Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第3章 そして光があった 〜ジャック・リュセイラン〜 第4回 タッチは愛なり

「最初、私の両手は従うことを拒んだ。テーブルの上のグラスを探す時、手は失敗した。手はドアノブの回りをうろうろと探り、ピアノの白と黒の鍵盤を混同し、物のそばに近づくと空中をひらひらはためいた。まるで根こそぎにされ、私から切り離されたかのようだった。これはしばし私を怖れさせた」

 暗闇の中で目を閉じうろつき回ったり、あれこれやってみようとすれば、「手がひらひら」とか「はためく」といったジャックの言葉を、自分の手が期せずして演じていることをみい出し、大笑いするだろう。
 そして、「もし、一生ずっと見えないままだったら・・・」と考え、粛然とした気持ちになるはずだ。
 だが、ジャックを待っていたのは祝福だった。

「幸運なことに、ほどなくして私は、両手が使い物にならなくなる代わりに賢くなることを学んでいるのだとわかった。両手には自らを開放するのに慣れるための時間が必要だったのだ。手が従うことを拒絶していると私は考えていたのだが、実は指揮する目がもはや存在せず、手が命令を受け取っていなかったのである」

 目は物体の表面上を走る、とジャックは言う。
 目に必要とされるのはいくつかの散在する点のみであり、目はギャップ間を瞬時に橋渡しすることができる。彼によれば、「目は見るというよりは、半分見る」のである。
 そして目は決して重さを量ることをしない。目は見かけだけで満足する。目にとって世界は明るく移り変わっていくものだが、その内容実質を欠いている。
 ジャックに必要だったのは、自分の手をそれ自身のやり方に従わせることだった。「私は手に何一つ教えなかった」と彼は述べている。

「手が独自に働き始めると、それらはあらゆるものを見通せるらしかった。目と違って手は真剣であり、いかなる方角から対象にアプローチしてもそれを包み込み、抵抗をテストし、その塊[マッス]に対してもたれかかり、表面のあらゆる不規則性を記録した。高さや厚みを測り、可能な限りあらゆる次元を取り込んだ。だが何よりも、指があるとわかった時、手は指をまったく新しいやり方で使うようになったのだ。
 目があった時、私の指は硬くこわばっていた。手の端で半分死んでおり、ものをつまみあげるのに役立つだけだった。しかし今や、それぞれの指は独自の道を歩み始めた。それらは別々にものを探求し、レベルを変え、それぞれ独立しながら自らを重くしたり軽くしたりした」

 これはまさに、私が唱道しているヒーリング・タッチそのものではないか。
 ヒーリング・タッチの極意・奥義にあたる精細・微妙かつ多層・複層的な触覚意識。それが、これまで私が様々に説いてきたのとはまた別の独自の語り口で見事に表現されている。
 前回の音の世界では、手も足も出なかったが、これならよくわかる。一言一句、全部理会できるから愉快痛快。

「指の動きが恐ろしく重要であり、邪魔されてはならなかった。なぜなら対象は与えられた点で静止し、そこで固定され、一つの形に閉じこめられるのではなかったからだ。
 石でさえも生きていた。それどころか振動し、わなないていた。私の指は脈動を明らかに感じ取った。
 だが、それ自身の脈動で応えることができないと、指はたちどころに無力となり、タッチの感覚を失ってしまうのだった。しかし共感的なヴァイブレーションとともに物に向かう時、手は直ちに相手を認識した」

 これぞ、ヒーリング・タッチのいわゆる「触れ合い(触れる×触れられる)」だ。
 ジャックによれば、動きよりもさらに重要なものがあって、それは圧力だという。

「もし圧力をかけることなくテーブルの上に手を置いたなら、私はそこにテーブルがあることはわかるが、それについて何一つ知ることはないだろう。それをみい出すために、私の指は下を押さなければならない。驚くべきことは、圧力がテーブルによって直ちに応えられるということだ」

 今度は、太霊道の霊子潜動法が出てきた!

「盲目になったことで、私は物と出会うためには外へ出ていかなければならないと考えた。しかし、そうではなく物の方が私のところに来ることを、私は発見した。私は半分以上行く必要はなかった。すると宇宙は私の望み通りの仲間となった」

「一つ一つの指が違う重さでリンゴの丸みを押す時、すぐに私は重いのはリンゴなのか、それとも自分の指なのかがわからなくなった。私がそれに触れているのか、それともリンゴが私に触れているのかさえわからなかった。私がリンゴの一部となったために、リンゴも私の一部となったのだ。私は、そのようにして物の実在を理解するようになったのであった」

「手に生命がこもると同時に、それは私を、あらゆるものが圧力の交換から成り立っている世界に投げ込んだ。これらの圧力は形へとまとめあげられ、一つ一つの形に意味があった。
 子供の時、私はものによりかかりつつ、同時にものに私によりかからせて何時間も過ごした。盲人なら誰であれ、この身振り、この交換が、言葉にできないほどの深い満足を与えてくれるのだと言うだろう」

「庭のトマトに真に触れ、家の壁に触れ、カーテンの素材や地面の上のひと塊の土くれに触れることは、目と同じく確かにそれらを観ることなのだ。だが、それは観る以上のものであり、対象と波長を合わせ、電気のようにそれらが持つ波を自分自身のそれとつなげるのである。
 違う言い方をするなら、これは物の前で生きることの終わりであり、物とともに生きることの始まりだ。
 言葉がショッキングに響くからといって気にかけないでいただきたい。なぜなら、これは<愛>だからだ」

「両手が感じたものを愛することを、あなたはやめさせることができない。手は絶え間なく動き、下に向かって押し、ついに自らを引き離す。最後のそれは、おそらくすべてのうちで最も意義深い動きだろう。物体は形の中に固く結び合わされているのではないことを、私の手は少しずつみい出していった。最初にコンタクトしてきたのは形だった。しかしこの形の周囲に、物体はあらゆる方向に枝分かれしていたのだ」

 ジャックは庭の洋梨の木と触れ合っていて、葉と葉の間の空気中でも「木がまだ続いている」ことを発見したという。彼はその流れを感じるため、枝から枝へと手を動かしていった。
 彼が木の周りでこの魔法のダンスを踊り、目に見えないものと触れ合っている様を、人々は不思議そうな面持ちで眺めるのだった。

<2012.02.09 黄鴬見睨(うぐいすなく)>