Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第六回 切り落とし動画(後編)

◎前回に続き、第7回龍宮会りゅうぐうえの切り落とし動画をご紹介する。
 動画1は、参加者によるヒーリング・タッチ示演。ヒーリング・ネットワーク1のディスコース『たまふり』第1回に記されている内容をそのまま正確に再現できるかチャレンジさせてみたら、ごく当たり前のことのように「できて」いた。
 ヒーリング・アーツにおいては基本中の基本だが、武術家、宗教家、療術家等でこれが自在に使いこなせる人は、世界的にみても意外と少ないのかもしれない。

動画1 『ヒーリング・タッチ』 撮影:2023.02.04 於:天行院

フルハイビジョン画質 01分05秒

◎続いては、「ヒーリング・ムービー」其之十七で述べた「本末転倒」についての補足説明。説明が少々長いが、心身修養に真剣な関心をいだくすべての人にとってとても重要な内容なので、そのまま公開する。
 動画中で述べているのは、手の指1本の先とか、手に関することだが、同様の現象が全身のあらゆる関節においても起こっていることを、実際に調べてみればすぐ確認できるはずだ。「重要なこと」と、私が言う意味も自ずから明らかだろう。

動画2 『本末転倒』 撮影:2023.02.04 於:天行院

フルハイビジョン画質 06分11秒

◎最後は自由組手の光景。
 第6回龍宮会と比べて、第7回の動画では私を含め参加者全員の動きのキレが格段にシャープになっていることにお気づきと思う。「武の舞を我々は探求しているのだから、少し慣れてきた者を相手にする際は、従来よりも多少速さや鋭さを増して、武術的要素を濃くしてゆく」と龍宮会冒頭、皆に通達し、実際にそのようにした結果である。

動画7 『自由組手』 撮影:2023.02.04 於:天行院

フルハイビジョン画質 04分41秒

 言うまでもなく、ただ「速さや鋭さを心がける」だけでこれほどの変化が起こるはずはなく、これまで使ったことがない新しい修法が採り入れられている。
 具体的には尻と肛門の使い方(意識の在り方)に関することなのだが、龍宮道ではよくあることながら、武術や心身修養の世界における従来の常識とは違う、というより、著しく異なっているため、充分な検証・実践を経ることなくうかつに公開することはためらわれる。
 例えば、一般社会でもよく名を知られている中村天風(心身統一法創始者)は、神経反射を調節してあらゆるストレスを跳ねのける秘法として、「肛門を締めて下腹に力を入れ、肩の力を抜く」とシンプルに説明している。
 ヒーリング・ネットワーク1のディスコース『心身統一』第5回で記したように、天風の説明を「肛門を強く締め上げ、体内に引き込むこと」と解釈する風潮が今では広まっているようだ。が、私のやり方がどこか間違っているのかもしれないが、そのようにして肛門を引き締めても、何か特別な効果をまったく感じない。無理に強く締めると、下腹以外のみぞおちや胸にまで嫌な力みが生じるし、肩にも余計な力が入る(肩に自分の手を置いて肛門を強く引き締めてみれば明らかだ)。そして武術的な動きにおいては、肛門を不自然に締めることは単に邪魔になる(動きが阻害される)だけである。
 肥田春充(肥田式強健術創始者)は心身を合致させるための姿勢の要訣として、「腰を反らせて尻を突き出す」と述べているが、大きな鏡に体側を映しながら確認すればわかる通り、肛門を引き締めると尻は前に移動して、春充の教えと矛盾することになる。
 中村天風と肥田春充、この2大達人の教えが自然に合致し、無理なく融合する肛門の未知なる使い方が「どうやらあるらしい」というのが、第7回龍宮会の時点における我々の到達点である(現在、私の個人的研究はそれを踏み越え、さらに進展しつつある)。

◎龍宮道の動画を見た部外者からよく尋ねられることは、「これは気(気功)ですか?」というものだ。
 そもそもその人が、「気」という言葉で何を意味しているのか、よくわからない。「気功」というのも、1960年代の中国・文化大革命以降に国家レベルで制定された新しい言葉・概念に過ぎず、その場合における気とはどうやら物質(物理現象)の一種を指すらしい。
 いずれにせよ、そうした「気」なる曖昧模糊あいまいもことしたもののことは、私にはわからないし、当然ながら気のわざも気功も使えない。新種のエネルギーといった意味で、これまでに「気」という用語を使用したこともない。
 我々が「マナ」と呼ぶ身体内で感じられる流動は、それでは、「気」と同等のものではないのか?
 もし、あなたが「気」と称するものが、気体的というよりはむしろ液体的であり、海の水が波打つように体内で複雑に波打ち、水のように渦巻くとしたら、それは我々の「マナ」と同じあるいは類似のものと言っても差し支えないと思う。
 
◎ずっと以前のことになる。
 チョコレート発祥の地・メキシコの農村などで今でも愛飲されている発酵カカオドリンク(チョコレートは元々飲むものだった)は別次元の美味しさである、とアメリカの知人から教わり、まずカカオの木(Theobroma cocoa)を育てることから始めた。のだが、チョコレート飲料を作るためにカカオ栽培から始めるような男は面倒くさがられる、と思い直し断念した。

カカオの実

カカオの実。幹から直接生える。近所の植物公園にて。
クリックすると拡大(以下同様)。

 これまで食べたチョコレートの中で、とりわけ印象に残っているのがマレーシアはBeryl’s社の各種製品だ。ベリーズと読むのかベリルズなのか、あるいはベールズかもしれないが(berylは“緑柱石”の意でベールと発音)、ドリアン風味のガナッシュを包んだチョコレートなど、下手するとゲテモノになりかねないようなものですら、素晴らしい出来栄えに仕上がっていていつも感心する。特に高級なカカオ豆を使っている風でもないのだが、素材を活かして組み合わせるセンスが抜群で、一口食べると止まらなくなる。
 残念ながら、日本ではなぜか製菓用のクーベルチュールがもっぱら売られているのみで、Beryl’sのチョコレートを本格的に楽しむためには、今のところマレーシアへ行くしかない。
 マレーシアを訪れた際にはいつも、お土産用にBeryl’sのチョコレートを大きな手提げ袋に一杯買って帰るが、人にあげる前にほとんど自分で食べてしまうことが多い(呵々大笑)。チョコレート通の人にプレゼントすると、お世辞も交じっているのだろうが、「これまで食べたどのチョコレートよりも美味しい」と大いに喜ばれたりもする。
 そのBeryl’sのチョコレートが、ヒーリング・ネットワーク再興2周年(2023.02.22)を記念して龍宮館に届けられた。

Beryl’sのチョコレート

<2023.02.24 霞始靆(かすみはじめてたなびく)>