前回取り上げた神明掌は、心身の内的流動・循環を促進する手法だ。触れ合いを通じて、生命[いのち]の力が活発となる。その結果、いろいろな動きが、期せずして顕[あら]われてくる。
心身が、感じて・動く。感動は、感応でもある。感じて、(内発的に)応じ動く。本能や反射も、感応運動(感・動)の一種だ。
自発性、自律性、意外性、滑らかさ、柔らかさ、流体感、活力感・・・が、この自働運動の特徴だ。具体的な動きは人により、同じ人でも時と処により、違う。しかし、それら様々な動きの最深部を、ある共通性が伏流として貫いている。
委ねている。自分でわずかにでも動かそうとしない。とはいえ、「動き」全般を無意識のうちに抑えつけてしまってはダメだ。
動いている最中、外へ外へと意識が広がらない。逆に、主体たる我は止まっている。まったく動いていない感じがする。
これを、動中の静という。
こういう不動の心において、身体の裡より自ずから湧き溢れる動きに乗っていくことを、<ヒーリング・ムーヴメント>と私は仮に名づけて呼んでいる。我が国では、かつて霊動と呼ばれていたものが、これにあたる。
ヒトとは、「霊(ひ)が止(とど)まったものである」という説があるそうだ。が、生命力たる霊が止まるとは、つまり死ぬことじゃなかろうか? 少なくとも私自身のナマの体感において、霊とは活発に流れ、振るえるものであり、その内なる流動感や振動感がより細かく、活発であるほど、私は「生きている」歓びを鮮烈に感じる。
神明掌を媒介として顕われてくる自発調律の動きこそ、霊動の芽生えだ。これを「生命力の発現」と、まずは「観る」ことから始めるといい。
自然なヒーリング・ムーヴメントの現われを、「変な風に動き出してしまう」とか、「技をかけられ倒された」、「崩された」などと誤認する。と、当然無意識下で抵抗や反抗の念が生じ固まるから、それが阻害凝滞(ブロック)を生じ、自発調律運動(Spontaneous Tunig Movement:略してSTM)の充分な発動を妨げる。こうなると、生命力活性化の気持ち良さ(タイ語でサバーイ)を存分に味わうことができなくなる。
「動くのは変だ」、「恥ずかしい」、あるいは「きれいに、カッコよく動かねば」、「この動きをよく体得していつでも再現できるようにならねば」・・・・そういうあらゆる「とらわれ」を、感じるたびごとに、1つ1つ強調しては手放していくといい。
流れを引き取り、自分で動きをコントロールしようとしないこと。動きが出かかってきたところで、それを強引に引っこ抜こうともしないこと。
この、自己調律ムーヴメントは、どこからやって来るのか? 錐体外路、潜在意識、無意識、本能、細胞から発するエネルギー・・・・いろいろな人がいろいろな説を唱えている。私なら、「各自の本来の姿」と言う。
私たち1人1人にとっての最も正しい姿勢。全身のすみずみに到るまで、高度な調和が保たれている状態。
健康のハーモニーが、エクスタティックに湧き溢れこぼれる。嬉しさ、楽しさが、身の裡を駆け巡る。
そうした私たち本来の自然な姿へと、心身は常に回帰しようとしている。そういう衝動を、私たちは普段、押し隠し、抑圧している。他人から奇異の目で見られることを避けるため、社会の中にとどまり続けるために。
そうした抑圧を意識的に一時解除するコツがわかれば、自己調整機能を目覚めさせ、自分自身の身体を自ら調律していくことが可能となる。
岡本太郎曰く、「人の目を気にしない。自分の目を気にしない」。これはSTM発現の重要な要訣といえる。
自分が動かす、自分で動く、自分で揺さぶる、自分で振る、あちらに行く、こちらに来る、・・・・そういう計らいをすべて捨て去り(オフにし)、流されていくが如く、呑み込まれるが如く、裡へと納まるが如く、オフへの委ね感覚/意識をキープする。これを「レット・オフ」という。
惰性で、ダラダラ無意識的に動いてはダメだ。そんなもの、私の経験では、面白くもおかしくも何ともない。
本物のSTMは、レット・オフによって引き出され、レット・オフにより導かれていく。すなわち、STMとはレット・オフ運動だ。
レット・オフは、パチッと一瞬切り替えてそれで終わるようなものではない。その、オフの最初の機(きざし)にサッと注意を切り替え、波に乗って「納まる」ようにオフの世界へと入っていく。オフにずっと委ね続ける。
単なる一過性のoffでなく、Let off・・・・あれこれ構わないで放っておく。余計な作為を手放し、自らを解[ほど]き、放つ。
動きながらレット・オフすれば、同じ動きが、ただ大きく(小さく)なったり、柔らかくなったり、速く(あるいはゆっくりに)なったりするものと、勝手に決めつけて自己流で行なう人が多い。そんなもので何か効果が感じられたとしたら、それは自己暗示による幻想以外の何ものでもない。
動きのパターンそのものが、根本的・本質的に変容されていく。それが、レット・オフに伴い自ずから顕われる動きの本質だ。
決して、従来のパターンを元に動いてはいけない。それを単に組み替えてもいけない。
まったく新しく起こってくる動き、これまでやったことのない動きに、委ね続ける。そして、慣れるに従い、レット・オフにレット・オフを多層的に重ね、ネットワーキングしていく。
ちょっと手を振るだけでも、いくつもの別系統の運動指令[コマンド]が複雑に統合され、「手を振る」という動作となって表われている。それらの指令系が、互いに複雑に影響し合いながらオフになっていくプロセス・・・それがレット・オフによる本物のSTMだ。聖なるマナ・ダンス。
くれぐれも、こうした現象を、外なる誰か(人だけでなく、神や精霊なども含む)に何かされた、などと誤解しないこと。
これ(ヒーリング・ムーヴメント)は、生命の泉を掘り起こす方法だ。自分自身とヒーリング・タッチしてSTMを召還することもできるし、他者と触れ合って相手の身体にSTMで働きかけていくこともできる。大勢で武術的に取り囲まれた状態でのSTMなんていうのも面白い。
STMは、それぞれの状況に応じて自発・自律的に発出してくる。これを普段からよく錬っておくと、何も考えてない状態で、パッと体が動くようになる。速いとか遅いといった二元対立を越えた速度が身につく。
ヒーリング・アーツの先達と触れ合う時には、しばしばSTMの発現が起こる。受け手の(心身両面における)準備が整っているほど、よりディープなヒーリング・エクスプロージョン(創造的爆発)が炸裂する。
繰り返すが、「何かされた」とか「何か(エネルギーのようなもの)が流れ込んできた」などと、この現象を早まって誤解してはいけない。触れ合いは、ただ触媒の役割を果たすだけだ。
実際には、それ(感じて・動くこと)は、常にあなた自身の内面奥深いところ(そこがあなたの生命の源泉だ)から湧出してくる。あなたの生命力そのものが、舞を通じてそれ自身を表現しようとしている。
だから、喜んで穏やかに迎え入れ、「我(自意識)」を粒子的に開放し、その隙間に「動き」が染み渡っていくのを楽しむことだ。
それを<あなたの生命[いのち]>そのものの顕われと観じ、受け容れて、歓びの舞の器となり切ることだ。
それを歓迎し、扉を大きく開け放って迎え入れ、自分の中身があちこち引っ繰り返り、再配列されていくのを見守る。
あなたがこれまで体を使ってきたやり方とは、随分違ったやり方、按配で、身体が自然に動いていくだろう。
掌芯(掌中央のくぼみ)が、手の中心となるよう身体認知を調整し直す・・・だけで、その手を体にそっと柔らかく密着させれば、手はそれ自身の意思を持つかのように自動的に動き出し、全身あちこちを、揉んだり、叩いたり、さすったりなど、思いもかけぬ動作を演じ始める。
「たなごころ(掌)」とは、まさにこのことだと思う。掌(掌芯)には、独自の心が宿る。頭が知らないことを<たなごころ>は理会し、頭にはできないことを<たなごころ>は行なう。
STMのただ中にて、時折、掌芯を軽く凝集し、レット・オフする・・・と、全身の「働き」がますます盛んになる。
こういう手を他者の体に充[あ]てれば、相手の不調和な箇所を手自身が探り出し、丹念に調律していく動きが自然に起こってくる。そのあまりの正確さに驚かされることも多い。
そういう時、術者は、あたかも誰かが自分の手をとり、確固たる意志に基づき導いていくかの如き感覚を覚えるものだ。しかし、それは実際には、私たちの裡なる現象なのだ。外在的な力によるものじゃない。
STMにおいては、新陳代謝と同じことが身体運動を通じて起こっている。新陳代謝とは、古いものが破壊され、新しいものにとって替わられることだ。死と再生。
旧来の古い身体運用法が、神経的にオフになり、それによって生じる反転波により、体が新しいやり方で動かされていく。
オフになった際に起こる動きは、従来の動きを、本質的には同じままで、よりゆっくりにしたり、速くしたり、大きくしたりすることとは違う。まったく違う。
ある動きのさ中に、どこかにオフを起こす・・・と、その動きを構成するファクターそのものが、内的に変容され始める。これまであったものが消え、これまでになかった要素が顕われてくる。
これはまさに、動きの新陳代謝だ。新陳代謝が、目に見えるほど大きく拡大されたものだ。新陳代謝運動というものを、これまで皆さんは耳にされたことがおありだろうか? ・・・これが、「それ」だ。
だから、STMが発動してきたなら、それを新陳代謝の働きとも見なし、さらに積極的にどんどん受け容れていくといい。すると、全身の新陳代謝が活発化してくるのが、直ちに感じられるはずだ。ふつふつ沸き上がってくる、そんな感じがする。
このように、ヒーリング・ムーヴメントには心身調律法、生命力強化法としての、素晴らしい可能性が秘められている。ヒーリング・アーツ独自のSTM誘発法が現在も次々と示現しつつあり、今ヒーリング・ネットワークの同志たちが盛んに実験して、大いなる効果を驚き楽しんでいるところだ。
これから充分な試験・検証を経た上で、門外の方々とも少しずつ分かち合っていきたいと考えている。
<2010.04.23>