさんゲットしてきた。フィリピン南部とかミャンマー産の香木というのは、私も初めて出逢った非常に珍しいものだ。
香水・香木を商う店を何軒か回り、それぞれの店で最高の品を丁寧に選んだが、アラブ系2世というある若い店主とは特に気が合い、何時間も話し込んでしまった。
入手した香木をどこでどんな風に使うのか尋ねられ、どう答えればわかってもらえるものかと返答に困っていたら、結局「DOJO(道場)」ですんなり通じて納得してもらえたのだが、さあ、それからが大変だ。「あなたは武術のマスターだったんだね。全身から漂っている雰囲気が、いかにもって感じだよ」と大喜びされ、「どんな武術なのか」「弟子はどれくらいいるのか」など根掘り葉掘り尋ねられるから、スマホでヒーリング・ネットワークのウェブサイトにアクセスし、龍宮道のムービーをみせながら説明した。すると実に熱心に動画にみいりながら、「Grace(優美だ)」「何て柔らかなんだ」「寄せては返す波のようだ」といった感想をしきりに述べていたが、ものごとの本質を観極める素晴らしい繊細な感性に、こちらの方が感心した。
<2022.10.31 霎時施(こさめときどきふる)>