Healing Discourse

ヒーリング随感 [第22回] アルテミス修法

◎ヒーリング・アーツには「行気法(こうきほう)」という呼吸法の体系がある。
 体の隅々にまで呼吸=生命力を行き渡らせていく。例えば、ワンフィンガー・ゼン(一指禅:ディスコース「ドラゴンズ・ボディ」で解説)と行気法をクロスオーバーする。そのためには、息と動作を完全に融合させ(息筋調和)、呼吸を結ぶ。即ち、吐く息と吸う息とで円環を造る。・・・と、熱を持たない透明な炎が身の裡でパアッと燃え上がる。
 命の艶を帯びた澄明な流れ、活きて燃える炎、アルファにしてオメガ、自らの尾を呑むウロボロスの蛇、火水(カ・ミ)・・・これこそ<生命(いのち)>の実体だ。
 そういう活気を、凝集・拡散のダンス(呼吸)として全身至るところに巡らせる、これがヒーリング・アーツ流・行気法の概要だ。それは一言でいえば、各修法に生命の息吹を吹き込む術(わざ)だ。息が通って初めて、術というものは活きたアートとなる。

◎先日「授かった」のは、消化管に絶妙のヴァイブレーションを起こす手法だ。一指禅にも通じるが、やり方はまったく違う。
 これはとにかく気持ちいい。エクスタシーというよりは、むしろフェリシティ(至福)という感じだ。決して強烈ではないが、得も言われぬ充足と恍惚の内的感覚を、ちょっとしたコツを呑み込めばいつでもどこでも素早く引き起こせる。赤ん坊は、どうやらこのフェリシティ感覚の中で生きているものらしい。

◎上述の術(わざ)の応用をあれこれ研究していた時のことだ。両足を揃えて直立し、上体を前に倒しながら、裡なる霊的ヴァイブレーション(たまふり)を起こしてみた。・・・と、みるみる体が柔らかくなって胸も腹もぴったり股にくっついてしまった。毎日練修した成果でなく、いきなりできるようになってしまうところがヒーリング・アーツの凄さだ。
 消化管(特に腸)を振るわせることでこんな風に体が柔らかくなる事実は、内面的変化なしでただ外側のストレッチのみを行なう際に生じる弊害の可能性を示唆するものだ。
 内的準備が整っていないのに、道理を無視して外的結果のみを求め、うんうん唸りながら無理して体を曲げ伸ばし開く・・・そんなことを長く続けていれば体を壊して当然だ。ヨガの指導者がえてして健康に恵まれず、突然重病に倒れることが少なくないのも、こんなところに理由があるのかもしれない。
 
◎消化管に内的ヴァイブレーションを起こして穏やかな至福の感覚を味わうだけでも、心身の健康を増進する上において絶大な効果がある。快感は病気の苦痛を中和し、健康回復を促すが、ある程度健康な者がヒーリング・プレジャー(いやしの悦び)を頻繁に味わえば、さらに活気に満たされ、さらなる人間的成長を遂げていくことができるのだ。

◎具体的修法を解説しよう。これまで何度かご紹介してきた指吸いを応用する。
 この術(わざ)を、私は「アルテミス修法」と呼んでいる。かつて妻と共に赴いたエフェス(トルコ)巡礼を契機として示現し始めた修法群の1つだ。エフェスで出土したアルテミス像は、写真のように、大地母神であることを示す多数の乳房を持っている。

◎とりあえず消化管のことは忘れなさい。
 最初に働きかけるべきは、肛門だ。中村天風(なかむらてんぷう:心身統一法創始者、1876〜1968)が唱えた「神経反射調節法」という術(わざ)について聴いたことがある人もいるだろう。曰く、「肛門を締める・下腹に力を入れる・肩の力を抜く」、それにより煩悶苦悩を神経的に遮断できるという。肛門を締めることについては、古来より様々な道の要訣として強調されてきたことでもある。
 しかしながら、実際にやってみて卓効を則実感できる者は非常に少ないかもしれない。下腹に力を入れたり肩の力を抜くことは、肛門を締めれば自然にそうなるのであって、強いて力を入れたり抜いたりしようとすれば却って滞りが生じ、全身の統一感を損なってしまう。第11回でご紹介した、尻(大臀筋)を始め(起始部)から終わり(停止部)までしっかり意識化するマナを基盤とすれば、少しはマシになるだろう。が、煩悶苦悩が神経的にシャットアウトされる状態は実感できまい。なぜか・・・・・・???????
 肛門が仮想になっているからだ。「肛門を締める」こと、その出発点が仮想になっている。
 仮想の行為をどうすれば禊祓い、正すことができるか?
 やり方自体はシンプルだ。しかし、無心に行なわなければ何もわからないだろう。それほど微妙であり、精妙だ。わかってくると、フェリシティ(至福)の感覚が、少しずつ、じわりじわりと起こり始める。

◎具体的には、指を吸うことで肛門を締める。肛門には意図的な力を一切入れない。口で吸う力を、内的に徐々に肛門へと及ぼしていく。体の外側から肛門を閉めるのではなく、内面から吸い上げる力でそっと肛門が自然に締まるようにする。つまり、肛門を内側から締める。締めるというよりは、自然に締まる。
 ゴロンと横になり、指を吸ってはやめ、やめては吸うことを慎重に繰り返していけば・・・・これまでとは微妙に(人によってはかなり)違う角度、位置で肛門が内部に引き込まれる感覚が起こってくる。指を吸う口も、前後左右満遍なく使っていくように。

◎軽く吸って肛門が内面から締まった状態を保ちつつ、さらに意図的に(外側から)肛門を締め、そのわざと締めた分だけをレット・オフするのもよい。真の肛門の締めと仮想の締めとが分離されていく。口で吸うだけで肛門を締めていたつもりが、外側から作為的に締めるコマンドが無意識のうちに働いていたこともわかってくるだろう。

◎純粋に口からの作用だけで肛門が内側から柔らかく締まる・・・・それが起こった時、得も言われぬ心地よさ、安らぎに満ちたエクスタシー、否、至福の感覚が、肛門周辺から起こってくる。それは強く主張するようなものでは決してない。が、穏やかにしっかり拡がっていく。

◎大いなる母神(ははがみ)の乳首を口に含み、叡知と生命の乳を無心に飲む幼子となったつもりで、指を柔らかく満遍なく吸っていきなさい。
 口で吸うことで肛門が内面から締まるとしたら、それは口から肛門に至る消化管すべてに作用が行き渡ったということだ。そうなったなら、至福の裡に留まりつつ、即ち静中求動を心がけつつ、指吸いをそっと、少しずつレット・オフしていけばいい。フェリシティそのものを振るわせる。
 消化管に妙なるたまふりが起こり、下腹(の内部)が穏やかに充実する。肩(上体)の力は期せずして抜け、下腹の裡に収まる。これ即ち、中村天風のいわゆる神経反射調節法だ。
 様々な姿態(ポーズ)、様々な動作へと応用していくといい。

◎こうした至福感を、悩みとか痛み、苦しさといったものと共鳴させることもできる。それにより、「苦」が直ちにいやされ始める。思考も、強烈にではないが柔らかく止まる。
 肛門の存在感が仮想となることで、全身の統一が破れ、様々な故障の原因になる・・・。体を捻るなどして痛み、不快感を起こし、アルテミス修法を行なえば、私が述べていることを自らの体感をもって確認できるだろう。

<2009.03.07>