◎文化人類学者のルース・ベネディクト(1887~1948)は、日米戦のさ中、合衆国政府より依頼され、日本人とはそもそもいかなる民族であり、どのような価値観や規範に基づいて行動し、それが現行の国家体制といかなる関わりを持っているか、などについて詳細に分析した。
その成果は、終戦の翌年『The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture(菊と刀:日本文化のパターン)』として出版されたが、アメリカ初の日本文化論であり、現代の私たちが読んでも「へえ、なるほど」と感心するようなことが一杯書かれている。
例えば、謝罪のために今でもしばしば用いられる「すみません」とは、どんな由来を持つ言葉であったか? 「すいません」ではなく「すみません」が正しいのはなぜか? あなたは明快に説明することができるだろうか?
「あなたに対する大きな借り、負い目ができてしまいました。このままでは済みません(終わらせることはできません)」→「すみません」、だ。
驚くべきは、ベネディクト女史が一度も日本の地を踏むことなく、もっぱら文献の熟読と米国に移住した日系人たちへの聴き取り調査のみに基づき、『菊と刀』を完成させたという事実だ。
当時わが国では、英語を「敵性言語」と呼んで蔑視し、にも関わらずアメリカ発祥の野球はどうしてもやめられなかったとみえ、ストライクとかアウトなどの野球用語を全部日本語に無理やり置き換えたとのことだが、日本人がそんな子供じみたことにうつつを抜かしている間に、アメリカでは我々の民族性までが科学的に細かく分析されていたわけだから、それはやっぱり「負けて当然」と思う。
天皇家の紋章である菊と、武士道のシンボルたる刀。これらを、日本という民族と国家を端的に表わす象徴とみなしたベネディクト女史は、西洋文明が旧約聖書的な「罪(原罪)」の意識に基盤を置いているのと異なり、「恥」の意識が日本人の行動原理となっていることを見出した。素晴らしい洞察力だ。
日本人が自分自身を知る上で、『菊と刀』は極めて有益な、価値ある書物といえる。
◎原爆の悲惨さを伝える様々な資料が、広島の平和祈念館には保存されているのだが、1994年、アメリカを代表する博物館であるスミソニアン・インスティテュートでそれらを大規模に展示する企画が日米両国の間で持ち上がったことがある。
その際、合衆国政府に多大な影響力を持つ在郷軍人会が強硬に大反対し、「原爆展」はついに実現しなかったのだが、「原爆投下は必要であり、それによって多数のアメリカ軍兵士の尊い命が犠牲にならずにすんだのだから、大いに意義あることだった」、というのが彼らの主張なのだ。「その悲惨な側面だけをことさらに強調しようとすることにはまったく意味がない」、と。
合衆国が核攻撃を受けて初めて、かの地の人々は、「これは人が人に対して決して使ってはならぬ力なのだ」と深く認識し、悔悟の涙を流せるようになるのだろう。
◎暗黒裁判のさ中、「司法に携わろうとする者(裁判官、検察官、弁護士)は、司法修習生としての訓練期間中、檻の中の生活を実際に体験することが必要である」と提言したことがある。
私が直接関わった弁護士たちや、法廷で向き合った裁判官・検察官を観察して、家畜のように狭い檻の中に長期間ぶち込まれて非人間的な扱いを受けるということについて、真にリアリティをもって共感できそうな者は皆無とわかったからだ。自分とは関わりのない、まったくの他人事と考えている。
有罪を宣告されて刑務所へ送られた者の大半は、人生が滅茶苦茶に破壊され、家族・親類・友人たちからも見離され、立ち直ることができないまま悲惨な最期を迎える。真面目に働こうと思っても、前科者の烙印がどこまでもつきまとい、まともな会社にまともな条件で就職することはできない。私より早く出所した囚人仲間で、つまらない犯罪を再び犯し今現在刑務所に入っている者がどれだけ多いことか。
ひどく独善的で、市民の気持ちに寄り添ってないことについては、警察官もまったく同様。私を取り調べた刑事らは、「上(上司や検察官)の命令でこんな意に染まないこと(証拠の面でも被疑者の人間性という面でも明らかに冤罪とわかっていながら、有罪をでっち上げること)をやっているが、しかし、刑務所に何年か入ったところで、ただそれだけのことなんだから、何の問題もないじゃないか。出所したらまた新しく人生を始めればいい」などと気軽・気楽な口調で話していた。
上述の私の提言について、面白いが現実味のない空想話と、当時は受け取った人が多かったようだ。が、最近になって興味深い話を聴いた。
今現在はどういうことになっているかわからないのだが、少なくとも少し前までのフランスでは、司法試験に合格すると刑務所に入り、刑務所の実情を知ることが裁判官になる必要条件であったそうだ。
◎まだ皮がいくぶん硬かったので、少し早いかとも思ったが、数日前に宮崎県から届いて龍宮館リビングで追熟させていたパパイヤを切ってみることにした。オレンジイエローに染まった皮に包丁を当てると、刃はほとんど抵抗感なく果肉の中へ呑み込まれてゆき、甘くあでやかなのにどこか鄙びた風のある、独特の匂いがツンと漏れ出てきた。
熟れた熱帯のエロス。中にぎっしり詰まった種子を土に植えれば、たぶん発芽するだろう。
◎沖縄からはパッションフルーツがいっぱい届いた。
室温で追熟させ、皮にしわが寄ってきたら食べ頃である。未熟な実ではただ酸っぱさだけが突出しているが、熟すと甘みが出てきて酸味をまろやかに包み込み、香りは一段と増して「馥郁たる」という言葉がぴったりだ。
◎タイ産マンゴーのナンドクマイ種。ナンドクマイとはタイ語で「花の蜜」といった意味らしいが、ミルキーとすら言える濃厚な甘みと華やいだ香りの調和は、口中にぱあっと花々が咲き乱れるかのごとしだ。確かに、今年はマンゴーの当たり年のようである。
◎イラブー(海蛇の薫製)を豚足や昆布と一緒に長時間煮込んだシンジ(煎じ汁)で、もち米を炊き込んだイラブー飯。沖縄の聖地・久高島でハレの日に供されるめでたい料理だ。写真奥は、イラブー汁(豚足と冬瓜入り)。
<2023.05.27 紅花栄(べにばなさかう)>