Healing Discourse

ドラゴンズ・ボディ [第4回] 髑髏杯(どくろはい)

 融通が利かないことを「頭が固い」というが、そういう人間の頭部は、骨がきつく締まっているという意味で、実際に固いのだ。頭が固い者は体も硬い。
 煩悶苦悩する時、あれこれ考えて堂々巡りをしている時、嫌々ながら物事を行なう時、退屈な時、そんな時は決まって頭骨が締まっている。ここでは、10種16個の頭蓋骨と5種7個の顔面骨を合わせて、仮に頭骨と呼ぶことにする。
 病気の時、許せない時、先入観にとらわれて新しいものを理会できない時、不安に襲われ疑心暗鬼に呵(さいな)まれている時・・・そういう時も、やはり頭骨は締まっている。そして個々の状況における頭の締まり方は、それぞれ異なるのだ。

 さて面倒なことになってきたものだが、この問題に対するヒーリング・アーツ流のアプローチは実にシンプルだ。
 頭にヒーリング・タッチ。そして手を凝集→レット・オフ。
 つまり、どんな締まり方でもいいから、それを変えようとせずありのままに受け入れ、一緒にもっと凝集し、そして一緒にレット・オフの波に乗ってしまう。
 接触面同士が、お互いの皮膚面に対して直角に触れ/触れられているようにすれば、・・・鏡に映るようにお互いの状態が響き合い、共振が起こる。これを「いやしの黄金律」という。
 手の裡を凝集させれば、頭の骨も凝集して締まっていく。
 その締める方向性をオフにして反転させることで、締まりとは正反対の位相を持つ開放波を頭に作用させることができる。それにより、頭骨本来のBeingが自ずから顕(あら)われ出てきて、頭骨が細やかに精妙に振るえ始める。頭骨のたまふりだ。

 ところであなた方は、「輝くような健康感」という言葉の真義を、日々の生活の中で実感しているだろうか? 頭と触れ合ってヒーリング・タッチを発動する時、私は実際に頭骨が粒子的に振るえながら輝き始めるのを「感じる」。その白く柔らかな内的輝きは、たちまち全身の骨へと拡がっていく。骨から起こる健康感は、身体のその他のすべての部位同様、まったく独特のものだ。
 骨は、身体を「建てる」ための骨組みとしての役割を担っている。その生理的感覚は非常に稠密だ。「気骨」という言葉があるが、精神的・身体的に容易に崩れない毅然とした態度、・・・別の言葉で言うなら、骨の意識がしっかり覚醒している状態を指すのではあるまいか? 私は自らの裡でそのように感じている。
 腕立て伏せの準備姿勢のように、両手を伸ばして床につき、全身を支える。この体勢をとった時、あなたは腕の筋肉のみに意識が行き、無意識下ではあたかも筋肉が体を支えているがごとく仮想しているのではないか? このように問われ、改めて自らを顧みて・・・どうか?
 実際には、筋肉は体を支えることに、直接的にはまったく関与していないのだ。支えていたのは骨だ。その大切な柱(腕)が途中でボキリと折れたなら、建物(体)は一瞬たりとも持ちこたえることができず、ガラガラ崩壊してしまう。腕や脚を骨折したことがある人は、私が述べていることが実感としてよく理会できるかもしれない。

 自らの身体における「骨組み(柱)」と「土台」の違い及び関係性も、建物とのアナロジーでしっかり理会しておくべきだ。骨組みを土台と仮想している人は案外多い。
 例えば、立って壁を手でしっかり押しながら、土台である足とそれ以外の骨格とを区別していく。これまでは土台以外の部分、例えば背中や肩、首などで「支えよう」としていたことがわかるだろう。実際に支えるのは足のみであり、そこには大地に対して垂直の力が働く。
 様々な姿勢・動作でチェックし、身体に対する意識のあり方を再構築していくことだ。こうしたワーク(作業)を通じて、しなやかで流体的な身体が自ずから顕われてくる。

 米国の伝説的ヒーラー、ロバート・フルフォード博士(オステオパシー医)は、その著書『いのちの輝き』の中で、「健康な人のあたまに両手を当てていると、まるで手の中からあたまがふわっと浮き上がりそうな、ここちよい感覚があじわえる」と述べている。
 私の頭と触れ合ってヒーリング共振を体験した人々も、これと似た感覚について報告している。曰く、「先生の頭に柔らかく両手を置くと、やがて自分の手の骨が共鳴して内側から微細に震えるような感覚が生じ、それはたちまち全身を覆い尽くしていった」、「ヴァイブレーションが掌から足先まで伝わり動けなくなった」、「振動というよりは、よくわからないまま、とても気持ち良い感覚に包まれていた」・・・。
 頭骨のたまふり法を修得すれば、誰でもこうした状態を、自他の身体に自在に引き起こすことができるようになる。相承会での体験談をいくつかご紹介しよう。
 
<体験談1>
 最初に頭部の骨格模型を用いて、先生より各パーツの形、それぞれの位置関係などの御説明がありました。それを基に、自身の頭に両手で触れ、感じ取っていきますと、特に頭の前後から触れ合った時、両手の間に感じる幅が大変狭く感じました。それだけ頭の中がギュッと詰まっていた訳で、その詰まっている部分を開放していく方法を学び、実践していくと、これまでひとかたまりにしか感じられなかった頭骨中心部付近が、スゥーッと粒子状に砕けていくように感じられました。これまで当たり前だと思っていた頭の中の塊が、サラサラとした粒子状の感覚へと変わっていきました。それは、修法を行なえば行なうほど、粒子状になり、今では液状の何かが頭の中で揺らめいているようにも感じられ、同時に、頭の中がスッキリするのを感じています。以前は、何か問題や悩みがあると何とも表現し難い重圧を頭に感じていました。今は、問題や悩みがあっても、頭に抱え込むことなく、頭がクリアーな状態で、前よりも柔軟に対処出来るようになったと感じています。頭の中が詰まった状態で思い悩むと、頭の中心に向かって、それこそ頭の中の塊を固める方向に、キューッと負荷が掛かっていくのを感じます。そうなってしまうと自由な発想が出来ず、一辺倒な考え、頑固さ、正に石頭になっていくのでは、と思いました。様々な問題に思い煩い、頭の痛くなることには事欠かない世の中において、頭骨を開放する修法を実践していくことは非常に重要なことなのではないかと感じています。<H.O. 埼玉県>

<体験談2>
 頭骨開放の方法は、私にとって朗報でした。常日頃、頭を締めている感じがしていたのですが、これを解除するポイントがわからずにいました。左右から締められていることが、感覚が鋭くなっていくにつれて、はっきりわかるようになり、ただ不快感だけが高まりつつありました。これを強調し、拡散させることを繰り返していくと、徐々に、締め付けが和らぎ、頭に偏っていた身体感覚が、かなり修正されました。頭骨が開放されると、その真ん中にある蝶形骨が微細な振動を放っているのが実際に感じられ、それが脊椎を伝わって、仙骨のほうまで影響を及ぼしているのを感じることができました。そうなると、非常に軽快で、気持ちよく、頭の回転も速くなっているようでした。
 その後、日常生活でも、頭の開放を意識していると、普段、カチンと来るようなところも、すっと流して行けたり、シンプルに問題を解決できたりしているようです。健康な身体は微細な振動を放っているものだ、ということが良くわかりました。<T.K. 東京都>

<体験談3>
 相承会前日に仕事の件が急に気になりだし、父の病気(肝臓癌)の件と相まって、当日は精神的には今ひとつ晴れないままの参加でした。
 先生の、頭骨の模型を使っての時間をかけた丁寧な説明で、その後の意識化が大変容易になりました。頭骨に働きかけるいろんな修法を学び、実践しているうちに、翌日にはそれまでの二つ(仕事、父の病気)の精神的な煩悶がなくなっていることに気付きました。また、本当になくなって平気なのか、試しに気になることを思い起こして見ましたが、何か別件のごとく客観的に感じるのでした。
 相承会2日目後半、ヒーリング・ストレッチを人にかけている時、相手の腕全体をなにか液体が入った袋のように感じだし、その袋を両手でそっと傾ける気持ちで中の液体を動かす意識が出てきました。これが裡の感覚か凄いぞ、いいぞと思った瞬間に、何故かこの感覚を習得する残り時間がないのではないかという不安感が出てきました。本来喜ばしいはずなのに、どういうわけか不安のほうがその時は強調されました。でもその不安は頭骨のレット・オフで短時間に解消され、前日までの心配事とは別質の感じがしました。
 帰りの新幹線で空調が寒くて喉の調子が悪くなり、その翌日の夜に鼻腔奥がかなり痛くなりました。しかしながら頭骨の奥深くをかえって意識しやすくなり、今回は風邪薬を飲まずに自己の治癒力で頑張ってみようという気になりました。寝る前のみならず、会社でも喉が変になると蝶形骨を凝集→レット・オフしていたら、あることに気付きました。自分に客観的になり、上司や部下との会話で相手の話を今までより受け入れているという事です。また将来の不確実な事項が、あまり心の中に尾を引かないようになってきている事です。
 最近の中高年者は、いろんなストレスから、神経性の胃腸炎や躁鬱病にかかっています。若い人でも増えていると聞いています。これらの人々にとって頭骨開放の修法は大いなる福音になるのではないかと感じています。<T.F. 神奈川県>

 改めて修法を一緒にやってみよう。
 柔らかく開放した両手で柏手を打ち、掌に残る振動感(痺れ)を押さえつけて消してしまわないよう注意しながら、労宮を中心として柔らかく頭に充(あ)てたら、凝集→レット・オフ。いうまでもなく、最後まで労宮の中心を崩さない。
 頭を圧縮するように押してはいけない。今あなたが触れ合っているのは、複雑な凹凸を持つ曲面だ。頭骨全体をバランスよく細やかに振るえさせるためには、手の内部のみで意識のマニピュレーション(操作)を行なわねばならない。少しでも手の外側(この場合は頭)に対して、何かを「する」力を加えてしまうと、必ず頭骨は歪んでしまう。力を粒子状に使えば、自分自身の頭で検証できる。

 私が言う手の裡は、武術で重要視される「手の内」にもダイレクトに通じるものだ。手の内部が凝集することで、掌の皮膚と頭皮が精妙に縮小し、それによって頭骨全体がまんべんなく柔らかに粒子状に締まっていく。
 そこからレット・オフ・・・すると、手が頭に柔らかく吸いついたまま、粒子状に分解拡散していく感覚が起こる。手と頭骨とが響き合い、頭皮がふわりと溶けていくような感触とともに、頭骨が緩み、超微細に振動し始めるのが、・・・・正確に修法を行なえば、生理的に感じられる。
 それはあまりにも精妙なので、ヴァイブレーションとか振るえというよりは、爽やかさ、明るさ、清々しさといった言葉を使う方が、より適切かもしれない。
 両労宮の意識をヒーリング・バランスで整えていけば、頭骨の任意の箇所に凝集→レット・オフの作用を引き起こすことも、意のままに行なえるようになる。眼窩の奥に横たわる奇妙な形をした蝶形骨(ちょうけいこつ)でさえ、例外ではない。
 蝶形骨は、位置的にも構造的にも頭骨の中心部だ。前頭骨、頭頂骨、側頭骨、後頭骨、上顎骨、口蓋骨など、頭骨を構成する主要なパーツが、蝶形骨と直接つながっている。さらに蝶形骨中央にあるトルコ鞍というくぼみには、重要な内分泌腺の1つである下垂体が納まっている。この蝶形骨を中心として起こした頭骨の波紋は、背骨を介して全身の骨格へと響き渡っていく。私がここで述べているのは、すべて生理的実感だ。

 体を思いきりねじるなり、曲げるなりして、これ以上動かすのは無理という硬直状態にて、ヒーリング・タッチで頭骨を開放。
 蝶形骨を中心として頭にたまふりを起こせば、ねじ曲がってギュッと固まっている部分の裡から、ふわりと溶け拡がる波紋が湧き出してくる。これ以上は無理という限界を楽々と突破し、体がさらに滑らかに動いていく。自分で行なうこともできるが、ヒーリング・タッチ習得者から術を受ければ、堅さが内部から緩んでくる感覚がより鮮明に味わえる。
 応用として、体のどこかに痛みが現われるような体勢をわざと作り、その状態を保ったままで頭骨を開放してみるといい。痛みの内側から緩みが起こるのがハッキリ自覚できる。軽度の痛みであれば、これだけで完全に消失してしまうこともある。
 普通は、例えば体をねじるなどしてわざと起こした痛みを消すためには、ねじった体を元に戻さなければならない。ところが、この修法では、外形はそのままなのに、痛みの内部から緩み拡がる波紋が起こってくる。それにつれて外形が自然に変化していくこともあるが、ねじれを元に戻すのとはまったく違う動き方だ。

 このように頭のネジをちょっと緩めただけで、身体の柔軟性は直ちに増大する。頭が固いと体も硬くなる。・・・私が最初そのように言った意味を、今やあなた方は自らの身体を通じて理会し始めていることだろう。
 ヒーリング・アーツの学びは、常に頭をほどきながら進んでいく。それは既成の価値観からいつも自由であることを意味する。頭が固いままだと、ヒーリング・アーツに限らず何を学んでも、何をやってもモノにならない。
 様々に動きながら頭骨にヒーリング・タッチ。
 あるいは、
 頭骨を開放した状態で一指禅。 
 ヒーリング・アーツの修法は、ランダムにいかなる組み合わせを選んでも、クロスオーバーによるバージョンアップをそれぞれの修法が遂げていく仕組みになっている。 
 
 淫祠邪教の代表とされる謎の秘教教団・真言立川流では、人間の髑髏を特殊な製法で本尊に仕立てたという。チベット密教の儀式では、今でも髑髏で作られた杯が用いられている。
 頭骨開放の修法を学んだ者に、分解可能な頭骨模型を渡すと、自分自身の頭と比較して時折感嘆の声を上げながら、何度も分解したり組立てたりして、いつまでも飽きることなく遊んで(=学んで)いる。そういう姿を見ていると、髑髏を聖なるものとして崇拝した人々の心情も理会できるような気がしてくる。
 頭骨を振るえさせる時、その中心から妙(たえ)なるいやしの波紋が沸き起こり、脊椎を通じて全身の隅々にまで染み渡っていく。それは痛み、苦しみ、悩み、患いを現実にいやす力を秘めたヒーリング波紋だ。
 頭骨のたまふりが極まった時には、燦然と輝く聖杯から溢れこぼれる恩寵(霊的滋養)で、自らの内面が満たされていくような深遠なヒーリング感覚が生じる。
 歓びと聖性に彩られたそういう境地を、私はしばしば味わっている。

<2007.07.20 土用>