Healing Discourse

ヒーリング随感4 第24回 続レフュージ・ライフ

◎小学5年生の時だった。
 毎年夏になると、父に連れられて里山の境界を越え山に分け入り、ひんやりと涼しい山道をあちこち歩き回るのが楽しみだった。
 あの時、その日に限って父はいつものお決まりのコースを外れ、父自身もあまり詳しくは知らないという古い山道をたどって、私にとっては「大洋」にも匹敵するようなディープ領域へと、踏み込んでいった。
 山の「奥」であることが、父の後を追って歩みを進めながら、全身の肌身で感じられた。
 これまで体験したことがないような、生命[いのち]の質感の濃密さ。鳥の声の近さ。
 一体我々は何、あるいはどこを目指しているのか、普段以上に寡黙となってただ黙々と歩みを進める父自身もまた、どうやら知らないようだった。何度尋ねても、曖昧な答えしか帰ってこない。
 小一時間も歩いたろうか。人ひとりがようやく通れるような薄暗い森の小道を少し外れたところに、「それ」があった。
 小さなクヌギの木が1本、ぽつんと立っている。大人の腕くらいの太さの小さな幹の、地表から約1メートルの高さに大きなうろ(空洞)が、ざっくりとえぐられたように形成されていて、芳醇な蜜のような樹液がそこにたっぷりたくわえられている。そこに数えきれないほどの小さなクワガタムシたちが・・・・群がっているではないか。
 生命[いのち]の聖杯。
 父に手伝ってもらいながら夢中になって全部つかまえ(総数30匹余り!)、虫カゴなどもってないからシャツをぬいで即席の容れ物を作り、大切に家へ持ち帰って飼育した。
 その夏、あの「宝物のような場所」へ、父に何度もせがんでもう1度だけ、連れていってもらった。その時は、みたこともないほど大きくて真っ黒いオスのカブトムシが、蜜の泉を独占していた(持参の昆虫採集かごへ直行)。
 驚くべきことに、その木のことを父はあらかじめまったく知らなかったそうだ。なぜ、あの時、私を突然そこへ連れていったかも、いまだに不明なままだ。

◎その翌年、何度も夢にまでみたあの場所を、父と共に目指す途中で目撃したのは、何台ものブルドーザーが一斉に襲いかかって、木々をなぎ倒し、山を押し流し、崩していく凄絶な光景だった。見渡す限り、ずっと。
 まったく信じがたいことに、「あの木」は、もはやどこにも存在しなかった。それどころか、そこへと至るための道すら、もう見分けられなかった。
 あの至福の場所は、——そこを夢で訪れる時、私はいつも無上の幸福感を覚えるのだった——唐突に蹂躙[じゅうりん]してきた超絶マシーンの群れによる、信じがたいほどの広範囲かつ徹底的なる大破壊の波に呑まれ、無数の生き物達と共に、完全に消え失せてしまった。
 個を越えたレベルの(生命に対する)巨大なツミ、の意識、あるいは自覚を、その時、初めて感じたことを、今でも鮮烈に覚えている。
 その、山を切り崩して造成された、まさにその場所(観音台団地)に、私は今、住んでいる。
 私の家がある、この場所こそ、あの魔法のような奇跡の木が生えていたところなのかもしれない。
 蹂躙者とは、・・・・・私自身にほかならなかった? 

◎自然を愛する者にとっての悪夢が始まった。
 中学2年の夏、ある一夜、実家の隣を流れる浅い小川が、無数の蛍でびっしりうずめ尽されたという。熟睡していたから、などという馬鹿げた理由で私を叩き起こさなかった両親を、私はかなり後になってようやく、ゆるすことができるようになった。
 それ以前、夏になると川べりを何匹もの蛍がふわり・ふ・・わりと飛び交い、夏の夕べを神秘的に彩ったものだ。その数がここのところ減ってきたなと、わが家でも話題にのぼり始めた矢先の、異常なまでの大発生であった。母によれば、あたりが薄明るくなるほどだったという。
 翌日以降、毎夜チェックしたが、ついに1匹の蛍も見かけなかった。
 その年を最後に、その川の蛍は絶滅した。

◎同じ川の話である。
 実家のすぐ隣で、子供の頃は魚釣りができた。
 太ったハヤを釣り上げたら、そのまま台所へ直行し母に料理してもらう。
 塩コショウで味付けし、小麦粉を全体にまぶし、やや多めの油で唐揚げ風にさっと炒める。素朴なるその真味、言い表わすこと能[あた]わず。
 よっぽど面白くて楽しかったんだろう。いまだに「そういうこと」(狩猟採集的行動)が好きだ。
 その川が、ある日中学校から帰ってきたら、ちょうど実家に隣接するあたりでせき止められ、そこから下流は巨大ポンプで水をスッカリ「抜かれ」てしまっていた。人間のテクノロジーというものは、こんな(一少年にとっては)途轍もないことでさえ、実に効率良く、あっけらかんとやり遂げてしまうものなのかと、妙な感心の仕方をしたことを覚えている。
 干上がった川床に、たくさんの、これまで見たこともないほど大きな、こんな浅くて(最深約30〜40センチ)狭い(最大約2メートル)川にそのようなものたちが棲んでいたとはとうてい信じがたいほどの、ハヤたちの骸[むくろ]が・・・・死の行進のように・・・点々と連なっている。数えきれないほど。
 土手から川底へ下りていき、すでに息絶えたハヤをそっと手に取った。   
 血に染まったような真っ赤な模様が、金色[こんじき]の分厚い体躯を彩っていた。顔のまわりにゴツゴツした小ヅノのような隆起がたくさん発達している。まったく見事な、ほれぼれするような形、色彩、サイズだった。
 ハヤというものは長く生きると、こんな化け物じみた、あるいは神がかったような、派手な色と形と大きさを備えるようになるのだと、その時初めて知った。もう少し小ぶりのスレンダーなもので、オレンジの婚姻色が体に表われ、頭部にイボのような小隆起を数個程度つけた個体なら、以前に何度か釣りあげたことがあったのだが。
 同じような堂々たる風格を備えた偉大なハヤの長老たちが何十頭[にん]も、早くも乾き始めた川床に、静かに散らばり、その身を厳かに横たえている。
 何ごとをも訴えかけることなく、完全な無執着にて、粛々と。
 こうした光景を人々は無感動に、あるいは面白そうに、土手の上を通りすぎながら見下ろすのだった。
 こんな美しい、大切なものが失われたというのに、なぜ誰も嘆かないのか、心配しないのか、声高に述べ立てないのか、・・・私にはわからなかった。
 この川はその後、川底がコンクリートできれいに平らにならされ、かつてそこに暮らした水生昆虫たちや魚たちやカニたちや貝たち(昔はシジミも採れたそうだ)は・・・・すべて消え去ってしまった。
 やがて、ぬらぬらした薄気味悪い色の藻が川床を覆いつくし、川はとても醜くなった。子供たちの遊び場であり人々の憩いの場所でもあったかつての姿は、もうどこにもみいだせない。現在に至るまで、ずっと。
 私にとってこれは、人間(私自身もそこに含まれるところの)による自然への「暴力」にほかならなかった。ヒトは、暴力を否定しながら、なぜ自然に対して平然と暴力を振るうのか? これ(自然への暴力)はとても良くないことだと、当時の私がいくら言葉を尽して説いても、周囲の人々は嗤[わら]ってまったく耳を貸そうとしなかった。
 中学校の隣を流れる用水路が、ある朝突然、無数の魚(大半はフナ)の死骸で覆い尽くされた時も、人々は無感動に、あるいはやじ馬根性で高みの見物的に、ただ眺めるのみだった。

◎子供の頃、近所にあった数メートル四方程度の、かんがい用の小さな浅いため池ですら、大きなザリガニやフナ、カエル、コオイムシやゲンゴロウ、ミズカマキリなど各種の水性昆虫、ドジョウ、そして時にはナマズのような大物まで、実にいろんな生き物と出合うことができた。そこは私の格好の「狩り場」となった。
 少し遠いところにある、もっと大きくて深い、プールサイズのため池となると、びっくりするくらいビッグな食用ガエルのオタマジャクシやカメなどがいっぱい棲んでいるのだが、そこは「大きい子」でないと行ってはいけないのだった。
 環境考古学者の安田喜憲氏は、好著『蛇と十字架』中にて、「森や森の中の動物が元気であり、川や海がきれいで魚介類が元気であってこそ、人間の本当の幸福が得られる」と述べているが、自らの実体験に照らしてまったくその通りだと思う。
 小さなため池ですら、幼い私にとっては一種の至聖所であり、そこにいる時、私は確かにこの上なく幸せだった。
 その後、現在に至るまで、国内外のあちこちを旅してきたが、「自然の元気な姿」と接するたび、私はいつも深い充足感と大きな喜びを感じる。
 このたび、蔵書のほとんどを処分、または譲渡したことは既述したが、安田氏の『蛇と十字架』および『大地母神の時代』は手元に残った。価値ある予言の書だ。

◎上記のようなため池(ビオトープ)のほとんどが、昭和の高度経済成長期に周辺の田んぼと一緒に丸ごと全部埋め立てられ、そのあとを道路や住宅などがびっしり覆い尽くしていった。
 あの、巨大なオタマジャクシが群れる大きなため池は、私が高校生になる頃まで手つかずのままだったが、それも時間の問題だった。そこが、今まさに丸ごと埋め尽くされんとする暴虐シーンに、私は偶然(?)立ち会うこととなった。
 山盛りにした土砂を、ブルドーザーがどんどん池に押し込んでいく。もう3分の2ほどが埋め尽くされた・・・ところへ、私は自転車で偶然通りかかった。ある冬の午後遅くのことだ。
 冬眠中を叩き起こされ、「土石流」に呑まれることを何とか免れ、一角に残ったわずかなスペースへと避難してきた池の住民たち少数・・・大人の手よりも大きな食用ガエルやカメ、鯉など・・・を待ち受けていたのは、情け容赦なく注ぎ込まれ続ける膨大な土砂に、生きたまま残酷に埋められるフィナーレだった。
 あっという間の出来事だった。私はその一部始終を、ため池の縁のてすりのところから、近所のやじ馬たちに混じって、ただじっと見守るしかなかった。

◎背骨がぐにゃりと曲がったドジョウが頻繁に採れるようになり、その肉は変な味がしてとても食べられたものじゃなかった。
 中学を終える頃までには、実家の周辺はすっかり様変わりしていた。
 かつて見渡す限り水田が拡がり、夜は満天の星を仰ぐことができた、あの命の輝きに満ちた静穏な世界(人々は夜、ドアの鍵をかけることなく安らかに眠った)は、いつの間にかまったく、・・・まったく別の、騒々しくて落ち着きのない場所へと置き変えられてしまっていた。
 これらは今から40~30年くらい前に、私の実家周辺で起こった出来事だ。日本中どこも似たような状況だったのではないか?

◎その後、東南アジア諸国で大規模な密林伐採の現場を目[ま]の当たりにし、「自然への暴力」が地球規模で急速に拡大しつつあることを知った。それは今や、「地球への暴力」と呼び得[う]るほどのものとなっていた。
 1億年以上を経たボルネオの太古の森の木が、無情に・無残に切り倒され、巨大なトラックで次々運ばれていく光景も、実際にこの目で見たことがある。
 現在、ボルネオ(マレーシア領)上空を飛行機で飛ぶと、山間部を除いてうっそうたる密林などほとんど残っておらず、妙に幾何学的な印象を与える植物がきれいに等間隔に植えられ、平らにならされた大地の大半を埋め尽くしているのがみてとれる。
 密林を伐採した後に植林されたアブラヤシだ。
 その実から、洗剤の原料となる油がとれる。私たちの多くが環境のため良いと信じて使っている、それを使うことで地球環境の保全に貢献したといい気分になっている、あのヤシの実油の洗剤とは、実は熱帯雨林を切り払った後に換金作物として植えられたアブラヤシから作られていたのだ。 

◎安田氏いわく、「人間の幸福のみを考えてきた巨大宗教は、確実に死を迎えつつある。すでに死体となり、宗教本来の役割を失い始めた宗派もあるのに、教団の人々はその自覚さえない」(『蛇と十字架』)と。
 地層に含まれる花粉化石を分析して世界各地の過去の植生(どんな植物がどれくらいの割合で生えていたか)の変移を立体的に再現する安田氏らの研究により、歴史上の様々な文明の変化・推移が、地域的あるいは全地球的な気候変動(寒冷化や温暖化など)により引き起こされていたことが明らかとなった。環境と文明との間には、密接な関係があったのだ。
 安田氏の著作によれば、日本には、あれだけの破壊の後でさえ、世界の他の国々と比べ圧倒的に多くの森が、残されているという。「森の国」ニュージーランドですら森林が国土全体に占める割合は3割程度に過ぎないというのに、日本は軽く7割を越えているそうだ。
 そのことを知って以来、私は新たな希望の光を——それはまだかすかなものではあるが——感じることができるようになった。
 岡本太郎は、縄文土器を通じて日本民族が秘めるマグマのごとき原初のエートス(特性、出発点、原点)を直感し、日本人もまだまだ捨てたものじゃないと信じられるようになったそうだ。

◎こうして書いていて、幼い頃から現在に至るまで、私の人生を一貫するある種の意思、あるいは意図のようなものを、強烈に感じ始めた。
 それは、私を導いて様々な体験を与えることで、何かを指し示そうとしている、ある理会へと私が到達するのを待っている、そんな感じさえする。
 このたびのレフュージ・ライフをきっかけとして、これまでの人生を総括し、新たな人生を歩み始めるための指針を探っているところだ。
 前と同じようなことの繰り返しじゃつまらないが、過去の様々な出来事、体験を照らしあわせてみれば、何かサイクルのようなもの、あるいはすべてを貫く根本的なスジのようなものを発見できるかもしれない。幼少期から青年期にかけての鮮烈な体験が、良きにつけ悪しきにつけ、その後の人生にいかに大きな影響を及ぼすものか、知れば知るほど驚かされる。

◎自然を蹂躙する人間、自然破壊を目睹[もくと]する人間たる我[われ]、その人間とは、元来、自然が生み出したものなのだ。私たちの肉体は、自然と同じ素材で、自然と同じ生命の法則に従い、創り成されている。
 あの、人間[わたしたち]が熱烈に、あるいは密かに、憧れる「自然」と同質のものが、私たち1人1人の身体内にある。外は内(裡)なり。
 我は自然なり。自然は我なり。
 我が裡に自然あり。
 あなたが自然を愛する人ならば、自分の身体の中に自然を感じることはそれほど難しくないだろう。身体の内面に、自然が満ちていることを、単なる観念論でなく、生理的に実感することは、素晴らしくリフレッシュされる体験となる。
 私が言う自然とは、単なる物理的な自然ではなく、生命[いのち]ある自然だ。

◎少し前、妻と一緒に広島市内の繁華街を歩いていたら、私たちの前方を行く若者(男)3名の会話が唐突に耳に飛び込んできた。
「・・・洗顔の時、充分泡立ててますよね? 抹茶の石鹸がいいらしくて・・・云々。」
 いずれも10代半ば〜後半くらい。特に奇抜な格好をするでもなく、皆ひょろりと細長い。
 よっぽどつるつるの顔になっているんだろうと、少し歩みを速めて追い越しながら観察したら、何だ、皆ニキビだらけのあばたづらではないか。
 この話を知人(中年)にしたら、うーんとうなっていたが、若い男のメス化現象は少なくとも日本においては、もはや明らかではあるまいか。韓国や台湾、中国でも同様の現象が密やかに進行中の模様だ。女神(の原理)が到来しつつあることの証左の1つと、私はみている。
 最近、海外のリゾート地で若い韓国人や台湾人のグループツーリストを見かけることが本当に多くなったが、言葉以外、彼らは同世代の日本の若者とほとんど、あるいはまったく区別がつかない。誰かが誰かを真似しているのか、あるいは皆同じように変わっていきつつあるのか、誰に聴いてもわからない。

◎夜の虫たちが盛んに鳴き交わしている。
 情熱の夏は速やかに去りつつあり、秋の気配が、クロスフェードするみたいに、世界へとにじみこんできた。

<2012.09.09 草露白(くさのつゆしろし)>