Healing Discourse

ヒーリング随感3 第15回 友への福音

[ ]内はルビ。

◎友への手紙の一節。

 ・・・前略・・・・ところであの時、ヒーリング・ネットワークの部外者である君が、パラオ巡礼のための奉納を自発的に申し出てくれたことや、巡礼成功のための祈りの場に積極的に参加してくれたことは、まったくもって予期しなかったことであり、非常に感謝している。ありがとう。
 その後、マレーシア巡礼をもって海の巡礼シリーズを「一応」「何とか」完遂し、それが神明の嘉[よみ]するところ(これはもちろん、神話心理学的な意味)となったものか、私たちが祈り求めたもの・・・・日本人全員があの震災と津波でこうむったPTSDをヒーリングするための具体的修法・・・・・が、今、次々と示現しつつある。龍宮拳という、仮そめの姿をとって。『ヒーリング随感3』に今書いているところだから、君もきっと読んでくれていると思う。

 まずは足、脚に、最初の鍵があった。
 足元が頼りなく、未来は暗澹としており、何度積み上げても崩されるむなしさに圧倒される、そんな感覚に頻繁に襲われる。
 これは、足の骨格構造が変わったことが原因だ。
 それをチューニングし直さねばならない。それは可能だ。
 最も簡単かつ効率的なのが「青竹踏み」だが、龍宮拳は青竹踏みを独自の視点で取り上げ、「青竹踏まず」としてそれをバージョンアップすることに成功した。龍宮拳の、入門修法にもなっている。
 詳しくは、『ヒーリング随感3』で書こうと思っている。
 この龍宮式青竹踏み(踏まず)を実践すると、土踏まずから起こった波紋が全身に行き渡っていって、内面的にパチャンポチャンと禊[みそぎ]されるような感じになる。全身が波打ち、足も波打ち、波紋の身体となる。
 これが、新しい21世紀の青竹踏み(踏まず)だ。

 May Mana be with you. マナが君と共にありますように。

   ヒーリング・ネットワーク 高木一行

◎龍宮拳 基礎第1箇条 足のこと
 其の一 波紋の足(青竹踏み)

 解題
 これは龍宮拳の基礎練修法であると同時に、一般向けの(誰でもできる)とても良い健康法でもある。
 よく練修し、日常生活の中で効果を確かめ、「これは確かに良いではないか」となったら、周囲の人にどんどん教えてあげるといい。そうすれば、皆で一緒に(そうでないと私にはつまらん)、どしどし健康に、元気になっていける。
 こういう、人の命の質に関わる大切な情報は、秘伝だ何だと隠し、出し惜しみすべきじゃないと私は信じる。

 ところで、この青竹踏み。一体誰が発明したものか、いつ頃から我が国に伝わっているのか、寡聞[かぶん]にして私は知らないのだが、ツールの青竹が現在も流通しているくらいだから、かなり広く普及してはいるのだろう。
 それだけ効果がある、あるいは(かつては)あった、ということだ。
 地震のPTSDに効くくらいだから、地震国日本ならではの独自の修法という可能性すらある。よその国には似たものはないのだろうか?

 一番肝心な使い方として、「足裏の真ん中あたりを、半分に割った竹の一番高いところに垂直に置く(踏む)」とされているようだが、これはあまり感心しない。
 青竹を左右の足で交互に踏む。これも正しいとは言い難い。
 そうしたやり方でいくらがんばっても、効果はあまり・あるいはほとんど、感じられまい。あるいはもっとアクロバティックに、角度、加減などを変えつつあれこれ踏んでみても、やはり本当に納得いく効果は感じられないはずだ。
 私がいう効果とは、あっと驚くほどの、劇的で目覚ましい結果のことだ。それも、直ちに。

 極意解説
 普段、「踏んで」いるやり方、場所で、青竹を踏むからダメなのだ。
 踏んではいけない。上記の誤例では、皆、「踏んで」いる。
 普段踏まないところ、床につかないところ、則ち「土踏まず」(踏まない場所)を、少し内また加減になるようにして、青竹にぴったり密着させて載せなさい。それが、コツだ。
 何かしっかりしたものに最初はつかまって、バランスを調整しながら(慣れてきたら徐々に「手放して」いく)。

 できるだけ、土踏まずだけで青竹と触れ合うようにする。
 足裏を左右にゆっくりロッキング(揺らす)していけば、足裏(床につくところ)と土踏まずの境界を探すことができる。
 自分の土踏まずをよくなで回しながら、その形をしっかり観[み]ることも、予備練修として非常にお勧めできる。
 その土踏まずを青竹の上に載せたなら、その真ん中(土踏まずの一番カーブしているところ)を中央として、そこから前と後ろに、土踏まずを別ける。青竹の曲面に沿って。
 真ん中から前と後ろに、土踏まずと青竹のタッチ感覚(触れ合っている感じ)を別け、同時に、鏡像的に、相照させ合うのだ。
 すなわち、いわゆる「3の原理」に基づき、土踏まずを使う。
 こちらかあちら、右か左か、が2の原理による体の使い方。これに対し3の原理では、右と左の中心に主体を置いて左右を相照的に取り扱うことで、右も左も超越した次元から心身をコントロールすることが可能となる。
 こうした心身の使い方をしている人は、右(翼)か左(派)かで空騒ぎすることにまったく関心がない。悠然として、比翼連理で行く。

 30秒くらいで、私の場合は充分だ。初学者は、納得いくまでやったらいい。青竹を「踏む」と結構気持ち悪いものだが、土踏まずを3の原理で「載せる」時には、いくらでも続けられると思えるほど不自然さがない。
「青竹踏み」を「(普段床を踏むことがない)土踏まず載せ」へとニューロ・ディライト(神経的書き換え)する。と、たちまち、土踏まずが液化し、波打ち始める。
 この波は、立位において身体の最下部(底)で発生するものであり、津波と同じ原理で、他者に伝達することが可能だ。すると、相手は底(足元)から揺さぶられ、崩れる。
 明るくわあわあいいながら、青竹踊りを舞うといい。動きは自然に土踏まずから波紋として湧き溢れてくる。
 片足で青竹を踏み(土踏まずを載せ)、その載せたところを前後に別[わ]けなさい。
 土踏まずを3の原理で意識することがコツだ。ところで、あなたはご自身の土踏まず(床と接してない部位)の「形」を、足のどこに感じていらっしゃるだろうか? それは、実際のところ、どういう形だろうか?

 告白するが、私はかつて、足の真ん中に土踏まずがあり、上から見てそこが盛り上がった形になっているものと仮想していた。一体、いつ、どこで、そんな風に思い込むようになったものか・・・。
 ある時、ヒーリング・タッチでびっくりするような真実(土踏まずの本当の位置とその位置感覚)に気づいた途端、がらがらがらんと全身が組み替わり始めた。「静かで透明な」衝撃が次々と起こり、背中に長年強固に居座っていた凝りも、その場で一気に溶け始めた。土踏まずは、・・・・・斜めだった。足裏の外側(小指、中指側)には、なかった。
 土踏まずの仮想が、全身に渡って強い軋轢[あつれき]を発生させている事実を、私はそのようにして知った。

 考えてもみよ。
 アーチになっている土踏まずこそ、足のバランサーだ。床と直接触れ合っている箇所(足裏)では、地球(引力)との当意即妙のかけ引きはできぬ。床との摩擦があるから、必ずや遅れてしまう。
 土と触れ合ってない土踏まずこそ、足全体、ひいては身体全体のバランスのセンサー/調律装置だ。
 これを肥田春充は、「動作中、爪先にも踵にも偏らない」と説明した。それを可能とするためには、土踏まずを3(両端と中心)の原理で意識し、使うことが必要だ。

 今年始めに我が国を襲った地震と津波の悲劇を、人を活かすマナ、誰もが手軽に実践して元気・健康を増進できるマナへと祀り換える鍵(ヒント)、私たちはどうやら手に入れつつあるようだ。
 海の巡礼を、神明の導きにより繰り返したことも、与(あずか)って大いに力があったと感じている。
 これは、私たちにできる形(マナの公式化)での、被災者支援とはなり得まいか? 
 被災された方々に、今も今後も、何が一番必要か? 
 いうまでもなく健康だ。元気だ。若々しさだ。
 それを切実に必要としているのは、被災してないのに不安で心配でたまらぬ他の者たちも同じかもしれない。

 我が国は、今まさに高齢化社会に突入中、という。
 そういう時、最も大切とされるべき資質も、やはり若々しさだ。さもないと、社会全体が重く暗く老化・頽化[たいか]していく。
 土踏まずは、老化のプロセスの出発点であることが、一般にもよく知られている。
 土踏まずから始まった硬直化(弾力性の喪失)は、脚の後ろ側を通って腹、腰へと及び、ネガティヴな老化の相(堅い体と頑なな心)を取るようになる、という。

 ところで皆さん、土踏まずの弾力性が失われて、云々というが、その「土踏まずの弾力性」とは実際にいかなるものなのか、ご自身の土踏まずにおいてリアルに感じていらっしゃるだろうか?
 私が言っているのは、土踏まずの内部で感じられる「水が波打つ体感」のことなのだが。
 これは、立っている私の足と触れ合ってみれば、誰でも感じることができるものだ。私の土踏まず(の内部)は実際に「波打つ」。その波打つ足と触れ合った者は、皆、全身波打ち始める。

 これ(土踏まずの3の原理に基づく覚醒)は、より大きな「器」を受け支え、踏ん張るための基礎をなすものだ。
 土踏まずがバランスよく開かれているほど、生き生きと弾むような感覚が全身を駆け巡り、人は健康感を感ずる。
 とても若々しい、という素晴らしく爽快な実感が満ちてくる。
 いかなる修法も、いかなるわざも、それを載せる足のバランサーたる土踏まずと、無関係ではあり得ない。

 青竹踏みと、踏んではいけないことを重々承知の上であえて副題につけたのは、その方が一般の人がすんなり受け容れやすいだろうからだ。
 青竹踏みという名称そのものが、この健康法の効果を阻害していたことがわかると、皆あっとびっくり仰天する。そういう、知的興奮を味わうことも、ヒーリング・アーツの楽しみの1つだ。
 繰り返す。土踏まずを載せるつもりで、実際には相変わらず「踏んで」しまったのでは、効果は薄弱となる。
 踏むことの決してない土踏まずを青竹の上に載せる。その際には、足裏(普段床を踏んでいるところ)は床に対し斜めに傾く。そうした意図をしっかり持って執り行なうことが大切だ。すると、劇的に「効く」。
 波紋の足という言葉の意味が、今やあなたにはおわかりだろう。
 楽しく舞いなさい。

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<2011.11.14 地始凍(ちはじめてこおる)>