Healing Discourse

ヒーリング随感2 第9回 抜苦与楽

◎御鑑[みかがみ]のわざ(ヒーリング・バランス)には、「痛みの左右差」を調律するメソッドがいろいろある。
 例えば、体を強く捻った時、右背中のある箇所にギュッと痛みが集約したとする。
 そこへ、瞬時に「ほどけ」を起こすためには・・・・・・????・・・・・・以下のようにする。

<フォーミュラ>
 痛みが起こっている反対側に注意を移す。

 背中の右が痛いなら、その痛みがある場所の背骨をはさんでちょうど真向かいにあたる左背中のエリアに注意を移す。
 すると、魔法みたいに痛みが溶け始める。まず大抵の痛みを、短時間でスッカリ溶かすことができるだろう。また、すぐ舞い戻ってきはするが、その時あなたは以前のままの無知なあなたじゃない。

◎これまでは何が悪かったのか? 
 ・・・あなたは痛みに注目していた。痛みを意識しながら、それを何とかしようとあれこれやってきた。しかし、結果としてそれはいまだに居座り続けたままだった。
 数年、あるいは10年、20年以上も、そうした状態が続いているケースも、決して珍しくないのではないか?
 それは、注目すべきところが間違っていたからだ。
 あなたは、その「捻って痛みが出た状態」を、誤って認知していた。
 体を捻っていくと、あるところで止まる。と同時に痛みが発生する。動きを妨げているのは、痛みだ。警戒信号みたいに、痛みが動きをストップさせる。
 その、捻って痛みが生じた状態とは、そもそも何を意味するのだろう?
 神明流の解釈はこうだ。・・・痛みとは「ここより去って、向うへ行きなさい!」というサインにほかならない。それに従い、左右どちらかに痛みがある場合、そのちょうど反対側に注意を移せばいい。痛みの方は、スッカリ無視して注目しない、・・・と。
 すると(おそらく初めて)、痛みがいまだかつてなかったような「あり方」で、その場で直ちに、緩みとろけ始める。細やかな粒子に分解されてしまう。
 これは、ちょっとした魔術的体験だ。

◎始めに、どこに痛みが出るか、そして、その反対側はどこか、あらかじめチェックし、そこに両手を充てておくといい。神明掌ができれば一番いいが、そうでなくとも充分助けになる。
 まず体を捻ったり曲げたりして、痛みのある箇所に片手を置く。それから元の自然体に戻り、片手で触れ合っている場所の正反対のサイドに、もう一方の手を置く。このようにしないと、正しい「反対側」は意外とわかりにくいものだ。
 これは、もちろん痛いところとその反対に手が届く場合のみ行なえばよい。人に補助してもらうこともできる。
 その場合、単独練修と同様、まず術者が好きなポーズをとってどこに痛みが現われるかを調べ、それを自分の手で補助者に示す。補助者は、そこに柔らかく掌を充[あ]てる。掌芯を中心として。
 それから術者はいったん自然体に戻る。補助者は、片手を充てている箇所の正反対側に、もう一方の手を充てる。
 再び術者は、ポーズを取って痛みを招く。その状態で、補助者は最初に充てた手を充分意識しておき、次にもう一方の手に注意を移し替える。
 補助者が不慣れな場合、痛む側に充てている手をまず見つめておき、その視線をもう一方の手に移すとよい。すると、自然に意識の焦点が移動する。

◎注意が移った瞬間、「ほどけ」始める。痛む場所はギュッと硬く締まっているものだが、それがみるみる柔らかくなっていく。その場所だけでなく、術者の全身が緩んでくるのがハッキリ手(及び体全体)で感じられるだろう。
 ちょっと慣れてくると、言葉によるコミュニケーションも一切なく、表面的な意識で感じ取れるような働きかけ(背中に充てた手にかすかな力を入れたり抜いたりなど)もまったくしないにも関わらず、補助者が注意をもう一方の手に移した瞬間、直ちに術者の身体に感応が起こるようになる。ちょっと(あるいはかなり)不思議に感じられるほど、術者の身体が正確に応答する。
 術者がゆっくり動き始めたら、補助者はまず最初に充てた手をそっと離す。さらに、術者がSTM(自発調律運動)へと本格的に入っていくのに合わせ、もう一方の手も、送り出すような祈りの気持ちを込め、そっと離していく。レット・オフ体得者なら、「手を充てようとする」コマンドをレット・オフすれば、自然に手が離れていく。
 術者は、好きなだけSTMを楽しめばよい。体がどんどん粒子的に開かれていく。心も開放されていく。

◎こういう術[わざ]を発表すると、悪用・誤用の危険もあるのだろうが(直ちにラポールを築き、相手の信頼を得ることが可能なので)、あちこち痛い苦しいという人への朗報・福音となることを祈りつつ、ここに無償で公開するものである。
 非常にシンプルで初心者でもすぐできるようになるが、正しいコツを会得するには、少々の練修と研究・工夫が必要かもしれない。痛みを作り出す際は、常に80%程度で。初心のうちは、いかなる道でも同じだが、決して無理をしない。
 首を曲げてもいい。左右いずれかに痛みが偏って表われるポーズをつくっておき、そのまま痛みの反対側に、注意だけを移す。
 
◎注意点が移ると、その行為のあり方、意味そのものが変わってしまう。あるポーズは、最初「痛みを起こす姿勢」だったが、今や「痛みを溶かす姿勢」に変わってしまった。
 そして、同時に注意していただきたい。
 痛くも何ともなかった、「反対側」も溶けていないだろうか? むしろ、反対側が溶けることで、痛みが消えていくのではないか? 
 これは一体何を意味しているのか? そもそも、なぜこんなこと(反対側を注意することで、痛みがほどける現象)が起こるのか?
 それらについては、ホームワークとしておこう。何もかも教わったのでは、つまらないだろうから。

◎あの痛みはどうなった、と注意がさ迷いがちなので注意。元の場所に注意が戻ると、不思議なことにまた痛みが戻ってくる。
 そこから、再び反対側に注意を移す・・・と、痛みは痛みとして存在することを、瞬時にやめる。
 すると、「ほどけ」が始まる。痛みが、無数の細かい粒子と化したかのように、ふわりと凝集力を失い、ゆっくり拡散へと転じていく。
 体中、どこに起こした痛みでも、ただ注意の焦点位置を移し変えるだけで、たちまち眼前でほどき溶かすことができる。

◎同じポーズの「意味」が、注意のあり方(置き方)次第で、天と地ほども変わる、その事実を、あなた自身の身体で確かめていってほしい。
 繰り返す。ある1つのポーズ(姿態)の焦点を、痛みから、反対側の場所へと移す。痛みのためでなく、反対側のために、そのポーズを取っているものと、認知モードを切り替える。

◎苦を抜いて楽を与える。
 これを「抜苦与楽修法」と名づけ、筋骨矯正術創始者・井上仲子と、その息子・健一の御霊の前に捧げる。

◎痛みの対置に慣れてくると、痛みには3Dの形があることがわかってくる。そして、その反対側に、鏡に映し合うように「目に見えない形」が存在することも、追々感じられるようになってくるだろう。

<2010.05.22 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)>