◎音楽を活用しながら修する禊(みそぎ)祓(はら)いの術(わざ)をご紹介しよう。
◎まず、単行本に記した手ほどき・第1段階(レベル1)をしっかり行なう(p123〜133)。事前に、かしわ手による触覚の活性化を確認しておくように(p129)。10円玉と百円玉の違いが手触りでわかる程度まで触覚が開かれている人を対象にして、私は本サイト上の各アーティクルを執筆している。
◎各自それぞれの好みの音楽を、音量を大きめにしてかける(周囲の迷惑にならないよう・念のため)。選ぶ曲は、リズミカルかつ繊細なものがよいだろう。タブラの伴奏によるシタール演奏(インド音楽)などが適している。高木美佳創作のヒーリング・ネットワーク・オリジナル曲から選ぶとしたら、『シャクティ』(アルバム『ニイルピトゥ』収録)『アルテミス』(アルバム『アルテミス』収録)などだ。慣れてきたら、ソフトな曲でも試みていく。
◎まず、片手で軽く拳を握り、もう一方の掌の中央くぼみ(掌芯)をトントンとリズミカルに叩く。気持ち良く感じる範囲内で強めに。
手の骨を1つ1つバラバラにしていくつもりで。掌芯から四方八方に衝撃が拡がっていくのを感じつつ。
左右交互に、それぞれ数十秒ずつ行なう。
◎うやうやしく合掌して祈りの姿勢となり、心を鎮めつつ、両手でかしわ手を何度か打つ。
かしわ手を打つ際の態度・姿勢に、その人の<道>に対する態度・姿勢が自ずから表われる。投げやりで機械的・いい加減なかしわ手しか打てない者が、わずかでも熟達したためしを私は知らない。
◎手がビリビリ微細に振るえる振動感(しびれ)が充分起こったなら、その掌の振るえを感じつつ、同時に音楽に耳を傾ける。
すると、音楽に合わせて掌の粒子感覚に波紋が起こるのがわかるだろう。音楽が掌でダンスしている。掌の粒子感覚が音楽に合わせて波立ち、揺らいでいる。
◎再びかしわ手を打ち、そっと合掌。強く両手を押しつけ合うと、粒子感覚が鈍重になるから要注意。
両手ではさんだ粒子感覚の振るえに、音楽がどのように響いてくるか・・、そこに注意を向ける。
私たちは今、聴覚と触覚をクロスオーバーすることで<たまふり>を励起しようとしている。まずは、両手の間に起こる波紋を、耳で聴こうとするのでなく、掌そのもので感じようとしてみなさい。そして、徐々に、「聴くこと」と「感じること」を、同時に均等に意識していく。
聴覚と触覚が少し融合するだけでも、深い生命力の活性化が起こる。
◎両手を離し(つけたままにしておこうとするコマンドをオフにし)、今度は一方の手の掌芯(労宮)に対して、もう一方の手の指でそっとヒーリング・タッチ。
そして、掌全体で音楽の波紋を感じつつ、同時に掌芯を意識する。つまり、掌芯を中心として、手の波紋を感じる。
すると、音楽はまず掌芯を打ち、そこから波紋が周囲に拡がっていくことが感じられるだろう。掌芯以外に意識を移すと、音楽と手が確かに響き合っていることはわかるが、手に起こる波紋の全体像は見失われる。
私はこれまで何度か、「掌芯(労宮)は手の中心である」という「仮説」について述べてきた。それを体感的に各自が確認していくための方法がヒーリング・アーツにはいろいろあるが、これもその1つだ。
◎掌芯から手全体に拡がっていく波紋の形、質は、曲によってまったく異なる。それが心身に及ぼす影響も違う。ゆえに、感覚がある程度開かれてきたなら、練修に用いる音楽の選定にも自ずから注意深くならざるを得ない。
◎再び合掌し(必要ならまずかしわ手を打って:以下同様)、両手掌芯の間に音楽をそっとはさむ。そして、掌全体に拡がっていく波紋のダンスを感じる。
これまで折りに触れて述べてきたように、手は全身と対応し合っている。身体各部の状態が手に反映され、手の使い方をちょっと変えただけで全身の「あり方」が変化する。力の入り方、入る量、動きの質、速度なども、その場で直ちに変わる。
掌芯を中心として、手全体の音楽的振るえを感じてみれば、それが全身と響き合っていることがわかるはずだ。
このように、音楽を触媒として活用し、たまふりの粒子的振動感覚を磨くことができる。
◎両手を開く。そして、各々の手で音楽を感じる。右、左、右、左・・と、じっくり掌の波紋感覚を個々に味わったなら、徐々にそれぞれの感覚を同時に意識してみる。
右と左を一緒くたにし、1つのものとして認識するのではない。右手の感覚を右手で感じること、左手の感覚を左手で感じること、それらの相異なる感覚を、あたかも天秤でバランスを取るが如く、「同時に、均等に、鏡像的に」意識する。・・・ヒーリング・バランスの要訣だ。
左右の感覚が鏡に映し合うように共鳴し始めると、右手の波紋と左手の波紋が響き合い、意識の量子的跳躍が自然に起こる。ヒーリング瞑想だ。
◎このようにして活性化させた手を、他者と触れ合わせて「手合わせ」し、音楽体験を共有したらどうなるか?
あるいは、掌で音楽を粒子的ダンスとして感じつつ、他者から掌芯にヒーリング・タッチを受けたら、一体どんなことが起こるか? そして、その手ともう一方の(ヒーリング・タッチを受けていない)手とでは、感覚にどれくらいの差が生じるか?
掌芯(労宮)は心包経のツボとされているが、本修法を応用して胸郭のバランスを整え、「心臓(ハート=心)を楽にする」こともできる。
音楽の波紋を手で感じながら<凝集→レット・オフ>の作用を起こしてみるのも面白い。音楽がたまふりとなって手から体内に染み込んでくる。全身が音楽で満たされる。裡からあふれ出るようにして、これまで味わったことがないような動き(=舞)が自然発生的に起こってくる。
・・・・・・・こんな具合に、「手で音(音楽)を感じる」というシンプルな1手から、様々な応用展開がネットワーク的に拡がっていく。ヒーリング・アーツのあらゆる修法は、このように多元的に、自由自在に展開していくことができる。
<2009.03.22>