長期断食をきっかけとして感得した宇宙万有の根本実体を、田中守平は「霊子[れいし]」と呼んだ。彼によれば、この霊子は、精神的なものでも物質的なものでもない。
霊子説は、霊術の原理を説明しようとする当時のあらゆる理論と比べ、ずば抜けて高度かつ広範・深遠であり、それゆえ難解でもある。
何せ、霊子論によって宇宙の超越的構造を明かし、私たちの・・・生命の、存在意義を明らかに示し、人類1人1人に各々の霊的使命を自覚せしめて、理想の平和文明実現を図ろうではないか・・・と、本気で守平は唱えていたのだ。何とも気宇壮大な・・・一歩間違えば妄執へと変ずる危険をはらんだ・・・「意思」だ。
長期断食がもたらす超明晰な頭脳を駆使しながら、古来神とか仏、道[タオ]、天、アッラーなどと呼ばれてきたものの実体を、守平は究明していった。徹底的に。
超越的な世界を理会するためには超越的な思考と論理の新体系が必要であるとして、霊理学なるものまで創始した。
彼のこの明晰な頭脳にあやかるため、私は時々、守平の口述書を音読してみることがある。すると、嫌ったらしいほど徹底的に管理・整備された、クリアーかつ広大なマインドが、しばしば感じられる。
これを語った人物は、もしかして本当に聖人・君子と呼び得るような人だったのかもしれない・・・。そんな風に思えてくることもしょちゅうだ。
家族の前でも、自室で1人の時も、決して姿勢を崩したりしない人。
単なる「いい人」ではなく、超人的な「いい人」。守平の回りの者たちが、自ずから感化されていったのも当然かもしれない。
関東近郊のみならず、日本全国、果ては朝鮮、台湾、支那(中国)などからも、人々が守平の元にどっと押し寄せてきた。
われもまた超人として目覚め、霊という高次元の認知を得て、霊力を身にまとい、新世界建設に乗り出さん! そのように勇み立つ人々が、続々と、列をなして、守平の元へ集ったのだ。
守平は、徹底した恭敬・厳粛なる態度にて、それらの1人1人と相対[あいたい]し、霊の手をもって、霊子術の奥義を授けていった。
精神でもない肉体でもない、両者を超越する根源的実在。それが霊子であり、「その創化作用によって、物質的及び非物質的なすべては、機制的法則に従いつつ表現される」と守平は言う。
無量無数の元素の化合も、盲目的作用でもなければ、偶然の出来事でもない。それらは、一定の規律的法則によって行なわれるものであり、約言すれば、宇宙の全存在は最終原理たる霊子の発動にほかならない、ということになる。
そして時間、空間、在(有)、非在(無)を超える、超越的実体の本源が「太霊[たいれい]」である。「霊子」は「太霊」を根拠として、その創化力を発現する。だから、霊子の作用がなければ、太霊は現われもしないし、意義もなさない。宇宙は霊子の自発作用の顕現にほかならず、それは太霊の原理によって、完全に統一されている。
霊子と太霊との関係について述べると、万有の実体そのものが太霊であり、実体が現われた活動的方面より見るとき、これを霊子と称する。
物・心の二元は、ともに霊子の力によって生じ、その力は太霊の究極的原理によって現われる。つまり霊子のすべては太霊の部分であり、太霊は霊子の全体である。
太霊道研究家・ 中根滄海は、「霊子を水に喩えるなら、太霊の本体は水と波の両者を統合したものということができよう」と説明している。
宇宙の実体を解明した! 人生の意義がここに来ればわかる!
・・・・・・実に胡散臭い話だ。
しかし、田中守平はそのように主張した。堂々として。
1ページ大の新聞広告まで出して、広く世間に呼びかけた(これが当時の頭の固い連中には我慢がならなかったらしい。神人が宣伝・広告などするものか、というわけだ)。
前述した通り、たくさんの人たちが守平の元に押し寄せ、以下にご紹介するような内容の講授会に参加し(通常10日間)、「本当だった!」「凄い!」と大喜びし、「これで社会を、世界を変えられる!」「変えてみせる!」と奮い立った。
月刊『太霊道』誌をひもとくと、弁護士、議員、医師、あるいは軍隊の高級将校など、当時の知的エリートや社会の第一線に立つ人々がこぞって、「これぞ、過去のいかなる科学も哲学も宗教も解明し得なかった、宇宙の究極の秘密なり!」と、霊子説を称賛・賛嘆したことがわかる。何か、只事ならざる事態が起こりつつあった。
田中守平口述『太霊道及霊子術講授録』が、幸いなことに現在復刻されており、霊子や太霊についても詳しく説かれているから、霊術研究や心身錬磨といった方面に真剣な関心を抱く人には、そちらの精読・研究をお勧めする。一部、出版社の都合で抜き去られた部分があるらしいが。
人々が霊子論に傾倒した大きな理由は、それを実際に応用する霊子術の威力が、あまりに凄かったからだ。
最初疑ってかかっていた者も、冷笑的だった者も、信じがたい現象を眼前で次々と見せつけられ、しかも、その疑っている自分自身までそうした現象を起こせるようになってしまっては、さらに人の病気まで治せるようになってしまっては、「太霊道万歳!」と叫ぶしかなかった。
顕動といったって、何、無意識的はずみでぴょんぴょん跳ねているだけのことじゃないか。潜動といったって、昔の写真をみると積み重ねた板に体重をかけ無意識的に押してるだけのことと思える。そんなつまらんことを、「自動的に動いた」「物心を超越する霊の働きだ」「奇跡的だ」と素直に信じ込めるなんて、当時の連中はひどく単純素朴で鈍かったんだなぁ・・・・。
・・・まあまあ、そう結論を急[せ]きなさんな。
あの激動の時代の社会を担っていた人たちが、そろいもそろってそんなマヌケぞろいだったとは・・・・私にはとても思えんのだ。
講授会では、以下のような緻密なカリキュラムに基づき、霊子術が田中守平より直接伝授された。太霊道の宣伝誌(小冊子)『霊光録』(大正6年刊)にその模様が詳しくリポートされているので、これを元に当時の講授会がいかなるものであったか、「スピリチュアルにうかがって」みよう。
講授会ではまず、守平の指示に従い、正座冥想を実習する。
これは、霊子作用実習に先立って必ず行なうべき必須階梯とされていた。
上記『霊光録』にいわく。
「見渡せば数十人の会員(参加者)は十有余列に列次を正して、相互に心臓に打つ鼓動をすら聞くことを得べき静寂の境に入る。
時計のセコンドは秒を刻みて分となり、分は二分三分となる。
果然、事こそ起これ、全衆に微動を生じ来たる」
正座冥想。於:太霊道東京本院。
突如、列の中央部の1人が猛烈に動揺を始める。と、その隣より隣へと波及していき、彼方でも此方[こなた]でも、座したまま跳躍が始まった。霊子顕動作用だ。
やがて数十人の一団は、高くなり低くなり、左に動き右に傾き、前に進み後ろに退き、座したまま室内をにじり進み、にじり廻り、全衆入り乱れて猛烈なる躍動を起こし、その様はまるで「波濤のごとく」であったという。
しばらくすると人々の動きは自ずから静まり、元の静寂に復するかと思えば、再び躍動を始める。
これを繰り返すこと4、5回。時間にして約20分。守平は冥想の終了を宣するのだった。
私たちの心身に流衍[るえん]する霊子作用が外発した状態、これを霊子顕動作用と称する。
講授会では、参加者を1人1人場の中央に座らせ、守平自ら霊子作用を伝えていったという。太霊道マニアにとっては垂涎ものの光景[シーン]だろう。
講授会参加者の中には、事前に文書講授(通信教育)によって顕動作用をある程度修得した人もあれば、内容の詳細を知らずいきなり講授会に参加する者もいた。それらの全員を、10日間で同一程度のレベルへと導いていったというから、守平の指導力の高さが伺える。
当時、毎月1〜2回程度、こうした講授会が開催されていたようだ。
冥想に続き、座式顕動の伝授に入る。
中央に招かれた最初の参加者は正座し、形式にしたがって合掌。守平がその手掌より肩甲部にかけて凝指法(指先をかざして霊子作用を伝える)を行なうや、手は前後上下に動揺を始め、それが全身に伝わってたちまち飛動を始める。
「飛動はますます高くなり、20余貫(1貫は3.75キロ)の巨漢があたかも鞠のはずむがごとく、座したまま飛動しつつ前進を始め、室内を廻旋すること数十回、この延長実に千尺(約3百メートル)に達し、流汗淋漓[りゅうかんりんり]、ついに倒れるに至って止む」(『霊光録』、以下同)
「会衆中に婦人もありて、顕動の発動猛烈にして意思を加えて止めんとするも止まらず、これがため主元の手を煩わせてようやく止まるに至る奇観もあった」
「これらの現象は実に霊子作用の超自然的なるを示すものである。唯物の他、何ものをも認めざる学者にありては、顕動作用に対し、みだりにこれを心理、生理の作用に帰して解釈を試みんとするものなきにあらざれども、もしこの飛動の状態を側より観察し、座したるまま足は臀部に密着し、身体を釣り上ぐるかの如く、畳の上を自由自在に離れて高く軽く飛び上がるのを見ては、そが決して心理物理をもって解釈すべき性質のものにあらざることを首肯するに至るであろう。ともかく、絶妙現象として三嘆せざるのほかはないのである」
次は、立式顕動だ。
これもまた、座式顕動と同様、1人1人を場の中央に立たせ、守平自らこれに霊子作用を伝える。
顕動は、微動より激動となり、激動はついに全身の飛動となり、立ったまま20〜30センチ体が飛び上がる。中には、60センチ以上飛ぶ者もいたそうだ。私の経験でも、かなり跳び上がる。天井が上から迫ってくる感じだ。
こうして、ズシンズシンと座敷中を飛び回るに至れば、合掌した両手を解き、体側に垂下させる。
その直立したままの姿勢を崩さず、ことに両膝を屈さぬよう強調される。
飛動状態のやや鈍い者に対しては、守平が背後より霊子作用を潜発させた手掌をもって押法を加えると、「飛動はたちまち猛烈となり、飛躍の程度も急激に高きを加える」に至ったそうだ。
1人1人に伝えて実習させた後、全員一体となって場の一方に整列させる。守平は他の一方に立ち、この全衆に対し霊動を伝える。
「とみれば、すでに顕動を修得した人々のこととて、たちまち軽々と音を立てて飛動を始める。
あたかも、一隊の騎兵の一鞭を加えて長駆するに比すべきか。場を震撼して起こる動揺と物音は、時ならず聞く雷鳴の如く、たちまち猛烈に、その壮絶名状すべからず」
この時、守平が手を盛んに振るって霊動を伝えれば、人々の飛動は激しくなり、守平が手を収めれば微弱となり、その緩急はひとえに守平の意に従ったという。
よく振ってほどかれた手には、そうした力(霊威)が備わるようになる。ただし、「手ほどき(身振り)」を修する際には、全身のバランスを保ちつつ振らねばならない。さもないと、ほどけた分がうまく再統合されていかない。再統合とは、身体の「迷える子羊」が、羊飼い(重心)の元に帰るという意味だ。
全体のバランスを図りつつ(姿勢を正しつつ)、則[のり](法則)に従って全身があまねく振られる霊子顕動法は、非常に高度な心身調律法といえる。
ここまで(直立不動の姿勢を崩さず飛び跳ね続ける)なら、身体能力の高い人にとり、それほど実行困難なことではあるまい。
霊子なんて関係なしにできるよ、ということになろう。
太霊道の見地より言えば、そのできていること(の本質)こそ、霊子の働きにほかならないのだが、跳ぼうとする心と実際に跳ぶこと(肉体の働き)とは、一体どこで出会っているのだろう?
人が、自らの思いを肉体において実現する時(例えば手を上げるとか、おろすとか)、心と体にはいかなることが起こっているのか。両者は、いつ、どこで、どんな風にして、出会うのか?
これは、心身の神秘に関心を持つ者すべてにとって、重要なテーマだと思う。
私は長期断食2ヶ月目くらいで、そうした超繊細な事柄を探求するためにはどこを探せばいいのか、ふと、「わかった」。
それまでに得たすべての力を捨て去ることで、突然何もかもハッキリ・スッキリし始めた。
ゆっくり、柔らかく、微細粒子的に、が、その「探すべき場所」だ。
守平示演による霊子顕動法。左より順に、曲臂凝掌[きょくひぎょうしょう]、合掌(縦動)、脚動。 |
・・・・・・・・・
田中守平は、超時空的に、今・ここで、世界平和への祈りを捧げ続けている。
「その人」の祈りと共感する意図をもって、「全真太霊(ぜんしんたいれい=超宇宙の大神[おほつみかみ]はトータルな真[まこと]なり)」のキーワードを用い、『ヒーリング随感3』第9回の記事も参照しながら、霊子顕動法を「執り行な」えば、超次元的な歯車(弾みの合間)が次々と重ね・組み立てられていき、「人がた」を超宇宙的になしていく境地が、遠からず味わえるようになるだろう。その場で直ちにできる人も少なくないかもしれない。
機械仕掛けの神。21世紀のデウス・エクス・マーキナ。
これぞ、守平が「機制的法則に従い表現される」と語ったものだ。私の直感によれば、それは音楽的であると同時に建築的だ。
絶対との出会いを、自らの外(の空間)に求めるなかれ。「それ」は、常に内にある。あなたの「身の丈」の裡にぴったり納まっている。
身の丈を体感的に知る最良の手法[メソッド]は、臍へのヒーリング・タッチだ。臍への霊子療法、と言い換えてもいい。
あらゆる姿勢、態勢、ポーズ、動き、等において、臍をタッチにより意識化する。上下左右から同時、均等に、臍で臍そのものを感じていく。
いついかなる時も、そこ(へそ)が、体表面の中心として感じられているように。意識されているように。全身の体表面は、臍を中心とする複雑な伸縮関係にある。
私たちが、自然なタッチを通じ到達できるのは、ここ(臍)までだ。ここが、努力によって到達可能な最終ゴールとなる。そこから先は、「人事を尽くして天命を待つ」の領域だ。
<2011.10.05 水始涸(みずはじめてかるる)>