次のような感想を寄せてくれた人がいる。
『そして光があった ~ジャック・リュセイラン~』第2回を拝読致しました。
ジャック・リュセイランにとっての光とはまさにあらゆることを指し示す導きの光であるかのようです。その光が「井戸の水のように私の中で湧き上がるのをゆるし・・・」とか流れを止めようとすると渦巻きのような混乱が生じるといった表現があり、この光が静的な光ではなく、流れているものであるとの印象を受け、龍宮拳にも通じるものを感じました。
裡なる光の流れを逆に私たちのような外側の形にとらわれがちな眼の見えるものが観て、人生の導きとすることができるのか?との考えが浮かびました。
眼が見えないことがまるで最大の恩寵であるかのような人物がおられたということに毎回驚きます。<東前公幸 京都府>
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実際、もう1冊の著書『Against the Pollution of the I』においてジャックは、仮にもう1度人生を新しく生き直せるとしても、やはり自分は盲目であることの方を躊躇なく選ぶであろう、と明言している。
それでは再び、ジャック・リュセイランが語る神秘の感覚領域へと、意識を開いてチューニング(同調)していこう。
今回は『And There Was Light』より、もっぱら超越的聴覚について述べられた部分を摘録してご紹介する。
「世界のあらゆるものが声を持ち話をすることを理解せずに生きることは、私には不可能だった」と、ジャックはいう。彼によれば、門、家々の壁、木々の影、砂、そして静寂でさえ、独自の声で会話しているという。
「事故の前でさえ私は音を愛したが、私はそれを聞いてはいなかったことが明らかになった。
盲目になってからというもの、私は雑音の雪崩を引き起こすことなしに動きを起こすことができなくなった。夜自室に入ると、そこには最初何の音もなかったのだが、マントルピース上の小さな石膏像が回転する断片を生み出した。私はその摩擦を空中に聞いたが、それはまるで音に火が灯され音が手を振っているかのようだった。一歩踏み出すごとに、床が叫び、あるいは歌い——床がその両方を出しているのを私は聞くことができた——、その歌は一つの壁から別の壁へと移動していき、窓へと達するのだった。そして私はそれにより部屋の大きさを知ることができたのだ」
ジャックが大きな声で話をすれば、窓のガラス板が——それはフレームにパテで留められて非常に強固なものだったが——振るえ始めた。
もちろん非常に軽やかにではあるが、「しかし確固として」だ。ジャックによれば、この音は他の音と違ってより高いピッチであり、「より涼やかで、あたかも外気とすでに接触を持ったかのよう」だった。
「家具たちは一つ残らずギーギーきしんだ。1回、2回、10回、そして時間がたつにつれ、まるで意思表示のような音の航跡が生み出された。ベッドやワードローブ、椅子たちは、身を伸ばし、あくびをし、息をやり取りしていた」
「すきま風がドアを押すと、それは「すきま風」と言ってきしんだ。手がドアを押すと、それは人間のやり方できしんだ。私にとって、その違いを間違えることはあり得なかった。
私は壁のごく小さなへこみさえ遠くから聞くことができた。それが部屋全体に変化をもたらしたからだ。奥に続く小部屋がある部屋の隅では、ワードローブが非常にうつろな歌を歌った。
かつての音は、真実の半分でしかないかのようだった。私からはあまりにも離れていて、霧を通して聞いていたかのようだった。たぶん私の目が霧を作っていたのだろう。突如としてあの事故が、私の頭をハミングする物体のハートに向かって投げつけた。そしてそのハートは決して鼓動を止めなかった」
ここで語られている種々[くさぐさ]の事々[ことごと]について、私にはコメントすることは何もない。片耳しか聴こえない(=聴覚の方向性が欠けている・立体的に聴くことができない)ことを言い訳にするつもりは決してないが、私の体験・理会を超えた深遠な聴覚的境地だ。
ところで私たちは、音というものに始まりと終わりがあると考えている。しかしジャックによれば、それほど間違った考えはないのだ。
「今や私の耳は、音がそこにあるほとんど前に、それを聞いた。音がその指で私に触れ、音の方に私を向かわせるのだ。しばしば、私は人々が話し始める前にそれを聞くように思えた。
音には光と同じ個性があった。それは内側にも外側にも存在しなかった。それは私を通過していった。それらは私に空間における方位を与え、私を物たちと触れ合わせた。その機能の仕方は、シグナルというよりは返答のようだった」
事故の2ヶ月後、ビーチを訪れた時の体験を、ジャックは次のように語る。
「夕方で、そこには海とその<声>以外何一つ存在しなかった。
それは想像の力を超えたものだった。あまりにも重くあまりにも透明なマッス(塊)を形成しており、私はそれに壁のようにもたれかかることができたほどだ。
それは私に、いくつかの層で同時に話しかけてきた。波はステップにアレンジされ、それぞれの声は違う話をしていたのだが、一緒になって一つの音楽を形作った。ベースではいらいらした速さがあり、トップ・レジスターでは興奮があった。目が見るものについて話してもらう必要は、私にはなかった。
一方の端には海の壁があり、風が砂の上でサラサラ音を立てていた。もう一方には擁壁があって話をする鏡のように反響に充ち満ちていた。波は同じことを二度話していた」
人々はしばしば、目が見えなくなると聴覚が研ぎ澄まされると言う。だが、ジャックの意見は違う。
「私はそうは思わない。私の耳は以前と比べてよりよく聞いていたわけではない。しかし私は、耳をより上手に使うようになった。
視覚は、私たちに物質的人生のあらゆる豊かさを提供する奇跡的な道具だ。だが私たちはこの世界において、対価を支払うことなしに何一つ得ることはできない。その結果として、視覚がもたらすあらゆる利点と引き換えに、私たちはそれについて考えてみることさえないような他のものをあきらめる。
それこそ、私がどっさり受け取った贈物なのだ。
私は何度も何度も聞かなければならなかった。私は満足するまで音をかけ合わせた。私はベルを鳴らした。私は指で壁に触れ、ドアや家具、木の幹の反響を探求した。空っぽの部屋で歌い、小石をビーチの向こうに投げてそれが空中で音を立てそして落ちるのを聞いた。友だちに言葉を繰り返させ、たっぷり時間をとって彼らの周囲を歩き回ることさえした。
だが最も驚くべき発見は、音は空間のある一点からやってくるのではなく、それ自身の中に消えていくのでもなかった、ということだ。ある音があって、そのエコーがあり、最初の音がその中に溶けて消えていく別の音があり、それが新しい音を生み出し、すべてが一体となって終わりなき音の行列となる」
時に共鳴——周りの声のざわつき——があまりにも強烈になると、ジャックは眩暈を覚え、あまりにも明るい光から身を守るため目を閉じるように、両耳を手で押さえた。
際限なく繰り返される騒音、意味のない音や音楽に、彼は耐えることができなかった。
「私たちが聞いていない音は、身体やスピリットへの打撃なのである。なぜなら音というものは我々の外で起こっているものではなく、私たちを通り過ぎる真のプレゼンス(現存)であり、私たちが充分に聞かないとうろうろ長居するものだからだ」
音楽家であった両親によって、ジャックはこうした惨めさから守られていた。彼らはラジオをつける代わりに、ファミリーテーブルの周りで話をしたのだ。ジャックは言う。
「目が見えない子供を叫び声やBGM、ぞっとする口撃から保護することはいかに重要なことか。盲人にとって、暴力的で役に立たない雑音は、見える人間の目の間近でサーチライトのビームを照射したのと同じような効果をもたらすのだ。それは傷つける。
だが世界の音がクリアーで調子が調っている時には、それはかつて詩人が知っていたよりも、あるいは詩人が言葉にできたよりも、はるかに調和的なのだ」
日曜の朝はいつも、年寄りの乞食がジャックたちのアパートの庭にやってきて、アコーディオンで3つの曲を弾くのだった。
「この貧しく無様な音楽は、近くを通る路面電車がたてる線路の金属的なひっかき音によって中断されるのだが、気だるい朝の沈黙は空間に千もの次元を生み出した。中庭の切り立ったくぼみや地面の上の街路の連続だけでなく、家から家、庭から屋根へ、注意を保ち続ける限りいくらでも多くの道があった。
音の終わりに至ったことは決してなかった。これも別の種類の永遠だったのだ」
<2012.02.07 東風解凍(はるかぜこおりをとく)>