ボニン・ブルーとは、小笠原諸島の英名、ボニン・アイランズに由来する言葉だ。
日本語の無人(Mujin)がいつしかBunin(ブニン)となり、さらにBoninへと変わったのだそうだ。
今日、東京都の一部となっている小笠原の歴史は興味深い。ここに詳述する余裕はないので、関心がある方はインターネット等で調べてみれば楽しめるだろう。
さて、そのボニン・ブルーの海で私たちが最初に出会った海中生物は、何とマンタ(オニイトマキエイ)だった。ダイバー憧れの的[まと]と、いきなり一緒に泳げるなんて、予想も期待もしてなかった。そんなハプニングが当たり前のように起こるところが、小笠原だ。
ツアーボートのキャプテンがマンタを発見。
「一緒に泳ぎたい人はどうぞ」とスピーカーからアナウンスがあり、シュノーケル・セットをすばやく装着して、「海に入って右方向」の指示だけを頼りに、底も見えぬ深い海へ水中カメラを手に飛び込んだ。
夢中になって泳いでゆくと・・・・・・、ボニン・ブルーの青一色の視界の中に、黒い影がにじみ出るように、小ぶりのマンタの姿が浮かび上がってきた。
水面下4~5メートルのところをゆったりはばたくように進んでゆくマンタと、わずかな間ではあったが、時間と空間を共有することができた。
やがてマンタは、力強くヒレをはばたかせ、ボニン・ブルーの世界へ溶け込むように、消えていった。
夢から醒めたようにふと我に返り、周囲をチェックすると、ずいぶん離れてしまったろうと思えたボートがすぐ目の前だ。腕の確かな、信頼できるキャプテンであると、すぐわかった。
「上船して下さい」とのスピーカーからの合図に、一緒に飛び込んだ数名がわらわら船尾に泳ぎ寄ってくる。
船に上がって初めて、妻の姿を確認した。ちゃんとマンタと出会えたと聴き、素晴らしい体験をシェアできた喜びに胸が躍った。
ここ、小笠原のシュノーケリング・スタイルは、よそとまったく違う。
私たちが訪れた時期は、例年ならば太平洋高気圧の影響で好天が続き、海もべた凪となることが多いというが、実際に行ってみると強風が吹き荒れ、小笠原諸島特有の切り立った断崖絶壁をすさまじい勢いで波浪が叩きつけていた。波の高さも半端じゃない。ただ水面に浮かんでいるだけで、シュノーケルからゴボゴボ水が入ってくる始末。
19世紀頃まで人が住み着くこともなかった絶海の孤島。ここ小笠原は「お遊び」で訪れるような場所じゃない。決して。
アメリカから小笠原に移り住んで5世代目、小笠原の海のすみずみまで知り尽くしている船長が、私に「マンタ乗り」の秘訣を伝授してくれた。
マンタは上への意識が希薄だから、後ろ上方よりそっと近づいてゆき、両目のところから突き出ている、あの突起を素早くつかむのだという。するとマンタは驚いてくるりと回転するため、太陽光を屋根のようにさえぎり、あたりが暗くなる。それで驚いて手を放しちゃいけない。・・・・そんな風なことを、他にもツアー客はいっぱいいたのに、私と美佳だけに熱っぽく指南してくれた。
マンタライド・・・。このキャプテンの船で、1度やってみたかった。
まあ、マンタにとっては迷惑千万な話ではある。