Healing Discourse

ヒーリング随感3 第22回 龍宮拳礼讃

◎龍宮拳を実際に体験した人たちが、以下のような感想を述べている(プライベートBBSへの投稿文より転載)。大半は武術初心者だ。
 自画自賛の謗[そし]りを免[まぬか]れないことは重々承知の上で、龍宮拳体験談をこうしてご紹介するのは、真剣な関心を持って私の言葉を傾聴してくださっている皆さんのご参考になれば、との想いからだ。それに、これまで何度も繰り返し述べてきた通り、龍宮拳の示演において、「自分(自我)」は一切関わってない。だから「自」画「自」賛という批判は、完全に的外れだ。

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・龍宮拳の術(わざ)を先生より直接受けさせていただき、その威力に、禊祓いの力に驚嘆するばかりです。
 先生の手首を掴もうが、体に抱きついて自由を奪おうが、一瞬にしてこちらは溶かされ、あるいは重心を崩され、先生の為すがままとなってしまいます。驚くのは、たとえば触れ合っている部分をどうにかしている、つまりそこを引っ張ったり、押したりして、その作用が徐々に足まで及んで崩れる、溶けるのではなく、一瞬にして全身に透明な力が流れ、重心そのものが先生の支配下におかれ、総身があまねくコントロールされている、ということです。
 以前に「猫足立ち」の術を受けさせていただきました(注:第13回スライドショー参照)。先生の足の甲を数名が両手で押さえ込み、踵を上げることができないようにしておき、そこから先生が土踏まずを立てられる、いとも簡単に我々は崩されてしまいました。
 最初にゆっくり行なっていただくと、「全身まるごとでもっていかれる」感じがはっきりとわかりました。
 ところが、次に猫足立ちを一瞬の内に実践されると、凄まじい衝撃が光の如くに全身を貫き、吹き飛ばされてしまいました! まるですべての関節がバラバラにされたようで、しばらく起き上がることができません。
 しかしそこは、ヒーリング・アーツであるが故に、いやしの作用がたっぷりと秘められていました。起き上がってみると、体の軽いこと! びっくりするほど心身が禊祓われ、しかもバラバラにされた(全身の)関節には、透明で弾力のある生命力が溢れていました。
 何度か受けさせていただきましたが、そのたびごとに元気になっていくのですから、龍宮拳の偉大さに敬服するばかりです。
 さらに、次々と示現しつつある新たな龍宮拳の術を受けさせていただく機会もあり、そのすべてが独特の力を宿し、独特のいやしをもたらしてくださいます。

 いやしの源泉からもたらされる龍宮拳・・・・あまりにもユニークで、あまりにも素晴らしいヒーリング・マーシャル・アーツです! <楠木昌人 岡山県>

・龍宮拳を実際に体験させていただきましたが、波に翻弄されるように簡単に崩され、しかも倒れたあとは全身が禊ぎ祓われてしまうという、驚異的な武術でした。
 先生の拳や龍宮武器であるシャーク・ブレードの刃、あるいは波紋棒に対して、その流れに吸い込まれて溶けていくように崩されてしまいます。
 先生の拳が届かないように両腕を必死に掴んで押さえる、体が崩されないように踏ん張る、そうした自分の状態に対して、全く抵抗なく水が流れ込んでくるように力が伝わって自在に操られてしまっていました。
 波や波紋が、裡にダイレクトに伝わっている感覚は超越的で、全く違う次元で働きが起こっているとしか感じられない驚きがあります。
 武術・武道で体が健康になって身体が強靭になり精神も健全になるという目標を掲げている所は現代には沢山あると思うのですが、「やられた」方までがその場で(!)どんどん元気に、清々しく楽しくなってくる武術というのは他に無いのではないかと思います。といいますか、実際に龍宮拳を体験して初めて、本当にそのようなものが地上に存在している事を思い知りました。<道上健太郎 山口県>

・龍宮拳の術を受けさせていただいて感じたことは、一瞬にして自らの奥深くまでその波紋が響き、根底から揺さぶられ、溶かされてしまう凄さです。
 私も猫足立ちの術を体験させていただきましたが、瞬間的に術をかけていただいた際の衝撃はもの凄かったです。3人がかりで全体重を乗せて高木先生の足を押さえていきましたが、初めは何が起こったのか分からないほど、あっという間に転がされていました。
 全身が瞬時に大波にのみ込まれるかのようでもあり、世界が一瞬のうちにぐるんと回って、その衝撃の大きさと痺れるような波紋の余韻によって、しばらくの間は思考が停止してしまっていました。固体だった身体が、術をかけていただいたことによって、全身が微細に振るえるヴァイブレーションそのものとなったようで、この瞬間的な変化には言葉を失ってしまいました。
 また、カニ拳やシャーク・ブレードの威力も体験させていただき、その目が覚めるような強烈さや鋭さは、自らの内奥までグーッと鮮烈に迫ってくるものがあり、裡が熱く活性化して、まさに活を入れられ、元気が迸ってくるように感じていました。
 水のように溶かされ、心身が柔らかに、滑らかになるのと同時に、グッと活が入って自らの芯がしっかりしてくるような頼もしい感覚もあり、このような深いいやしを与えてくださる龍宮拳は、素晴らしすぎる恩寵だと感じます。<佐々木奈緒子 神奈川県>

・以身伝身にてお伝えていただいた際に感じたのは、強烈な波、波紋でした。全身の奥深くに浸透し、強固なエゴが瞬時に洗われ、解かれる・・・。海の質、生命力をダイレクトに味わっているかのような、深いいやしの体験でした。
 シャーク・ブレードを持って舞われているお姿は、本当にサメの質、生命を反映し、抵抗する者には屈服させるまで攻撃をやめないような荒々しさが感じられたり、美しくかつ凄まじいものでした。
 このように、「楽し!」と声をあげずにはいられない、多様な生命とともに織りなされる芸術を私はほかに知りません。<久保朋司 東京都>

・龍宮拳を様々に体験させていただいたことで、いま感じますことは年齢、性別に関わらず誰もが取り組むことができる武術、健康法ではないかということです。
 相承会において土踏まずの学びによる目隠し稽古の際に、美佳先生に掛らせていただきましたが、美佳先生と触れ合った瞬間にスパッ!と一瞬で倒されてしまったことがありました。
 また、先生の波紋棒を受けさせていただいたときには、老人でもできそうではないかとのお話もあり、龍宮拳を身につけた老人が目の前に現われたときには若さも力強さも全く意味がないということを実感したことがありました。
 さらには、その体験により自分のなかにある老いることへの恐怖感が薄れていくことを感じ、年を重ねるごとに開かれる可能性、深まる境地というものと、龍宮拳を通して出会うことができるのではないかと思いました。
 また、龍宮拳の前には一切の防御や攻撃が成り立たないのではないかとも感じております。あるとき、先生の肘が動かないようにがっしりと両手で先生の腕を掴ませていただいたときがありました。普通ではこれ以上攻撃されることがない状況にありながら、先生が肘の仮想を正された瞬間に先生の肘が自由に動き始め、防御することができなくなり先生の肘がいつでも自分に襲いかかってくる状態になったことがありました。また、先生が肘の仮想を正されておられる状態では、どのように打ち掛かっても事前に察知され、制せられてしまうため全く攻撃することができなくなってしまったこともありました。<渡辺義文 大阪府>

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◎龍宮拳・・・・珍妙な名だ。確かに。
 自分でもそう思う。
 しかし、そういう名前なんだから仕方ない。人ひとりひとりの名が、実は親が考える以前からすでに決まっている節があるらしいのと、同様だ。 
 在って在るものなり。
 私の理会と修得とを、遥かに超えている。
 これまでも述べてきたが、私がこれまであれこれ修業した末に編み出したようなものとは、根本的に違う。
 あちこち、いいところを持ち寄ってきてうまい具合に組み合わせた、そんなものでは、全然ない。
 こんなものを考えつくなんて、私には到底無理だ。
 こんなものをこしらえあげるなんて、自分でやると思っただけでめまいがする。

◎物凄い修業が必要だろう。相当な知性も不可欠に違いない。身体感覚と能力の開かれ方については、いうまでもなかろう。
 そうした体験・資質・努力が、龍宮拳をもし自力で編み出すとしたら必要となろうが、いかんせんそれらのすべてにおいて、私は「可もなく不可もなし」のレベルが精いっぱいだ。
 だから、私に、龍宮拳のような超精妙なインナー・ハイテク術[わざ]を生み出せるはずなどないのだ。
 こんなもののことなど、これまで考えたこともない。想像(夢想)したことさえない。

◎にもかかわらず、「できる」。「使える」。「示せる」。「分かち合える」。
 これは一体どうしたことかと、我ながら不思議に思える。
 私と友人たちは、時に山師呼ばわりされたりもしながら、人の心身に潜む至宝[マナ]を探し求め、せっせと自らの内面を「掘り」続けてきたのだが、その結果、生命の秘法の大鉱脈に期せずしてぶち当たってしまったらしいのだ。
 論より証拠、できるはずがないダメな私が、龍宮拳を使えばあら不思議、一寸法師ならぬ一寸名人(いっすんめいじん:一寸はちょっと、とも読む)程度には、突如として「使え」てしまうではないか。
 諸君、これは本やテレビの中のお話ではなくして、あるがままの事実であり、現実だ。
 龍宮拳は、ダメな奴、弱い奴でも、<志[こころざし]>さえあれば、必ず「できる」ようにしてくれる。

◎私が波紋の足で舞う様を、妻が帰神撮影した。
 足(土踏まず)から波紋を起こし波紋として動く、と私が言う時、それはただ、あるがままの事実について述べている。

◎最近のマヤ(1)

◎最近のマヤ(2)

 こういうことが、マヤとの神秘的な意思疎通により、「直ちに」できるようになるから凄い。
 何度も練修した結果ではない。
『できるかな?』『もちろんよ!』
『こんなことだってできるよ』『そりゃスゴイ!』
 てな感じである。
『この手の動きについていってごらん』と思念(というよりは意図と呼ぶ方が近いかもしれない)しながら手を動かしたら、あらあら不可思議、アナカシコ、マヤがその通りにするではないか。
 立てたトンネルにポンと飛び込んでいくなんて、これまで1度も教えたことがない。
 それが、諸君、たった1度で、・・・・できちゃった・・・・????!!!
 これすべて、太霊道霊子術の応用なり。

<2011.12.13 熊蟄穴[くまあなにちっす]>