Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第三十五回 アンコール遺跡群

◎本連載第十六回にて、カンボジアのアンコール・ワットをご紹介した。SF小説の巨匠アーサー・C・クラークは、スペース・オデッセイ(宇宙の旅)・シリーズにおいてアンコール・ワットを、「地球上で最も素晴らしい遺跡」と讃えている。
 アンコール・ワットはクメール建築の傑作とされ、代表的な遺跡ではあるのだが、その周辺のジャングルに覆われたトンレサップ湖北方の広大な地域には、クメール王朝によって築かれたアンコール遺跡群が数多あまた存在しているのだ。
 有名な四面仏を中心に広がる城塞都市アンコール・トム。
 巨大な榕樹(ガジュマル)に侵食されたタ・プローム。
 赤砂岩あかさがんの寺院バンテアイ・スレイの壁面に彫刻されたアプサラ像は、「東洋のモナ・リザ」としてつとに名高い。

アンコール・トムの城門へと至る橋 アンコール・トムの城門へと至る橋

アンコール・トムの城門へと至る橋。その両側を神々(デーヴァ、左写真)と阿修羅(アスラ、右写真)がそれぞれ一列に並んで守護する。多頭の龍蛇神ナーガを神々とアスラが引き合うヒンドゥー教の天地創造神話(乳海攪拌)がモチーフだ。クリックすると拡大(以下同様)。

四面仏

アンコール・トムの四面仏(バイヨン)。この巨大な石仏が高みよりみおろす大広場に、クメール王朝が誇る象戦車部隊が集結し、大地を轟かせたという。

レリーフ

アンコール・トム内部のレリーフ。かつてこの地を訪れた三島由紀夫はインスピレーションを得て、三島文学の主題が色濃いとされる最後の戯曲『癩王(らいおう)のテラス』を書き上げた。

ガルーダ像

アンコール・トムのガルーダ(迦楼羅)像。

タ・プローム遺跡

タ・プローム遺跡。榕樹(ガジュマル)が遺跡をゆっくり、ゆっくりと侵してゆき、呑み込んでゆく様が、人の世の栄枯盛衰を象徴するかの如くで、侘(わ)び寂(さび)を強く感じさせるのか、日本人の多くが感銘を受けるのだそうだ。

バンテアイ・スレイ遺跡

赤砂岩で創られたバンテアイ・スレイ遺跡。アンコール・ワットやアンコール・トムからはかなり離れた場所にある。2000年に私たちが巡礼で訪れた当時は、ポル・ポト派による大虐殺を含むカンボジア内戦の終結(1991)からそれほど歳月を経ておらず、あちこちに大量の地雷が残っていて、バンテアイ・スレイまで行けるかどうかさえ危ぶまれるような状況だった。

バンテアイ・スレイ遺跡

バンテアイ・スレイとは「女の砦」の意。規模は小さいが、建物の全面が精巧な彫刻で覆い尽くされている。

ナーガ像

バンテアイ・スレイに限らず、アンコール遺跡群のそこかしこでナーガ像を目にする。ちなみに、バンテアイ・スレイと同じ赤砂岩から掘り出された小ナーガ像(カンボジア製)が、我らが天行院前にもさりげなく置かれている。

アプサラ

東洋のモナ・リザ、アプサラ(飛天、天女)像。フランスの作家アンドレ・マルローはその微笑みに心奪われ、ついに遺跡から盗み出して国外持ち出しを図ったが、中途で発覚し捕らえられた。マルローはその後、ド・ゴール政権下で長く文化大臣を務めているから(岡本太郎とも対談している)、美しいものへの偏愛・執着はかの国では悪質な犯罪とみなされないのかもしれない。

 バンテアイ・スレイのアプサラ像(複数体ある)は現在、仕切りで保護され10メートル以内に近づくことが許されなくなっているという。私たちがしたように直接触れ合って霊的に通じ合う、などという贅沢はもう夢のまた夢だ。
 もうできないといえば、乳海攪拌にゅうかいかくはん神話が細密に彫り込まれたアンコール・ワットの有名な大回廊(下写真)も、世界中からどっと押し寄せる人々で朝から夕方まで常に満杯状態であり、壁面のレリーフは誰もそばに寄れないよう仕切りが設けられ、なおかつ押し潰される危険を避けるため妊婦や子どもの入場が制限されているそうだ。人気ひとけのないがらんとした回廊の写真を撮ることなど、もはや不可能であろう。

大回廊

◎タナカゲンゲ(Lycodes tanakae)という珍しい魚を、鳥取県から送ってもらった。現地では「ババちゃん」とか「キツネ」などと呼ばれ、下魚げぎょ(下等で値段の安い魚)とさげすまれてきたが、実は美味であることが知れ渡り、最近では手に入りにくい高級魚の仲間入りを果たしたのだとか。オコゼやアンコウなど、奇妙な形をした魚というのはおおむね非常に美味いものと相場が決まっているが、ふわふわした上質の練り物みたいな不思議な食感の白身はなるほど大変美味しく、鍋と唐揚げのツーウェイで堪能した。

タナカゲンゲ

体長1メートル以上になるという。今回届いた2頭は、体長60センチくらいだった。

タナカゲンゲ
タナカゲンゲ

現地の漁業関係者らによれば、水深150メートルほどの深みに棲息し、何でも喰らう悪食(あくじき)の魚であるそうな。それを裏付けるかのように、届いた魚を捌いたらタナカゲンゲの子どもらしきものが胃の中から出てきた。

◎広島限定販売の特別なえびせん(とはいえ、今はネット通販で日本中どこからでも買える)。先日お土産にいただいて初めて食べたのだが、意外なことに・・と申し上げては失礼だが、けっこう美味しい。素材などにこだわっているのだろう。瀬戸のレモン味、海人の藻塩味、ごま油味の3種類がある。

えびせん

◎日本におけるカカオ・ブームの火付け役、太田哲男シェフによる「ペルー・アマゾン産オーガニック・クリオロ種カカオニブ入りキャラメルポップコーン」。

キャラメルポップコーン

 一味ひとあじ、どころか二味も三味も、そこら辺によくあるスナック菓子とは違っていた。口に入れた瞬間、「遊び心いっぱいに、真心込めて手作りしている」ということがダイレクトに体に伝わってくるのである。(たぶん機械造りなのであろうえびせんを上記でご紹介しておいてこんなことを言うのも何だが)機械で大量に自動生産される食べ物に、作り手の心は決してこもらないし、ましてや命(生命力)がこもるはずがない。
 優しい甘さを、野性的な苦味が複雑に彩りながら、心地よい食感が口中で楽しいリズムを刻む。普通に売られている同種の品と一体何が違うのか、まず外観をしげしげ観察してみたのだが、遺憾ながら普段ポップコーンなるものを食べないのでハッキリ断言できないとはいえ、ベースとなるポップコーンの形状そのものがかなりいびつで、宇宙空間をさすらう小彗星みたいにごつごつしている・・ような気がする(ポップコーンを初めてまともに観たのでそのように感じただけかもしれない)。
 その表面をざっとコーティングしてあるキャラメルに、カカオを粗く砕いたような小さな粒(これがカカオニブか?)が混じっている。つまり、土台もコーティングもわざと不均一にし、それらが歯や舌とランダムに出会い・触れ合うことで食感や味が刻々変化してゆく、そんな楽しい仕掛けが施してあるのではないか・・・というのは、もちろん食べ物の「絶対シロウト」たる私の憶測に過ぎない。
 太田哲男という人は、数々の名店で修行しながらイタリアからスペイン、そしてペルーへ渡って食へのこだわりを追求してきたそうだ。その著書を以前読んだところ、私が高校生の頃実家で飼っていたアマゾンの怪奇なカメ、マタマタ(Chelus fimbriatus)の料理法までが紹介されていた。食の探求にかける情熱とはこうしたものであろうと感心したことを覚えているが、そうした努力と創意と熱意とが、キャラメルポップコーンのような一見シンプルな品にも見事に結晶化している。 

<2023.11.13 地始凍(ちはじめてこおる)>