Healing Discourse

グノーティ・セアウトン [第7回] 音のたまふり

 音楽もまた、たまふりだ。
 ヒーリング・アーツと超越的叡知とを橋渡しするヒーリング楽曲の産み出し手である高木美佳にとって、音楽の創作過程とは生命力の高揚であり、啓示の示現であり、人生における最も輝かしく喜ばしい瞬間だという。
 それは私が様々な驚くべき修法を、自らの裡に見出す時に味わう、「あの感覚」に直通するものに違いない。そういう質を私たちは、<ヒーリング>と呼んでいる。
 少し前のことだが、妻と一緒にヒーリング・アーツを練修していて、「ヒーリング楽曲はどういう風に顕われてくるのか」という疑問がふと湧いてきた。「そんなことは、これまで意識したことがない」という妻をバックアップしながら、これまでの経験を少しずつ言葉として引き出していった。

 曲によって顕われ方がまったく違っており、1つのパターンに固定されるものではないが、例えばピアノに向かい合ってかしわ手を打ち、たまふり状態を励起して静かに祈りの姿勢に入ると、手が自然に動き始め、これまで聞いたことがない和音(ハーモニー)と旋律(メロディー)が一緒に顕(あら)われてくることが多いそうだ。
 時には、曲が身体の裡(うち)から聴こえてくることもあるという。夢の中で聴こえることもあるらしい。
 一体どんな風に「聴こえる」かというと、人が歌っている声みたいなものが聴こえることもあるし、オーケストラの楽器の音として聴こえることもあるそうだ。「絵でいえばラフスケッチみたいな感じ」で、大まかな輪郭としての音像が聴こえてくるらしい。・・・「だそうだ」とか「らしい」とか「とのことだ」といった言葉を繰り返すことには抵抗を感じるが、私が実際に経験したことのない境地なのだから致し方があるまい。
 妻はクラシック音楽を専門に学び、オーケストラで演奏したこともある。音やリズムに対する特別な感性を幼少の頃から養ってきたことに加え、ヒーリング・アーツを応用して音感に磨きをかけることを日々励行している。そんな彼女が現在いかなる音の世界に生きているのか、私には想像することさえできない。

 新しい曲が、楽譜として「観える」こともあるそうだ。残像のような感じではっきりしたものではないらしいが、どうやらリズムが楽譜という形をとって顕われているようだ。
 拍子とリズム、テンポが同時に、一瞬のうちに「わかる」こともあるという。通常、音楽を音楽として認識するためには時間が必要だ。しかし「わかる」時には、時間は関係ないそうだ。
 私もヒーリング・アーツの新しい修法が示現する時には、やはり瞬間的に理会と体得が起こる。「こういう原理に基づいて、こうすれば、こうなる」ということが、それまで1度も行なったことがないにも関わらず、はっきりわかる。

 楽器や声の録音をしている時、完全に「我(われ)」というものがなくなって、周囲の空間と一体になって溶けてなくなる、自分が音楽そのものとなる、という体験が頻繁に起こると妻は言う。
 そういう時には、生命エネルギーともいうべき「流れ」が全身を活発に巡っているものだ。
 腰腹の間からエクスタシーにも似た気持ちよさがふつふつと湧き溢れてくる。作業に没頭するほどに、どんどん楽しく、楽になっていく。自分が創るのではない。それが顕われ出ようとするのを手助けするだけだ。自分はその通路となるだけだ。・・・こうした境地は、私が舞を通じて体験しつつあるものと完全に合致している。

 巨匠と呼ばれるような指揮者たちがオーケストラのリハーサルを導いていく際には、あれほど数多くの楽器が鳴り響いている中で、個別の音を繊細に聴き分け、時折全体の動きを止めて、それぞれに的確な指示を送っている。
 そうした豊かな音感の世界を、まだほんの一端ではあるが、先日以来私も味わうことができるようになった。
 きっかけは、ふとしたことだ。妻が自宅の電子オルガンを弾いていたのだが、何となく耳を傾けていると、知らない曲なのに、いつかどこかで聴いたことがあるような感じが、しつこくつきまとって離れない。妻に確認したところ、これまで何度も聴いてよく知っているはずの『シャクティ』だという。この曲を構成する複数のパートの1つだけを妻が弾いたので、上記のような奇妙な「既視感(デジャヴュ)」ならぬ「既聴感」が生み出されたのだ。

 たくさんの異なるパートが、どのように絡まり合い響き合って、あのようなエネルギッシュで繊細な音楽となるのか、私には見当もつかなかった。だが次の瞬間、これを修法として活用する方法が「わかった」。

 その説明を聴いて、妻は最初のうち私が何を意図しているのか、まったく理会できなかったようだ。何度も繰り返し説明するうちに、彼女は驚くべきことを言い始めた。
 複数の異なった旋律をそれぞれ個別に意識しつつ、クロスオーバーしていくことは、妻にとってはごく自然で当たり前の行為であり、自分以外の人間には音楽の多層構造が聴こえていないなどとはこれまで想像したことさえなかった、というのだ。
 私が妻に提案した音感訓練法というのは、「シャクティ」の各パーツをまず個別に聴き、それらを様々に組み合わせた状態を比較していく、というものだ。足してもいいし、引いてもいい。そうしながら、各要素をクロスオーバー(かけ合わせ)していくのだ。いうまでもなく、感覚を限りなく細かく割って粒子状に使っていく。
 早速試してみたところ、直ちに音楽の聴こえ方が劇的に変化し始めた。ヒーリング・アーツの基本となる空間的感覚を養うのに非常に適した修法といえる。今回は、この音感訓練法のごく一部を、妻のガイドによってご紹介する。
 以前、『たまふり』第6回(ヒーリング・サウンド)でご紹介した「音感を開く修法」を併せて行なうのもよい。

 あるいは以下のフォーミュラに従えば、聴覚の空間性が直ちに増すのがわかるだろう。

 好きな音楽を流しつつ、片耳を手でぴったり塞ぐ。そしてもう一方の耳だけを使って音楽を聴く。
 次に、塞ぐ側を換え、同様に片耳だけで聴く。
 それぞれの耳だけで聴くことに慣れたら、いったん両耳を塞ぎ、そろそろ・・とゆっくり開放しながら、各々の耳を均等に音楽に傾ける。そして、両者をクロスオーバーする。

 ・・・・・・・・それでは、妻のリードに任せ、共に音楽の多層世界へと旅立ち、音のたまふりを楽しもう。
『シャクティ』の一部が学びのツールとして活用されるが、これは妻のニューアルバム『ニイルピトゥ』の冒頭に収められている曲だ。シャクティとは、ヒンドゥー神話において宇宙の根源にあるとされる女性的力であり、簡単に言えば私たちの活力の源だ。

 * * * * * * *

譜例

 高木美佳です。
『シャクティ』の最初の4小節のスコア(譜例)をごらんください。何種類かの音色が重なって、1つの音楽を形作っていることがおわかりになると思います。この部分は曲全体の中では比較的シンプルな方で、より多層的で複雑に重なり合う音符が記された譜面があと79ページあります。

 それではまず、『シャクティ』の最初の4小節を実際にお聴きください。このページ上でご紹介するオーディオデータは、ダウンロードの時間を短縮するために、128kbpsのMP3形式で保存してあるため、実際のCDの音よりもかなり圧縮されて、粗い音になっています。

『シャクティ』:全パート

 始めの4小節では、スコアに載っていない太鼓、オルガンの足鍵盤によるベースなどを含め、約11パートの音色が同時に鳴っています。
 その中から、まず太鼓の音だけを取り出して鳴らしてみます。最初の4小節間を聴いてください。

太鼓

 最初に全パートで鳴らした時には、この太鼓のリズムはほとんど聴こえていなかったかもしれません。しかし、このようにとてもシンプルでわかりやすいリズムを刻んでいます。
 次に、オルガンによるメロディーを聴いてみましょう。このメロディーは、シャクティのテーマでもある重要な旋律で、曲の締めくくりにも出てきます。

オルガン・メロディー(譜例:Org)

 次に、太鼓の音と、オルガンのメロディーを、2つ同時に鳴らしてみます。始めのうちは、ただ聴き比べるだけで結構ですが、慣れてきたら、両者を同時に、均等に意識することにチャレンジしていってください。音楽のクロスオーバーによる<たまふり>が起こってきます。

太鼓×オルガン・メロディー

 こうして聴いてみると、別々だったはずの2つのパートが組み合わさって、『シャクティ』のテーマの基本構造ともいうべき、根本の骨格が現われ出てきたのが感じられます。

 そして次に、ベース(オルガンの足鍵盤と、譜例Synth 2)の音を聴いてみましょう。ベースは音楽の中で主に一番低い音を担当していて、音楽構造の基礎を一番下で支える役割があります。

ベース(譜例:Synth 2)

 このベースの音を単体で聴くと、誰もが「こんな音が鳴っていたのか」とびっくりされるようです。ベースの音は、慣れてくると比較的聴き取りやすいのですが、始めのうちは全パートの中の、どこでその音がなっているかを聴き取るのは、少々難しいかもしれません。
 では、このベースの音に太鼓とオルガンのメロディーを加えて、3つのパートをクロスオーバーしてみます。

太鼓×オルガン・メロディー×ベース

 この3つが揃ったことで、何となく全体の構造が見えてきました。次に「Pad 2」というちょっと変わった音色のパートを聴いてみましょう。

Pad 2

 このPad 2のパートは、メロディーとそれに付随する和音を担当しています。オルガンのメロディーと内声部(メロディーの下、ベースの上に配置されている音符)や、Harp&Stなどとほぼ同じ音形になっており、全体を鮮やかに彩り、また厚みとボリュームを持たせるための役割を担います。

 他にもユニークな個性を持ったパートがありますが、構成要素の解説はこの程度にとどめておきます。それでは最後に、あらためて全パートを同時に聴いてみてください。

『シャクティ』:全パート

 最初に聴いた時と比べて、いかがでしょう? 
 各パートを分離して聴くことで、音楽の印象がガラリと変化します。複雑な空間的織物のごとく、様々な要素が絡まり合って一つの音楽を形成していることが、理屈ではなく感覚を通して理解できるようになります。
 意識の用い方をちょっと変えるだけでも、音楽に対する感性が根源的に変容し始めます。
 例えば、皆さんがいつも聴いている音楽を、メロディー(歌や楽器の主旋律)と、それ以外の部分とに、分けて聴いてみるのです。ほとんどの人は、歌などのメロディーの部分のみを聴いていて、その他の部分は伴奏であり、付け足しであるかのように認識されていると思います。
 歌や旋律以外の部分を意識しながら聴いてみたり、慣れてきたら歌以外の部分を聴きながら、一緒に歌を歌ってみるとよいでしょう。歌のメロディーだけを意識して歌ったのと、歌とそれ以外の部分を同時に感じながら歌ったのとでは、音楽との一体感に雲泥の差があります。音楽全体の構造をより多く感じられるようになるほどに、一緒に歌った時に起こる、音との交合ともいえるような奇跡的な感動はどんどん大きくなります。
 大好きな音楽をただ聴くだけではなく、歌い踊ることで音楽そのものとなって、自らもその音楽の一部を担うことができた時、音によるヒーリングが起こります。実はそれが、多くの演奏家・音楽家が体験していることなのです。
『シャクティ』の中には、中央ハ音(一点ド)から1オクターヴと増四度上の嬰ヘ音(上二点ファ#)までの高音部のヴォーカルが入っていますが、この曲の録音に取り組む数日前まで、私の発声音域はそれよりもかなり狭く、嬰へ音よりも長3度低い、ニ音(上二点レ)までしか出ませんでした。幼い頃は、高音部も楽に出せて、児童合唱団ではソプラノのパートに属していたのですが、いつの間にか高い声が出なくなってしまい、大学の授業でソルフェージュや合唱の時間に、高音部を出すことが苦痛になっていました。
 長い間高音部が出なかったので、自分の声帯の音域はこれ以上広がることはないだろうと思い込んでいたのですが、ある日、ヒーリング・アーツの基本である、「凝集とレット・オフ」や、のどの仮想を正すためのヒーリング・タッチ、ヒーリング・バランスを発声する際に応用したところ、突然、限界だったニ音をはるかに越える高音部を、伸び伸びと楽に発声できるようになったのです。私にとって、これは奇跡に近い出来事でした。
 のどや身体各部の余計な力みが溶ければ溶けるほどに、声も自分が思い描く通りに出せるようになり、表現能力も深くなってきます。プロの声楽家の方でも、のどの故障に悩まされ、比較的若い年齢で限界に達して、歌うことができなくなることもあるそうですが、そういった問題に対しても、ヒーリング・アーツは明快な解決法を示すことができると思います。本来の自分ののどや体で発声することができれば、歌うこと、話すことなど、声を出すことに関わるすべての行為におのずと熟達し、自分自身をいやす行為となることを実感しています。

<2007.06.30 夏越の大祓>