Healing Discourse

ヒーリング随感3 第4回 ボディ・イリュージョン

◎本ウェブサイトで公開している私の文章は、すべて舞いながら読むことを意図して記されている。つまり、書かれている内容を実践し、実際に自らの体で感じながら、ゆっくり・じっくり読んでいく必要がある。
 だから、そのための時間を、まずは確保せねばならない。
 その貴重な時間の投資に見合う以上のものを、私は常に提供し続けている。

◎修法を一つ。
 適当な硬さの亀の子タワシで、体中こすり回す。
 10センチ四方くらいのエリアをぐるぐる、ごしりごしり、皮膚面に沿って正確にこすりながら、その「こすられている感覚」に注意を払う。
 何らかの感覚があるはずだ。
 ざらざらした触感、かすかに焼けつくような痛み/爽快感、ある一定の広がり・連続性の存在感、そういったもの。
 その、こすられている感覚のひろがりを、「そこそのもの」で感じることが、あなたにはできていらっしゃるだろうか? 

◎そこをこすられているのだから、こすられている感覚をそこで感じるのは当たり前・・・と思えるのだが、実際にやってみればおわかりの通り、腕とか顔とか、比較的わかりやすそうな場所でも、目を閉じるともうまったくダメだ。
 確かにこすられているとわかるし、その感覚は明らかにある。なのに、それがどこにあるかがわからない。・・・だろう?
 ぼうっと、幽鬼のように「そのあたり」に何となくありはする。
 が、3次元空間内で、XYZ軸の交差部としてそれを体感的に定義すること(主客一致で感じ・動かすこと)ができない。
 これは、ちょっとびっくりするほどだ。
 
◎こすり・こすられているところの、端っこへと、まずアプローチしていくことがコツだ。タワシが皮膚の厚みをおさえている、その皮膚の厚みの中へと、あなたは自在に「入る(=意識する)」ことができるだろうか?
 アプローチの角度・向きをあれこれ変えながら、視覚も総動員して、意識をそれ(こすられている面)と合致させていきなさい。
 このようにすると、その場所(こすられているところ)の皮膚の「内部」へ、皮膚の形に沿って、スッと意識が納まる。
 その時、皮膚面に対し、常に垂直に意識が働く。感覚神経の末端が、皮膚面と垂直になっているからだ。
 そのようにして、「こすられている場所の覚醒」を縁から順に、エリアをよぎっていきながら、連続的に連ねていく。すると、明らかなつながりの感覚(最初は線に近い)が、虚空の中から浮き顕[あら]われて来る。

◎考えてみれば当たり前のことだが、こすられている表側とは反対の皮膚の裏面に、感覚神経は存在する。しかし、私たちはそれらを同一面においてとらえようとする傾向が、一般にある。
 よろしいか?
 亀の子タワシでこすっている時の感覚は、こすっているのとは反対の裏面[りめん]で起こっている。

◎あちこちこすってみなさい。
 そして、こちら側からこすりつつ、あちら側から感じるようにしてみなさい。今の段階ではざっとした粗いもので構わない。
 ヒーリング・アーツ中級者以上は、「こちらからあちらへ」をまず強調しておいて、それをレット・オフし、「あちらからこちらへ」を招き受け容れていくといい。自分で無意識的に引いてしまわないように。
 あれこれやっているうち、とんでもなく傾き、歪んでいると最初は思える、あるびっくりするようなものが、体のパーツとして突如、身体認識中に新たに出現する。
 だが、それこそが自分自身の本来の身体(の一部)であると如実にわかるはずだ。
 それが、そこに、確かに、はっきりと、「あって、ある」実感。「そこ」で、皮膚感覚と位置感覚とがピタリ合致している。
 それこそが「自分」(の一部)だ。「まことのあなた」(の一部)だ。
 グノーティ・セアウトン(汝自身を知るべし)。

◎皮膚感覚と位置感覚とが合致(相互共振)する・・と、主体と客体が融合[メルトイン]する。
 すると、まことの身体(最初は、一部のみ)が内観的に顕われてくる。観の目を開いた人が観ると、身体的にも変わっているのがわかる。もちろん、当人にも自覚がある。つまり、まことの身体は客観的に存在する。

◎それでは、まことの体が顕われる以前に感じていた(と思っていた)、今とは全然別物の「あれ」は、一体何だったのか? という疑問が、次の段階で自然に湧き溢れてくるだろう。
 自分は、体をちゃんと持っている、感じて、動かしている(使っている)と思っていた。信じていた。
 否、信じる必要すらない、ごくごく当たり前の自明の真実なりと思い込んで疑わなかった。
 が、本物が実際に現われてみると、以前の「あれ」はまったくのまやかし、別物であったことが、今や体そのものでハッキリわかる。
 明らかな本物が今ここにあり、それとは全然異なるもの(3次元空間の別の場所に焦点があるもの)を以前は本物と思い込んでいた。ということは、以前のあれはニセモノだった。
 その「あれ」を仮想身体という。Virtual Body。人間を呪縛する、心と体の抑圧機構[システム]だ。

◎大小様々な仮想身体からの解脱を体験した人たちは、皆口を揃え、「人は本当の体をまだ持ってない!」などと変なことを述べ始める。
 が、それは正真正銘の事実なのだ。
 いまちゃんとここにこうしてあると思っているあなたの体は、実は物質次元には存在しないもの・・・・??????
 あるいは、あなたの脳が別の体の夢をずっと見続けている・・・????
 非現実的な話に聞えるかもしれないが、仮想身体とは要するに非現実の認知だ。

◎仮想の体を脱ぎ捨て、あなた本来のオリジナルな体へと返るがいい。
 誰もが、他人の(ような)体を欲しがる。あれこれ移り変わる浮薄な外的基準に、自らの体を強制的に合わせようとする。
 それは、大いなる不幸の始まりと知るべきだ。
 己[おのれ]自身の等身大の内にぴたりと納まっている時にのみ、私は最高の安定と性能を感じる。万事うまく行っている、という絶対感に、しばしば満たされる。
 何をするにせよ、いかなる人生を歩むにせよ、それは私たちの生身の身体でもってなされねばならない。
 別人の体を生きる幻想(ヴァーチャル認知)に埋没し、心ここにあらずの夢遊状態で、いかにして自らの本来の人生をリアルに全面的に生き切ることができようぞ?

◎しかし、このぬるぬる活き活きした水銀のウナギのごとき、闊達自在な滑らかさ・自由さはどうだ。
 これをヒーリング・アーツでは、流身と呼ぶ。流身はまた、龍身[ドラゴンズ・ボディ]でもある。

<2011.08.25 綿柎開>