Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第三十六回 女神文明

◎すでに述べたように、20年以上も前のトルコ巡礼(1999年)について本連載で語り始めた途端(第三回第七回)、トルコと隣国シリアで大地震が発生。5万7千人もの人々が亡くなった(行方不明者の数は発表されてない。ちなみに東日本大震災の被害者は、 関連死を含む死者と行方不明者が2万2215人)。
 1999年当時も巡礼より戻って数ヶ月後、偶然とはとても思えぬようなタイミングで、トルコ西部で大きな地震が起きている。無意味なものに人は何らかのパターンを見出そうとしがちなものだが、1999年のトルコ巡礼から帰還した直後にも、まるで私の帰りを待ち受けていたかのように、自宅(現・龍宮館)が大規模な自然災害のまっただ中に巻き込まれた。
 関西国際空港より広島駅へ戻り、タクシーに乗った。そしてわが家の近く、極楽寺山のふもとあたりまで来た頃、周囲の様子が・・・ただ事ではない異様な感じだ。
 少し進むうちに異変がハッキリしてきた。バス通りを含む周辺の道路すべてを、大量の水が流れ下っている。根がついたままの松や杉の木などがあちこちに散乱し、びっくりするほど大きな石までが道路上にたくさん転がっているのである。見渡す限り、この先もずっと同じような状態らしい。これらが一体どこからどうやって流れてきたものか、皆目見当がつかなかった。
 家まで車でたどり着けるかどうかすら危ぶまれる状態だったが、中年のドライバー氏は責任感の強い人だったのか、文句一つ言わず、木や石を何とかよけながら自宅前まで連れていってくれた(もちろんチップをたっぷりはずんだ)。
 この少し前、関空から自宅に電話した際、猫のために泊まり込みで留守番していた母によれば特に何も変わったことはなく、猫たちも元気で、ただ雨が強く降ってきたのでこれ以上ひどくなる前に(私の自宅から車で5分ほどの実家へ)帰る、と。
 数時間後、広島駅に着いた頃には雨も降り止んでおり、にも関わらずこの惨状だ。後に「ゲリラ豪雨」と呼ばれるようになる集中豪雨が突然発生し、近所の渓谷を流れる小さな川がたちまち氾濫し、あたり一帯を削りながら一大奔流となり、それが堰堤えんてい(渓谷を越えて架け渡される堤防)からあふれ出して土石流が発生したのである。
 私が暮らす観音台団地では、何軒かの家のブロック塀が軽ワゴン車ほどもある大岩でざっくりえぐられるなどの被害はあったものの、幸い死者は一人も出なかった(実家にはまったく被害はなかった)。しかし、近隣地区では土石流に家ごと押し流され、多くの人々が亡くなっている(広島県全体で31名が死亡、行方不明1名、全壊家屋154戸)。土砂はわが家の玄関前ポーチのところまで来た。あと10センチくらいで、邸内へ泥水が浸入し始めていただろう。
 この土砂災害直後に父から聴かされたのは、龍宮館が建つあたりは昔から「ナメリ谷」と呼ばれてきた、と。「なめる」とは広島の方言で「滑る」とか「平らにする」の意で、土砂崩れが頻繁に起こってきた場所であることを示す。
 高度経済成長期、そんな物騒なところを強引に宅地造成し、かつて地獄谷などと呼ばれたような土地を、「平和台」とか「観音台」などと名を換え一般に売り出した事例が、全国でたくさんあるそうだ。

◎かような次第にて、トルコ巡礼に関する記事執筆が滞っていたのだが、気を取り直し、重要な聖地であるエフェス(エフェソス)とチャタル・ヒュユク(ホユック)を、今回はご紹介したい。これらの遺構やそこからの出土品の多くが、ヒーリング・アーツの背後にある世界観と密接な関係を有している。

◎エーゲ海沿いのエフェス(古代名エフェソス)は、世界最大級の遺跡とされる。偉大なる森の女神・アルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市だったが、後にキリスト教を受け容れ、新約聖書にもその名が登場する(『エフェソスの信徒への手紙』など)。
 足裏で大地とつながり、遺跡に刻まれた歴史のヴァイブレーションと共振するべく、エフェス遺跡を半日以上かけ裸足で歩き回った。ここはかつて、マルクス・アントニウスとクレオパトラが共に歩んだ地でもある。
 そのようにして生真面目に巡礼した結果・・かどうかは知らぬが、大いなる森の女神を自らの内面で感得するに至り、その後現在に至るまで、様々な修法をアルテミス女神より授かるようになったのである。

セルシウス図書館跡

アレキサンドリア、ベルガマと並ぶ世界三大図書館、セルシウス図書館跡。クリックすると拡大(以下同様)。

円形劇場跡
円形劇場跡

円形劇場跡。ここで神明流の舞を女神に奉納してきた。

アルテミス神殿の柱

エフェス郊外の沼地に残る、アルテミス神殿の柱。かつて世界七不思議の一つに数えられた壮大なアルテミス神殿を偲ばせるのは、今やこの1本の柱のみだ。よく観ると、柱のてっぺんでコウノトリが営巣している。

偉大なるアルテミス

アルテミス神殿跡から発掘されたアルテミス像。通称「偉大なるアルテミス」。エフェス博物館にて。

うるわしのアルテミス

同じくアルテミス神殿より発掘された、「うるわしのアルテミス」。エフェス博物館にて。数多(あまた)の乳房と半身を装飾する様々な動物たち(人類の歴史上、最も早く家畜化されたといわれる蜜蜂の姿もみられる)。足元両脇の2体は頭部が欠けたライオン像。ギリシア神話の貞淑な処女神とは異なり、小アジアをオリジンとする本来のアルテミスは、森の獣たちを司る豊饒の女神である。

◎トルコ東部のアナトリアで発掘されたチャタル・ヒュユク(ホユク、あるいはフユックともいう)は、紀元前7千5百年までさかのぼる(今から9千5百年前!)人類最古の都市遺跡の一つだ。主要な発掘物は、現在アンカラの博物館に納められている(ちなみにトルコの首都はイスタンブールではなくアンカラだ)。
 私たちの多くは、世界四大文明こそ文明の起源と信じて特に疑問をいだかないけれども、実際にはその遥か前の新石器時代初期、アナトリア南部にはすでに高度な都市文明が栄えていたのだ。
 それらの遺跡の特徴は、敵の襲撃を防御するための城壁が存在せず、戦いで傷を負った遺体が極端に少なく、装飾用以外に実用になりそうな武器もほとんど出土しておらず、極めつけは神殿らしき場所に奉納されていた神像がすべて女神であったということだ。神が男ではなく女であり、戦争のない平和な時代が何千年も続いたのだろう。私たちはこれを、「女神文明」と呼んでいる。

チャタル・ヒュユク祠堂の復元
チャタル・ヒュユク祠堂の復元 チャタル・ヒュユク祠堂の復元

チャタル・ヒュユク祠堂の復元。アンカラのアナトリア文明博物館にて。牛は古代文明における女神のシンボルだ。チャタル・ヒュユクではハゲワシも崇拝され、死者の遺体を捧げる鳥葬も執り行なわれていたという。

チャタル・ヒュユクから出土した小像

チャタル・ヒュユクから出土した小像。アナトリア文明博物館収蔵。プレ・アルテミスあるいはキュベレー。両脇にライオンを従え、出産する女神の姿をかたどった古代女神文明の至宝。

 9千5百年前の都市文明というだけでも驚異なのに、最後の氷河期の終わり頃(1万年~1万2千年前)に建造された驚くべき遺跡が、トルコのアナトリア南東部にはある。
 ギョベクリ・テペ。・・・まだ1割程度が発掘・調査されたに過ぎないが、人類史を根底から覆すような新発見が期待されている。周辺には発掘を待つさらに古い遺跡もあり(1万4千年~1万5千年前)、ギョベクリ・テペを含めそれらの遺跡が今回のトルコ・シリア地震でどうなったのか、現地に問い合わせたところ、特に被害はなかったとのことだ。

◎晩秋の味覚・ツガニ(モクズガニ)とガネ汁が高知から届いたので、高知流でガネ飯とガネうどんをこしらえてみた。ガネ汁というのは、活きたツガニをそのまま突きつぶし、汁だけを濾したものだ(ガネはカニの方言)。

ガネ飯
ガネ飯
ガネうどん

 モクズガニは有名な上海蟹の仲間である。食べられる身はほとんどないが、蟹味噌や内子の豊かな香りが染み込んだ炊き込みご飯やうどんは、素朴でありながら奥深い味わいだ(味つけは醤油と味醂のみ)。

◎フランス菓子の名店、「パティスリーモンプリュ」(神戸)の「ムラング・セック」。「メレンゲの魔術師」の異名をとる林周平シェフが手作りするスペシャルな焼きメレンゲ・・・となれば、これはどうしても実際に食べてみなければなるまい(呵々大笑)。

ムラング・セック

 華やいだ感じのバニラ風味(白)と、酸味と甘みのハーモニーを楽しめるイチゴ風味の2種類がある。
 サクサクした軽い食感で、口の中でふわりととろける。甘さも上品で、前回ご紹介した太田哲男シェフのキャラメルポップコーンもそうだったが、少し食べただけで充分な満足感が味わえるのが不思議だ。

◎種子島から届いた安納芋。秘伝のキュアリング(収穫後、高温・高湿度で数日間置くこと)と長期熟成法により、美味しさを極限まで高めているそうだ。

安納芋

 アルミホイルに包んでオーブントースターで45分、ホイルを外してさらに15分。しっとり&ほくほくで甘みが強い美味しい焼き芋の出来上がりである。

<2023.11.15 地始凍(ちはじめてこおる)>