Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第二十一回 祝祭エンドレス

◎私の体験によれば、あらゆる神話には身体的な対応がある。意識レベルと相応する身体の多層構造の中には、「神話体」とでも呼ぶべき層が存在する。古今東西の名人、達人とは、この神話体が覚醒した人たちだ。
 バイブルに記された人類の祖の楽園追放の物語もまた、我々自身の身体内にその対応を認めることができる。
 ヒーリング・アーツで「骨盤の意識化」というテーマに取り組み始めると、まもなく、エデンの園にあるとはいかなる状態なのか、そこから追放されるとは具体的にどういうことか、その原因は何か、などについて、自ずから「わかる」ようになる。「感じ」られるようになる。
 原初、骨盤の中の空間(骨盤腔こつばんこう:下腹部と腰の内部)に自然に収まっていた意識が、文明の発達に伴い、上半身と下半身を隔てる境界から越境し、上へ上へと上がり始めた。
 すると、骨盤部に意識の中心(自己存在感)があった時にはまったく自然で、意識することさえなかった「性」が、とたんに不自然でうしろめたいものとなる。
 元来自然で確かにそこにあるにも関わらず、それを否定し、遠ざけようとすることで、「罪」の概念が生じる。
 悪い、いけないものなのに、どうしてもそれから逃れられない。気がついたら舞い戻ってしまっている、いかに決意しても元の木阿弥となる。そんな悪循環を繰り返してしまう自分は、何とダメな人間なのか、罪深いのか、というわけだ。
 現代文明でタブー視されるものの大半と密接に結びついている骨盤部、その罪悪感の源に<楽園>への鍵(正中心)が秘められているというのは、大いなる皮肉といえる。
 読者諸氏は、自分の骨盤(骨)が、体の中のどの位置に、どんな風に収まっているか、その「形」を実際に「感じる」ことができるだろうか?
 思い描く、ではなく、感じる。
 解剖図や3D模型を目の前にしながら、比較対照して骨盤を意識化することでさえ、実は至難のわざだ。
 ヒーリング・タッチをただ闇雲に使うだけでは、それでも随分マシにはなるのだが、しかし全面的な骨盤の意識化へと至るにはほど遠いだろう。
 ヒーリング・タッチをシステマティックに、段階を追って運用していかねばならない。
 熟達者からアシストを受けることは、最も助けになる。
 私が骨盤周辺にちょこちょこっとヒーリング・タッチして、骨と骨がどこでどんな風につながっているか、「体感」させると、誰もが「ええっ!?」と大仰な声をあげて驚く。それほどまでに、完全な無意識状態に、現代人の骨盤というものは陥っている。
 まずは、上半身と下半身を、分かれるべきところできちんと分離し、上半身側の意識が境界を越境して骨盤、特に仙骨へと及んでいる状態を改める必要がある。

◎この連載は超越的断章スタイルをとっているので、話題は突然クオンタムリープ的に飛躍する。
 先日、私が主宰する私塾的なグループ、流心会のチーム・コミュニケーション・ツールを通じ、次のような疑問を投げかけた。
「観の目というものがあり、それを聴覚に応用すれば、いわば聴の耳とでも呼ぶべき新たな聴き方が現われてくる。そのことについては、諸君はよく知っているし、体験も深まってきている。
 それだけでも大いなる達成といえるが、川合立玄はるつね(肥田春充の父)いわく、『わかったと思った時は、進歩が止まる時だ』、と。
 聴の耳が片耳ずつ聴こえ方を意識していって、両耳を同時に統合することで、聴こえ方が劇的に変わるように、それと同じ原理を、嗅覚へと応用したらどうなるだろう?
 両鼻が通じている時、(一方の鼻を閉じて)片鼻ずつ匂いをかいでから、両鼻を統合してゆく。
 それによって何が起こるか? 視覚や聴覚と同様に、嗅覚の世界が一気に拡がって立体的となる、などといったことが実際に起こるものだろうか? そして、一つの感覚の開発は他の感覚にも影響を及ぼすのだろうか?」
 この問いかけに対し、以下のような応答があった。やや高度な内容ではあるが、五感をそれぞれ独自に開発しながら互いにリンクさせてゆくことは、心身の中心(正中心)覚醒のために欠くべからざる作業であり、中国の神仙術ではそのプロセスを五気朝元と言う(朝は集まる、の意)。

●線香を焚き、片鼻ずつ香りを嗅いだ後、両鼻を統合する練修を執り行なっています。
 片鼻ずつ香りを嗅いだ時にまず感じたのが鼻腔の形、空間でした。鼻と外側から触れ合うことで鼻の形を感じることはありますが、鼻の形を内側から感じたことはなかったので、大変新鮮でした。また、線香の香りが入ってくる鼻の穴が斜め下を向いていることが改めて良く分かり、息の通り道がはっきりしてくることを感じました。
 片鼻ずつ嗅いだ後、両鼻を統合して線香の香りを嗅いでみますと、方向の違う左右の鼻から息が入ってくることが感じられ、左右から入ってくる息がナジオンのところで合わさり、ナジオンを中心に呼吸をしていることが感じられるようになりました。ナジオンの和名が「鼻根点」であることも思い起こされました。
 また、片鼻ずつを統合した両鼻で息をしていますと、私はこれまで、片鼻ずつの意識がなく、鼻の穴という一つの穴を仮想して息をしていたことに気づかされました。鼻の存在が明確になってくると鼻の形、角度も鮮明になることが感じられ、顔の斜めの角度も顕われてくることが感じられました。
 両鼻を統合する練修を執り行った後、観の目も深まることを感じています。『龍宮道メモ』の動画を観照していますと、先生や受け手の方が波打っている様子が良く観えるようになり、龍宮道の凄さがより深く感じられます。(渡邊義文)

●片鼻ずつ、匂いをかいでから、両鼻を統合するとどうなるか、実験してみました。
 幼い頃から鼻炎持ちなので、普段、片方の鼻が詰まっていることが多いため、意識的に片鼻ずつ匂いをかいでみると、馴染みのある感覚であると気づきました。最近、ふとしたきっかけから鼻洗浄を毎日するようになり、両鼻が通ってきて、丁度実験できる状態となっていたことが幸いしました。
 手持ちのホワイトセージを焚いて、実験してみました。聴の耳の時を思い出し、片鼻ずつ匂いをかいだ後、両鼻を閉じた指をゆっくりと均等に開いていきました。鼻の穴を左右均等に意識していると、蝶形骨あたりでしょうか、頭骨が振動してくるのを感じ出しました。普段は両鼻で嗅いでいるつもりの時でも左右を一つのものに感じてしまっていたため、意識の変容が起きなかったことが理会されてきました。
 ヒーリング・タッチで左右から挟むように鼻翼から鼻根まで触れ合いながら続けていると、匂いの通り道で様々なところが凝集してくるのが感じられたので、その都度レット・オフしていきました。すると匂いが頭に染み込んでくるような感覚が起こり、頭骨が開放されて瞑想的な意識が拓かれていきました。
 しばらくホワイトセージの煙が頭に染み込んで脳が煙で浄化されるかのような時空の変容感覚に浸っていました。その後少し眠くなったのですが、しばらくすると頭がすっきりしました。
 ご教示くださり、ありがとうございます。(東前公幸)

●線香にて匂いを左右均等に意識しますと、そもそも匂いを感じるところは鼻の穴の中に嗅ぐところがあるにも関わらず、鼻の穴よりも前方の空間で嗅ごうとしていました。鼻から息を吸い込むことで嗅ごうとしていたのですが、本来ある鼻の中で匂いを感じるようにいたしますと、右側では右半分の頭骨が意識化されるのが感じられ、左側では左半分の頭骨が意識化されるのが感じられました。左右均等に意識いたしますと頭骨が意識化されてきました。また頭骨が開放される感覚とともに静寂な状態へと導かれるのが感じられ、しばらくその時間を味わいました。香りによっては胸もレット・オフされて開かれてくる感じのものもあり、普段の生活の中でこれほどの変化がもたらされるとは思っていなかったため、興味深く感じられました。
 ご教示してくださり、ありがとうございます。(帆足茂久)

●香を焚き、片鼻ずつ匂いを嗅いだ後、左右をクロスオーバーすると、嗅覚の奥行きと立体性、粒子性が格段に高まり、同時に呼吸が深くなることを実感しました。
 恐ろしいことに、鼻の左右の感覚にかなり差があるにも関わらず、これまでその個別の感覚を深く感じようとしたことがなく、かなり無意識だったことに気づかされました。
 東前さんが蝶形骨の振動について書かれておりましたが、私も頭骨内部に意識が入って微細に振るえ、また、嗅覚のみならず、全身のトータルなバランスが大きく変化することを感じました。(佐々木亮) 

●嗅覚を、片鼻ずつ嗅いで確認してから両鼻を統合してみました。
 鼻炎が続いていて、右と左では鼻の通りが違うのですが、それはそれで左右感覚の違いがハッキリ感じられました。強い左右差を感じつつ室内にあった線香の匂いを嗅ぎ、左右を同時に均等に意識すると、鼻を通る匂いと空気が空間的になり、鼻腔内の空間が立体的に浮かび上がってきました。匂いも、これまで感じていたものが平面的なものであったと感じられるような、匂いの空間性、匂いの中に様々な変化のある奥行きがあるのが感じられます。
 他の感覚にも影響を及ぼすか確認するため、両鼻の感覚を感じつつ、同時に観の目を意識してみたのですが、視界がバカッ! と開き、蝶形骨を中心に頭骨全体が振動してキーンと音が鳴り響くのが強く感じられて大変驚きました。
 クロスオーバーの感覚も、視覚と嗅覚という別々の感覚が、渦に巻き込まれるように互いに別々に感じられながらも混ざり合い関連する一つの新しい感覚としても感じられる、独特の感覚がありました。
 ご教示いただき、ありがとうございました。(道上健太郎)

◎生山椒が出回る時期、季節外れのイノシシ鍋を小鍋で作る。

イノシシ鍋

クリックすると拡大(以下同様)。

 生姜・ニンニクのすり下ろしを加えて酒と味醂で味を整えた味噌ベースの出し汁に、広島東部産のイノシシ・ロース肉とワラビ、大量の実山椒を入れて軽く煮込む。イノシシ肉の濃厚な旨味が山の精のごときワラビの苦味をダイナミックに包み込み、フレッシュ山椒独特のスパイシーさが東洋的彩りを添える。
 食後に口中がぶわんぶわんと妙な振動数で痺れる感覚は、先日の第10回龍宮会でチベットの餃子モモを皆で食べた際、つけ合わせの唐辛子ペーストで口の中が痺れた時の感じとよく似ている。

◎イノシシ鍋とは対照的な、夏の爽やかな一品。讃岐流、「梅ころ」。
 茹でて冷水で冷やした讃岐うどんに、ほうれん草をゆがいたもの、梅干しから種を取り叩きつぶした梅肉、青ネギみじん切りをヒーリング・タッチでうやうやしく載せ、地球調和の祈りを込めつつ冷たい出汁を張る。このようにすれば、シンプルなうどんに鮮烈な生命いのちの実感が宿り、滋味溢れるヒーリング料理となるのだ。

梅ころ

◎広島産の生シラス。以前ご紹介した駿河湾産よりも、甘みがずっと強く、苦さが控えめである。これはこれで大変美味しい。

広島産生シラス

◎祝・さるぼう会復活! 

広島産生シラス
広島産生シラス

 さるぼう会と聞いてきょとんとしている呑気な諸君は、『ヒーリング・リフレクション1』第十四回を参照してほしいが、私が冤罪で刑務所へ送られる前、近所のスーパーの魚屋に突然入荷し始め、出所後は絶えてその姿をみかけなかった「さるぼう貝」と、同じ魚屋で先日、再び巡り合った! 店主に聴いてみると、時折市場で見かけるようになったとのことだが、残念なことにこのあたりではあまり需要がない(食べる人が少ない)のだそうだ。
 龍宮館のように東南アジアスタイルでいただく時、さるぼう貝はその真価を発揮する。赤貝とよく似た濃厚な風味があるが、小粒な分それがほどよく抑えられて、チリソース&パクチーとの相性は抜群だ。東南アジアのシーフードレストランでは誰もが注文する定番料理の一つであり、それが再び龍宮館で食べられるようになったというのは・・・ささいなことだが、これもまた新たな・明るい、変化のきざしと、私には感じられる。
 何にしてもめでたいことなのだ、これは。
 祝いである。
 祭である。
 ヒーリング・アーツを希望者にどんどん教えてあげよう、という積極的で前向きな気持ちにもなってくる。

<2023.06.27 菖蒲華(あやめはなさく)>