Healing Discourse

ヒーリング随感3 第2回 ヒーリング・アーツで何ができるか?

◎ヒーリング・アーツを賢明に使えば、いろいろ興味深いこと、凄いことができる。
 例えば、罪悪感を消去できる。きれいさっぱりと、跡形も残さぬほどに。
ヒーリング随感』(第389回)にて詳細を公開した通りだ。
 これは、より軽やかに、活き活きと生きる上で、絶大という以上の素晴らしい効能がある。たくさんの人が、この人生の特効薬から恩恵を受けつつある。
 呼吸の抑圧という大本[おおもと]のブロックを解除することにより、罪悪感が透明にほどけて消えていく。びっくりするくらい、息が細やかに・深く通じるようになる。
 そうなって初めて、人は罪悪感が生命(=息すること)への重しにほかならないという、驚くべき事実を知る。
 この原理を対人的・対社会的に、ネガティヴなやり方で応用すれば、他人の考え方や価値観に影響を及ぼし、その行動を本人も気づかないうちに支配・コントロールすることもできよう。
 ヒーリング・ネットワーク理念に基づく善用を望む。

◎ヒーリング・アーツの入門わざであるヒーリング・タッチをちょっと応用すれば、「女性をうっとりさせる」など朝飯前だ。
 私と柔らかく触れ合った女たちは皆、うっとりとろけ、霞[かすみ]のように細かい美的粒子感覚の中へと、自らを開いていく。どことどこを触れ合わせるのであれ、基本のヒーリング・タッチ原理を体全体で使い、極めて細密・繊細・センシュアルにタッチすることで、そういう現象が起きる。
 もちろん、女性が男性を「うっとり」させるためにも、ヒーリング・アーツは使える。
 それをくちづけへと応用すれば、唇をそっと触れ合わせるだけで、2人は一体となって息づき・波打ち始める。そして、圧倒的な受容と信頼の感覚に全身が満たされる。ここでも、ヒーリング・タッチ原理が重要な鍵となる。

◎ヒーリング・アーツ修養者同士が、ヒーリング・アーツ原理に基づき愛を交わし合う・ ・ ・ ・と、奇跡的なセックス体験が起こるだろう。
 経験からいうが、驚くべきことに、そうしたヒーリング・セックスにはどうやら終点というものがないようなのだ。毎回毎回、さらに「素晴らしく」なる。
 ヒーリング・アーツでは、セックスもヒーリング化して、全面的に・スピリチュアルに・健康的に・楽しむ道を提唱している。
 ソロでもカップルでも、学んで実践できる具体的修法がいろいろある。
 セックスによって健康感に満ちないとしたら、そのセックスは歪んでいる。直ちにヒーリング(調律)が必要だ。

◎時と処を問わず、日々、顕[あら]われ出[いず]る聖なる叡知の備忘録として、このシリーズを綴っている。
 マナの導きのままに。

◎この「随感」シリーズでは、それぞれの修法に対してごく簡単な説明を付すのみに留めおくが、何か深く感じて通じ合うマナと出会ったなら、それにカミツキガメ的にくらいついて離さず、徹底的に実践・探究・研究していくといい。
 1つのマナから、新しい道、システム、学びの場(スクール)が生じることだってある。

◎繰り返す。
 私は、諸々[もろもろ]の修法の発案者にあらず。創始者にあらず。
 ただ、仲介する者なり。
 聖なる霊感に満たされてエクスタティックに舞いながら。

◎ヒーリング・ネットワークでは、万物の「形」の裡に宿る聖なる生命力をマナと呼んでいる。
 それは古代日本人が、カミと呼んで崇めたものに等しい。いわゆる八百万[やおよろず]の神たちだ。
 たぎり立つ原始の神。そのカミをキリスト教のゴッドと混同したことにより、カミの本質を私たち日本人は見失ってしまった。同時に、私たちはマナを観ることができなくなった。
 ヒーリング・ネットワークは、原初的・アニミスティックなカミと宇宙の根源神との併存を認め、あらゆる道を受け容れる。

◎つま先立ちを、ゆっくり・柔らかく・粒子的に。
 その際の、足裏の筋肉、腱の働き・感覚、如何[いかん=どのようなものであるか]?
 それも特に、土踏まずのところの。

◎上記をわかり、できるようになったか否か、試験するための簡便な方法として、立った状態で練修パートナーに足の甲を強くまっすぐ真下に、押さえつけてもらうといい(最初は片手で、慣れれば両手で)。
 強く押しつけてくる、それを、何の葛藤も力みもなしに、跳ね返し、相手をころんと転がし倒すことができるかどうか?
 ぐぐぐーっとイヤな力がぶつかり合ってしまうようであれば、あなたはいまだ要領を得ていない。
 一からやり直しだ。
 ちょっと慣れれば、複数人に両手で押さえられても、つま先立ちで軽く返せる。
 そのうち、相承会の折りにでも、この術を帰神撮影し、また改めて皆さんにお目にかけるとしよう。
 ヒーリング・アーツを応用すれば、こういうこと(武術的なわざ)もできるようになる。

◎念のため申し添えておく。
 今まであなた方が無意識的・機械的にやってきたつま先立ちを強化するようなものでは、おそらく大半の場合、これは、ない。
 まったく異なるやり方、というかあり方(骨格と筋肉・腱・筋膜の関係性)にて、まるで全身丸ごとひょいと吊り上げられるみたいに、つま先立ちへと自然に移行する。
 指先を支点として踵を持ち上げるのとは、まったく違う、新しいやり方、否、動きの為[な]され方・足の使われ方。
 なぜこんなまわりくどい書き方を私がするのか、ご自身で体験してみればすぐわかる。私が書いていることは、「その通りそのまま」なのだ、と。
 爪先・踵の二元論ではなく、爪先:土踏まず(足裏の中央):踵の三元論で、足を運用するための法。
 これがわかるようになれば、どんな武術でも少なくとも一流レベルくらいまでは行けるだろう(だが、目指すべきは達人のレベルなり)。そういう人たちは、皆、足を「3」で使っている。普通は2(爪先と踵)、ひどいと1(足丸ごとひと塊)だ。
 あなたの土踏まずの奥(爪先と踵の間)は、1歩ごとにバネのように、明らかに伸縮しているだろうか?
 そうでないなら、老化が始まっている。周知の通り、老化はまず足裏(土踏まず)から起こり、脚の裏を通って腰にくる。このルートが、徐々に硬く閉じていく。
 この若さの道筋を再び伸ばし広げることは、可能だ。ヒーリング・ストレッチという。身を伸べ、生命[いのち]を延[の]べるストレッチ体操。人の老化を遅らせ、若々しさを末長く保つことができる。
 中高年者がヒーリング・アーツを習い始めると、皆まもなく生き生きつやつやとしてくる。男も女も、明らかに若返る。そういう実例を、私はこれまでたくさん目撃してきた。
 実際、体が驚くほど柔らかくなるし、それに伴い、精神の働きも若々しくなる。
 人生を最大限にエンジョイしながら一大フィナーレへとなだれ込んでいくための無上の便法(便利な方法)、そのようなものとヒーリング・アーツはなることができる。

◎ところで、土踏まずと簡単にいうが、それは一体どこだろう?
 その境界線を、ペンでなぞってみるといい。足の内側のところまで。
 足から、ある空間がぽっかりえぐり取られているのがわかるだろう。
 その、欠け落ちた空間を、足全体から排除せよ。
 身体イメージ的にも、体感的にも。
 そもそも「ない」ものなのだから、いつまでも持ち運び続ける理由があるまい。
 手で正確になでさすりながら、そこ(土踏まず)の位置感覚と体表面感覚を合致させていく。
 そこ、そのものを意識する。
 すると、たったそれだけで、物凄く楽になる。軽やかになる。
 土踏まずのところを、「凹んでいる」のでなく、「空間的に足から欠け落ちている」と認知し直すだけで、大いなる変容が起こる。これが、私のいう<いやし>の一例だ。身体認知を神経的に書き換える。
 あなた方の多くは、土踏まずのところが「凹んでいる」と無意識のうちに仮想することで、かえってそこに押し込むような余計な力みを慢性的に加えてしまっていたのではないか? すると立った時、土踏まずを踏み潰すような余計な力を無意識のうちに足に加えてしまう。
 足から一定の体積を持つ空間が抜け落ちたと認知すれば、仮想による土踏まずの力みが解除される。
 両者を交互に比較すれば、これまで自分が無意識のうちにとはいえとんでもない狼藉[ろうぜき]を身体に対し働いていた事実が、よく感じ取れるはずだ。心と体の丸ごとでわかる。
 そういうトータルな心身両面の理解を、ヒーリング・アーツでは特に区別して「理会」と表記する。
 このように特殊な言葉づかいを使うのは、生命[いのち]と関わる特殊な事柄について皆さんの注意を促すためにほかならない。

◎かしわ手には調律効果がある。
 ならば、・・・・
 考えながら、かしわ手を打ってみるといい。
 すると、思考が一気に細分化され、粒子的になる。
 ・・・と、思いも寄らぬ、新しいアイデアが次々湧き溢れてきたりする。
 これは、私が日々味わっていることだ。

<2011.08.22 蒙霧升降>