Healing Discourse

龍宮道メモ 第四回 対極主義2

2023.05.10

 ABの原理を使って背筋せすじを整える筋骨矯正術の手法を、初公開する。筋骨矯正術と創始者・井上仲子については、HN1(ヒーリング・ネットワーク1)のディスコース『通身是手眼つうしんこれしゅげん』をご参照いただきたい。
 生きた人間の骨格というものは思いきり力を入れて押したり引っ張ったりしても容易に形を変えられるものではないが、「筋骨きんこつ(これは解剖学的な筋肉や骨を必ずしも指す言葉ではない)」というものの本質を素直に捉えさえすれば、指先で柔らかく触れ合うだけで、まるで粘土細工みたいに思いのままに働きかけることが可能だ。
 動画で示しているような手法を、プロの療術師や武術家等に示演し、本人にも直接体験させることをこれまで何度も行なってきたが、一体どうやってわざをかけているのか、何が起こっているのか、見抜いて直ちに再現できた者はこれまで一人もいない。
 絶対君主であった戦前の昭和天皇の身体調律・健康維持を一手に引き受け担っていたのが、筋骨矯正術(井上仲子の子、健一)だ。それは、この療術が当時の日本における最高レベルにして、現人神あらひとがみが受ける施術にふさわしい品格あるものと認められたからにほかなるまい。

動画10 『背筋におけるAB(筋骨矯正術)』
撮影:2023.03.18 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分13秒

2023.05.15

 脇におけるAB。

動画11 『脇のAB』 撮影:2023.03.18 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分51秒

 ヒーリング・ムービー其之四、ムービー2の6:18~7:00あたりで、受け手の脇に手を添え相手を崩す際、この原理(脇A、Bの床からの高さは異なることを意識化)を使っている(2021.04.17撮影)。何か適当なことをやって倒しているように見えても、その背後には常に相応の原理と術式が隠されている。

2023.05.18

 鼠蹊部そけいぶもものつけ根)のAとBを意識すると、持ち上がっていた重心が一気に落ちる。態勢を低くしようとか、腰を落とそうとか、そうした作為的配慮は一切要らない。

動画12 『鼠蹊部におけるAB』 撮影:2023.03.18 於:天行院

フルハイビジョン画質 04分11秒

2023.05.23

 岡本太郎の「芸術(呪術)は爆発だ!」という言葉は、実際に存在するリアルな境地であり、なおかつそれを他者の心身に自在に映すことも可能だ。しかし、そのことを知っていて・できる者は、全世界の芸術家はもちろん、宗教家でさえ、極めて少数なのかもしれない。
 そうした意識の高度な到達地点について、宗教や瞑想などの特殊な専門用語を用いることなく平明に解き明かした書物は、岡本太郎の著作以外に実例を知らない。
 なお、ここで言う「爆発」とは、岡本太郎が指摘している通り、物が破壊されて飛び散るような外向きの破壊的な爆発(エクスプロージョン)ではない。内面へ向かって静かに宇宙的に爆発(爆縮)する・・・これを私たちは「内破インプロージョン」と呼んでいる。内破を引き起こすためのインナー・テクノロジーが、「レット・オフ」だ。

動画13 『対極主義 芸術は爆発だ!』
撮影:2023.03.18 於:天行院

フルハイビジョン画質 03分04秒

 相反する対極同士を相照的にぶつけ合わせる時、受け手(複数でも可)はいかなる状態を内面で味わっているのだろうか? 表現法は各自各様だろうが、参考までに動画内で受け手を務めている者たちの感想をご紹介しておく。

●右と左という双極を同時に意識することで内破を引き起こすわざを先生から受けさせていただいた時の体験を思い出し、自分なりに言葉にしてみます。
 先生がわざに入られると同時に、外の世界に向かっていた私の意識は、グルリと反転して内面に向き、連鎖反応のように爆発する透明な流れに飲み込まれていきました。爆発と言っても静かで柔らかく透明な流れであり、外見上はほとんど動いていないのですが、内面はダイナミックな流れと観照の深まりが一体化し、虚実を超える超越的時空が拓かれ続けていくのを感じていました。
 先生からわざを受けた後に岡本太郎の言葉を味わうと、まさにこの境地を表す言葉として最適であり、現代人に訴える言葉のセンスの良さに敬意を覚えます。そして、ますます岡本太郎という人の凄さが様々な面で感じられてくるようになってきました。先生のお導き、ヒーリング・アーツにより、岡本太郎の魂が我が裡で煌々と輝きを増して立ち顕れてくるがごとき感を覚えます。(東前公幸)

●「内破」を受けさせていただくと、自分という存在感が裏返るような感覚がずっと感じられ続けるという状態となりました。幾何学においてクラインの壺やメビウスの輪といった、内と外が繋がっている不思議な状態を図形化しているものがありますが、それらの存在が思い浮かび、理屈ではなく生理的な感覚としていま体験している、と感じました。
「自分」という存在全体が無数に同時に細かく砕かれ、感じ取れるその感覚の粒子が更にどこまでもどこまでも微細に砕かれ続ける静かな爆発に満たされ、透明に、より透明に引き伸ばされ爆発し続けているという感覚がありました。(道上健太郎)

<第五回へ続く>