文:高木一行
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、江戸時代後期に28年もの歳月をかけ著わされた全98巻、106冊の大作だが、この長編小説中に「力足」なる言葉が幾度も繰り返し登場する。力足は現在では、相撲の四股の別名とされているようだが、『八犬伝』中に描かれる力足のイメージはまったく異なる。
具体的にどういうことをするのか記されてないのが残念だが(当時の一般読者には説明不要だったのだろう)、取っ組み合いの最中、足を盛んに踏み鳴らして相手を制する、ある種の攻撃わざのようなものだったらしい。
以前『八犬伝』を読みながら、この「力足」のことが妙に気になりつつも、いつしか失念していた。今回ご紹介する「力足」は、龍宮道のわざの一つとして比較的最近、顕現してきたものだが、それが『八犬伝』に記された力足と同種のものかはわからない。が、『八犬伝』の記述を彷彿させる(連想させる)わざであることは確かだ。
以下の動画1ではまず、受け手1人1人と組み合い、その状態で普通に足を強く踏みつけた場合と、力足を踏んだ場合とを比較している。
さらに、静かに立っている相手に対し、離れたところから力足を踏む。すると衝撃波が床を直進し、受け手の足裏から波紋が体内を上昇する・・・のだが、面白いことにこの衝撃波は意念によって指向性を与えることもできるし(ある特定の方向だけに作用する)、広い範囲に効かせることもできる。
なぜそんな現象が起こるのか、今の私には説明することができない。単なる思い込みや集団妄想の可能性も、もちろんある(私自身が何度か受け手になって確認してみたが、これまで味わったことがない作用によって全身が波打つのをハッキリ感じた)。
フルハイビジョン画質 03分38秒
読者諸氏が力足を試してみようとするのであれば、「『太極拳論』を語る」第十一回で解説した頂勁を、まずは充分練修していただきたい。爪先から踵へと体重を完全に移し替え、それによって身長がハッキリ伸びるのが確認できれば、力足を修する準備が整ったことになる。
こうした予備段階を経ずいきなり足を強く踏みつけたりすると、膝や足首などに過度な負担がかかって故障の原因となり、頚椎への負荷は軽いむち打ち症まで引き起こす(悪夢を見るようになる)。くれぐれも注意してほしい。
詳しくは後述するが、龍宮道で言う力足を正しく行なった場合には、膝や首に嫌な衝撃が響いてくることは一切ない。むしろ爽快であり痛快だ。そして、わずか数回行なっただけで、膝が途方もなく軽くなる。
「これは体に良いことである」と、生理的に直ちにわかるだろう。
動画2の冒頭は、力足を踏む私の脚に皆でヒーリング・タッチし、どんな作用が働いているかを感じ取ろうとしている場面。力足を踏んだ瞬間、腰腹から脚の裏側、そして踵へ至る太いラインがビリビリッと激しく震動するのが感じられるが、これは触れ合っている他者にもハッキリ伝わるものらしい。
上述の通り、龍宮道の力足を踏むと、膝がものすごく軽くなる。膝を覆って重苦しくさせていたブロック(重さ、硬さ、滞り)が、ぱかっと上下に分かれて開き、そこから今生まれ出たばかりの新鮮な膝が新たに顔をのぞかせたみたいに。
普通に踏むのと、力足を踏むのと、一体どこがどう違うのか?
前者では、「足」とか「膝」などに力を込めて踏みつけている。それらは皆、「部分」だ。「末端」だ。本と末の関係で言うと、本を無視して末からダイレクトに動作している(文字通りの本末転倒)。だから、衝撃が体内のあちこちでぶつかり合い、不快な感覚を引き起こすのだ。その嫌な感じとは、「これはやってはいけない体の使い方である」という、身体からのメッセージ(あるいは悲鳴)にほかならない。
これに対し力足では、「本」である骨盤部をダイレクトに床に叩きつけるつもりで落とす。すると、脚がまるで鞭のようにしなって、「末」たる踵が自然に激しく踏みつけられる。足に力を込めて踏みつける際とは、踵が床に当たる角度や踵にこもる力の性質がまったく異なる。
肥田式強健術創始者・肥田春充いわく、「気合とは腰と腹の中間に極大の緊張を起こすことである。そのための最有効の方法は、踵の踏みつけにある」、と。
即ち力足とは、気合発生法ということだ。
フルハイビジョン画質 01分48秒
今回ご紹介した動画で受け手を務めた人たちが、体験談や感想などを寄せてくれた(チーム・コミュニケーション・ツールへの投稿より)。一部をご紹介するので、独習の際の参考にしていただきたい。
◎先生が離れたところより、私の方に向けて力足を踏まれますと、床を伝って私の足元から波紋が上昇してくるのを感じました。思わず下腹に力を入れて耐えようとしましたが、力を入れた下腹ごと柔らかく持ち上げられるようにして体が浮き上がってしまいました。
先生と組み合った状態で力足を踏まれますと、電気が走るような衝撃と共に底なしの虚空に吸い込まれるがごとくに感じて、床に転がっていました。気がつくと体中が痺れるような振動に満たされ、壮快な感じがし、活力が湧いてきました。
先生は音をお聴きになるだけで、できているかいないかわかるとおっしゃっていましたが、ご指導により参加者全員で力足を行なっていますと、上手くできた時には体の奥底に響くような深い響きの音が出ていました。お互いに向かい合い、交互に力足を踏む練修をした際は、その衝撃波に向かい合うことに緊張感もありましたが、そのことがむしろ根源的な生命力を高めてくれることを感じ、驚きました。
先生が力足を踏まれるのをビデオ撮影していた際のことです。力足を踏まれた先生の脚や腰が激しく振動しているように観えて、驚きました。また撮影している私の身体にも、細やかな振動が伝わってきた時があり、ビデオカメラと触れ合っている手が微細に振動していて、これは凄いと驚嘆しました。(東前公幸)
◎肥田春充は「踵の踏みつけ」という表現で何を伝えようとしていたのか? 宮本武蔵の「踵(きびす)を強く踏む」とは? 廻国の武芸者たちが述べていた、「道場から聴こえてくる音を外から聴けばその道場がどの程度の実力か分かる」と言っていたような音とは何か? かつて陳氏太極拳が「陳家の炮捶」として大砲のようなニュアンスを持つ名称で知られていたことなど、様々なことが一気に繋がって理会され、そしてその気合を、我々も一端なりと実現できてしまったことに大いに驚かされました。
先生の脚に触れ合った状態で、力足を踏まれると、先生の脚の内部と私の身体の内側にビリビリッ! と電撃的な振動が走るのが感じられ、それと同時に崩れ落ちてしまいました。
動かされる脚、特に膝に力感を全く感じないのですが、足を下ろされるまでの動きにこちらの全身が波に揺らされるように動かされてしまうのも感じました。
参加者も力足を実践していきましたが、床を激しく踏んでも踵や足の骨が硬く当たるということはなく、成功すると炸裂音のような(人によっては金属音のような)音が発生し、膝や脚全体、腰や首に負担がかかるというようなこともなく、非常に爽快な衝撃が全身を走るのを実感しました。(道上健太郎)
◎組み合った状態で、先生が様々な方向に向けて足を踏み鳴らされました。足を踏まれる位置や強さを変えても、先生の足音が聞こえるだけで何も伝わってきません。次に先生が力足を踏まれますと突然、足音の質が変わって衝撃波が身体を貫き、その場に崩れてしまいました。
さらに全員が縦に連なった状態で先生が力足を踏まれますと、後ろまで一瞬で衝撃波が貫いていくことが分かり、真後ろにそのまま倒れてしまいました。
全員が横に並んだ状態で、それぞれの方向に向かって先生が力足を踏まれますと、先生が意識している受け手だけに衝撃波が伝わり、その他の受け手には影響がないことも大変不思議でした。
先生の小指をしっかり持たせていただいた状態で、先生の力足を受ける機会もありましたが、力足と同時に小指から螺旋状の衝撃波が瞬時に伝わってきて、その場に倒れてしまいました。
先生の太腿の前後を挟むように柔らかく触れ合わさせていただいた状態で、先生が力足を踏まれますと、先生の脚には一切力が入らないのに、脚裏にうねりのような波が生じ、私の身体が揺さぶられました。
さらに力足を踏まれた後の先生の膝とも触れ合わさせていただきましたが、膝蓋骨の上下左右のバランスが整っていて、どこにも偏りのない均整の取れた膝と感じられました。まるで赤ん坊や幼児のような素直な膝と触れ合っている感覚になりました。全員が連なった態勢で、力足を踏まれた後の先生の膝(の状態)を伝えていただきますと、前にいる受け手から柔らかい波紋が伝わってきて、自分の膝の力が抜け、柔らかく、ふわふわになったように感じられました。(渡邊義文)
<2023.01.26 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)>