巡礼3日目の早朝。
曇りがちの天気ではある。が、上空には雲の切れ目もたくさんあって、この分なら帰神撮影にまったく問題なさそうだ。この日1日、存分に撮りまくるチャンスが与えられる、との事前の直感は、やはり正しかった。
いずれにせよ、納得いく作品が撮れるまでは絶対に帰らぬ、とすでに固く決意しているのだから、まったく気楽なものだ。
と同時に、ちょっと気になることもあった。
カメラ機材一式を収めたリュックサックを背負い、宿で借りた自転車にまたがり、いざ巡礼へ、と勇躍、昨日案内してもらった道をたどり直し始めた・・・その途端、たちまち「気がかり」が「現実」となってしまった。
あれれ・・・???・・・昨日のあの「感動」が・・・・今日は全然・・・感じられない・・・・???
やはり、昨日「感じている」最中に、撮っておくべきだったのか?
昨日は、神が来訪する特別な日であったがゆえに、何か普段とは違う質を世界が帯びていたのか?
だが、しかし、直感は、「本日は撮る必要なし」と、繰り返し私に告げていたのではなかったか?
私は目の前にぶら下げられた大いなるチャンスを、みすみす棒に振ってしまったのか?
・・・迷い、途方に暮れつつも、「大丈夫。間違いなし」との揺るぎなき確信が、同時に感じられる。これもまた、奇妙な体験だった。
かつて五穀の種子を納めた壺が流れ着いたという、豊穰の聖地たるイシキ浜にまで足を伸ばしてみたが、やはり昨日ここで覚えたような特殊な感動はまったく感じられない。ただ、沖縄離島のどこでも見かけるような、ありきたりの光景が広がっているだけ・・・。
そうだ、まずは「あの場所」を探すことから始めよう、と思いつき、イシキ浜やピザ浜などの有名ポイントにはさまれてひっそりと点在する、地元の人しか訪れないような浜辺を一つ一つチェックしていった。
「そこ」は、すぐ見つかった。
1999年夏、例によって直感に導かれるがまま、妻の美佳を含む3人の巡礼同行者と共に、密教神道に伝わる秘密修法を海中で執り行ない、海の中で「神々の意識」をわが身に宿すという超絶体験に、魂の奥底まで震撼した、あの場所。
そこに私は、今、還ってきた。
あの時、生まれて初めて、故パブロ・アマリンゴ(元シャーマンのペルー人画家、教育者。1938〜2009)が描いたような植物の精霊らしきものが、アダンの葉に絡みつき、輝きながらうねっているのを、私は観た。
折しも、沖縄の旧盆にあたる特別な日であり、久高島でも何か重要な儀礼が執り行なわれるとかで、島の半分くらいが部外者立ち入り禁止になっていた。
死者と関わり深い日であったことと関係あるのかどうか、くだんの浜辺で行を修し、深めているうち、ふと気づいた時には、海版の百鬼夜行とでもいうべき、おぞましい異形[いぎょう]の魑魅魍魎[ちみもうりょう]どもが根深い恨みとあざけりと狂気の表情をたたえて絡み合う、そのまっただ中に、私たちは取り残されてしまっていたのである。
全身の神経を目茶苦茶にかき乱し、かく乱するような「意図」が、わっと一斉に襲いかかってきた。不安、後悔、憎しみ、恐怖、心配などのあらゆるネガティヴな感情が、何十倍何百倍にも拡大され、無限回のループとなって延々繰り返される無間地獄。
同行者たちはと見れば、すでに正常な意識を失い、亡者みたいになって、話しかけてもまともに返答することすらできなくなっている。
沖縄の離島では、「海で死んだ者は家に帰れない」とされ、水死者の遺体を自宅に入れず直ちに葬る習慣が、現在でも守られているそうだ。
バリ島では、悪霊は海に棲む、という。
これがその悪霊なのか・・・。海に恨みを残して死んだ者たちの、なれの果て・・・。
独力でこれを切り抜けてみせよ、と神々から試されているのだとわかった。
もし、これらの荒ぶるスピリットたちを鎮めることに失敗すれば、私たちの魂は海の悪霊に引きずり込まれ、取り込まれてしまう・・・それがリアルに感じられた途端、猛然たる勇気が腹中より滾々と沸き起こってきて、シュノーケル・セットをすばやく装着し、私は海に飛び込んでいた。
似たような魂の危機的状況[クライシス]を、陸上においてはすでに何度も味わい、そのたびにかろうじて切り抜けてきた経験が、私にはあった。
そうした体験を通じ、何とかしようとしてあれこれ抵抗するから葛藤が生じるのであって、もうどうにでもせよと完全に開き直り、明け渡し、すべてを委ねて任せきる・・・すなわち「負けて負けて負け切る」・・・ことにこそ、難局突破の鍵が秘められていることを、私は学んでいた。
海中ではそうした委ねは、重力から解放される分、むしろ容易であると直ちにわかった。
期せずして、シュノーケルを共鳴器としてハミングを発している自分に、私は気づいた。
するとどうだ、周囲がみるみる浄化されていくのが、ハッキリ体感としてわかるではないか。
波間にぷかりぷかりと浮かび漂いつつ、顔を水中にずっとつけたまま、自在なるハミングを響かせていく・・・・・と、先ほどまであたり一帯を覆っていた不浄の重苦しさ・暗さが、面白いくらいどんどん解放され、世界がクリアーになっていく。と同時に、心も体もどんどん壮快に、軽やかに、明るくなっていく。
が、ちょっと油断してハミングを怠ると、いつのまにか暗い影が忍び寄ってくる。まだまだ安心できるような状況ではない。
浜辺に戻り、相変わらず亡者みたいにぼう然と転がっている同行者どもを乱暴に叩き起こし、半ば強引にシュノーケル・セットをつけさせて海に放り込み、たった今「授かった(啓発的に自得した)」新しい修法を教えて早速実践させた。・・・すると、直ちに効果が発揮され、理性の光が各自の目に戻ってきた!
私の鬼軍曹ぶりが、今思い出しても笑える。
が、当時は笑っている余裕なんて微塵もありはしない。なりふりかまわず、ただ必死だった。
文字通りの命がけ。そういうあまたの試練を生き抜いてきたからこそ、今の龍宮の道があるのだ。
今回の久高島巡礼を、私ができるだけ先延ばしにしようとしたわけが、おわかりになったと思う。
あの時は、上述のような恐ろしい出来事ばかりでなく、海の中でいろんな新しい体験をした。
ある時は、視覚に異常が起きてまるで拡大鏡みたいになり、海藻の切れ端を手に取って注意を集中すると、小さな小さな微生物たちが列をなして昇ったり降りたり、一つのオーガニックな生態系を成している様がありありと観察できた。その微生物の形態さえ、注意の焦点をさらに変えることで、驚くほど精細に「観る」ことができるのだ。
またある時は、あらゆる作為を完全に手放して、ただひたすら波間に浮かび漂い続けることを継続するうち、いつしか私の目は「死者」のそれとなって、ただ海底の光景を非情に写し出すレンズとしてのみ機能していた。
これは、瞑想の奥義に直通する状態だ。
ふと手を観ると、表皮がほとんど透明になっている。錯覚かと何度も確認したが、間違いない。その、透明な膜となった表皮の下で小さな気泡が生じ、いくつかが集まって大きくなり、そして皮膚の外に押し出されていく、そうした皮膚呼吸のプロセスをじっくり観守るだけの単純なことが、無上の愉しみをもたらすという事実が、却って不思議だった。
指の毛細血管中を、血液が一連なりにでなく、点々と列をなして移動していく様も、異様なまでの鮮明さでハッキリ観えた。
次々と示現する新しい修法を同行者たちと分かち合いつつ、海中で自らの心身を調律すること数時間。
ついに龍宮の門が開かれ、これまで目にしていた海中世界と多層的に重なって内在する生命の根源領域が、私たちの前に開示された。
あらゆるものの内面から、蛍光色のような独自の輝きを発しつつ揺らぎ波打つ生命力の波紋が発せられていた。
想像を絶する美と神秘とエクスタシーが、そこにあった。
人知を遥かに超えた、大いなる意思のごときものを直感し、畏怖と畏敬の念に私は圧倒され続けていた。
このようにして、龍宮(生命の根源世界)と私たちとの絆が取り結ばれたのである。
・・・・・・・
現在にまで続く諸々の海の巡礼シリーズの嚆矢[こうし]となった、私たちにとっての聖地にほかならないこの場所にこそ、他の既存の「聖地」を圧倒する、強烈な神聖感が充ち満ちているではないか。
今回の巡礼/帰神撮影行も、ここから開始するのが最もふさわしい。
そこでカメラを横に置き、アダンの葉蔭に座して瞑想に入った。そして呼吸を制御し、超意識状態へと徐々にシフトしていくうち、唐突に「わけ」がわかって、私はいきなり現実世界へと引き戻された。
なるほど、昨日私が感じたのは、原初の沖縄びとが上陸した聖地・久高島に生を受け、そこで育ったガイド氏が、無意識のレベルで感じていた「記念の場所」に対する感動であり、畏怖であり、感激にほかならなかったのだ。
つまり、私はガイド氏と共振して、彼の感動を共有していた。
ガイド氏自身は何も感じないというのもよくわかる。なぜなら、彼は「それそのもの」だからだ。
しかし、私は自分自身の感動を写し撮り、人々と分かち合いたい。
そこで改めて、意識を超越的状態(右と左、善と悪、陰と陽、天と地、生と死、光と闇・・・これら諸々の二元性を統合止揚した絶対意識)へとチューニングし直し、巡礼としての帰神撮影を開始した。
そうした、祈りと同質の営みを通じて得られた作品群を、スライドショー形式で以下にお目にかける。
上述の「はじまりの場所」からスタートして、東海岸沿いの神が通る道を北上。吹き溢れる生命の力のダンスを踊る草木など、びりびりっと打ってくるものを感じるたびごとに、心身を研ぎ澄ませて帰神撮影していった。
最後の2舞は、イシキ浜。
それにしても、わずか5キロの距離をはさんだ沖縄本島とは打って変わって、久高島の植物たちのこの元気さ、盛大さ、旺盛さはどうだ。
真っ暗な部屋で、PC画面の輝度(明るさ)を中間に設定した状態で「観る」ことを前提として創ってある。
見る、ではなく、観るための具体的方法も、本ウェブサイト内で様々に既述してきた(注)。それによって開かれる新しいみかた、みえかたを、観の目という。
最初はちょっと戸惑うかもしれないが、いったんコツをつかめば、目に映る世界や事物が驚くべき立体感や空間性、そして鮮やかな色彩を備えて迫ってくるようになる。芸術家や武術家、あるいはヒーラーと呼ばれる人たちは、生来の才能ゆえに、または長年の修業を通じ、自然にこの「目付け」法を体得・実践している。
観の目は、帰神フォトを「観照」するためのみならず、生きてゆくことそのものを彩り豊かにしていきたいと願う人々にとっては欠くことができない、人生のコツといえよう。
細かい部分をじっと見つめるのでなく、視界を柔らかに大きく開き、画面全体が自然に目に映っているようにする。そして、できるだけまばたきしない。
その状態を保ちつつ、かしわ手を適宜打ち鳴らせば、そのたびごとに、視界がくっきり、はっきり立体的になるのがわかるだろう。
初学者は、まずこのあたりから始めるとよい。
なお、ヒーリング・フォトグラフのギャラリーからも、今回の久高島巡礼の成果である一連のスライドショーにアクセスできるようにした。ギャラリーではスライドショーにカタログとライナーノーツを付し、各フォトの説明などを添えた。
<2013.04.21 葭始生[あしはじめてしょうず]>
注:観の目については、以下のリンク先を参照のこと。
ヒーリング・フォトグラフ アーティクル