Healing Discourse

ヒーリング随感3 第13回 苦行から樂行へ

◎随分前(1999年頃)のことだが、足の拇指(おやゆび)の爪をはがす「修法」が示現(突然、啓発的に「わかる」こと)したことがある。

<フォーミュラ>
 カーペットの上で、うつ伏せで爪先を立てた態勢にて、立てた拇指爪を絨毯に強く引っかけるようにしながら、腕の力を使って勢い良くどんどん全身後退。爪が徐々にはがれてきて、最後にぱっくり開くまで、何度でも執り行なう。 

 そういう、やや荒っぽい行法だが、神明なる流れを信頼し迷わず断行したところ、拇指に関するいろんな秘密を知ることができた。
 拇指の根元には、身体運動の方向性を司るポイントが隠されている。
 動きの向きを換える時に足のどこを支点とすべきか、一般に流布している情報は錯綜[さくそう]していて、いまひとつ決定的な(誰もが追試して効果を確認できる)ことがわからない。
 人体の構造上、最も正しい方式は1つしかないと思われるが、人は一生の間に無数の方向転換を繰り返しつつ様々な動作を行なうのだから、その際の転換の支点について明らかにすることは、国民レベルというよりも国際レベル、否、地球レベルで、解決を切実に求められている課題の1つではなかろうか?
 それがわかれば、人類全体の福祉(膝や腰を痛める率が劇的に減ると共に、歳をとっても寝たきりにならない)に役立つと同時に、人類全体の歩みの方向転換にもきっと役立つはずだ。人類が方向転換すべき時期に来ていることは、今や誰の目にも明らかだろう。
 そういうスケールの大きな修法が、今、龍宮拳を通じ、次々と花開き実を結ぶが如くに、顕われつつある。
 このような、神聖さの感覚を伴う示現現象を、ヒーリング・アーツでは御吾[みあれ]と呼ぶことがある。尊いものの誕生、といった意味だ。ヒーリング・アーツ・ファンは、とうにご承知のことと思うが。

◎本編第2回にてお約束した、「足の甲を強く押さえられた状態より爪先足立ち」の帰神フォトを、先日ようやく機会を得て撮影することができた。
 早速ご紹介する。観の目を使えば、立体感もマナ感も、一層深まる。

 膝を伸ばしたまま、つま先立つ。ゆっくりから練修を始め(正しく行なえば、ゆっくりでも無理なく押さえつけを返せる)、慣れてきたら、猫が何かに驚いてぱっと跳ね上がるみたいに、勢い良くつま先立つ。
 すると、両腕も自然に跳ね上がる。これはあくまで副産物的動きなので、自分で最初から意図的に腕を振りあげようとしないこと。
 膝を伸ばしたまま、爪先が床から離れないギリギリの高さまでジャンプする。そんなところから始めるのも悪くない。

◎なぜこれが猫足立ちなのかと、不粋な問いを投げかけめさるな。
 猫というものは、つま先立ちで優美に歩き、つま先立ちで俊敏に走り・回り、つま先立ちにて弾[はじ]け・跳ぶ、動物なのだ。
 仔猫マヤを始めとする帰神フォト・猫シリーズは、ヒーリング・フォトグラフの公式ギャラリーにて、近日中に公開予定。
 乞うご期待。

◎つま先立ちに話を戻すが、この際、足のどこにどのような力がかかるのか、言葉を換えれば、どこがどのようにして体の重さを受け、支えるのか、ハッキリ理会することが大切だ。
 さもなければ、甲を強く押さえつけられてそれを軽々と返すなど、絶対できない。全力で頑張っても(頑なに張ること)、非常に難しいかもしれない。相手が2人、3人となればなおさらだ。
 指の骨(基節骨と中節骨)でなく、中足骨(足指の骨につながっている骨)を立てて、受けるのだ。すると、土踏まずが弓のように張る。
 わかってみれば当然のことだろう? が、ものごとが当たり前であればあるほど、それに気づくのは非常に難しい。
 なぜなら、あまりに「当たり前」だから。
 誰もそこに注意を向けない。

◎上掲スライドショー(猫足つま先立ち)の撮影協力者によるコメント。プライベートBBSより引用。

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 龍宮拳稽古会では、様々な術を先生から受けさせていただきましたが、猫足立ちの術はかなり強烈に印象に残りました。 
 まずは、3人で(先生の)足の甲を思いっきり押さえつけました。先生が普通に踵を上げようとしても、その状態では持ち上がりません。
 ところが、3の原理に則り、先生が土踏まずを意識されると、突如として、強く押さえているはずの足が波と化し、掴みどころがなくなってしまい、我々の手が先生の足に吸い込まれていくようです! 並々ならぬ力を秘めた波紋が、我々の掌を通じて伝わってきます。
 そのまま先生が一気に爪先立ち(猫足立ち)になると、足を押さえていた3人とも吹き飛ばされてしまいました。その力が独特で、透明な衝撃波が瞬間的に全身を貫いたかと思う間もなく、全身まるごと吹き飛ばされている、といった感じです。何度か受けさせていただくと、固まっていた全身の関節がバラバラにほどかれたようで、こちらも透明になり、スースーと風通しが良くなってきて、立ち上がってみると、実際に身体が軽くなっていました。
 波の中で起きる、猫のようにしなやかで柔軟な弾み! 単に踵を上げただけの「爪先立ち」とは根本的に異なる、まさに「猫足立ち」でした。相手を飛ばし、傷つけるものではなく、いやしの波紋を伝え、自他ともにいやされる術・・・・まさにヒーリング・アーツなのだと、深く納得しました。<M.K. 男性 岡山県>

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『ヒーリング随感』第10回にも記したように、昔は荒行ばかり好んでやっておった。 
 当時の「記念写真」の1枚を、昨日妻が資料を整理していて発見した(クリックすると拡大。以下同)。面白いのでご紹介する。
 下あごのアザにもご注目。

 十数年前のある日、妻と丸一日激しい稽古を楽しんだ翌朝、お互いの体をみると、にぎやかにアザだらけになっている。
 おお、これは面白いじゃないかと、庭前にて記念撮影したものだ。
 ちなみに、腿のアザは、「仰向けに寝て片膝を立て、その腿の各所に向け、振り上げたもう一方の足の踵を思い切り叩きつける」修法によりできたもの。根深いブロックを叩きつぶす。
 今は、腿にふわりと柔らかくタッチするのみで、もっと深く・優しく・解きほぐすことができるようになっている。
 まさに隔世の感。

◎シャーク・ブレードの帰神撮影を、友人たちの要望に応え、また執り行なった。そのうちの1舞。
 このフォトを観照し、私の頭が口をぱっくり開けたサメになっている、と言った人がいたが、なるほど、いわれてみればそんな風に観えなくもない。
 こうした変身現象を、ヒーリング・フォトグラフでは「ナワーリング」とたわむれに呼んでいる。

撮影:高木美佳 2011.11.04

◎新しく仔猫マヤを迎えたことを契機として、自宅を徹底的にリフォームし、マナ受発信の聖地<龍宮館>へと換えることにした。
 住空間を最も心地よくて効率的、しかも神聖なものへと改築・改装する。これすなわち、ヒーリング・リフォームなり。
 その第一号モデルと自らがなりつつ、「普通[スタンダード]」とは違うオリジナルな生き方や、人生の芸術化を提唱していこうと思っている。
 龍宮館は、<バステト女神からの預かりもの(猫たち)>のすまいでもあるからして、猫の楽園としての諸種の機能も高度に充実させねばなるまい。

◎仔猫が来て以来、変化したことはいろいろあるが、とりわけ「セックスレス」になったことには、妻共々驚いている。
 毎朝晩(時折昼も)の挨拶的ヒーリング・セックスはいうまでもなく、少なくとも週1度は必ず「ヒーリング・セックスの日」を設け、まる1日かけてシャクティ・タントラの奥義を(愛を交わし合いつつ)探求することを、妻と共にこの十数年間ずっと続けてきた。言うまでもないと思うが、極めて真剣・真摯に。
 が、マヤを迎えて以来、回数も時間も、激減した。
 考えてみれば、子育てというものは、性[セックス]エネルギーのひとつの表われなのかもしれない。

◎写真は近作、『シスターズ』シリーズからの1舞。
 ヒーリング・フォトグラフは偉大[アクバル]なり。
 美しく魅力的な女性たちが、ヒーリングのため・芸術のためとあらば、喜んで率先して「脱ぎ」、ヌードモデルを務めてくださる。
 実にありがたいことである。

撮影:高木一行 2011.11.02

<2011.11.08 立冬>