Healing Discourse

ヒーリング随感4 第22回 怒濤の龍宮拳(後編)

◎前回に続き、第5回伝授会の模様を(2日目)。

 ヒーリング楽曲は『シャーク・ブレード』。

 あらかじめ打ち合わせも練修もまったくやってないため、あんな風に変な終わり方をすることも、時にはある。初心者同士が手探りで不器用にやっていることとて、ご寛恕のほどを。
 最新曲『シャーク・ブレード』の完成により、パラオ巡礼を契機として創作された妻の一連のシリーズ(『レインボーズ・エンド』『カニのワルツ』『ア・キム』『シャーク・ブレード』)がめでたく完結の運びとなった。慶賀すべき次第である。
 これらは元来、神明とりわけ女神への捧げ物として(私は神経的神話感覚について述べている。外在する人格神ではなく)、創作奉納されたものであり、CD形式で一般発表する予定は今のところないそうだ。CDという録音再生様式が、作品の質そのものをかなり落とす媒体であることも、CD化を見送る大きな理由の1つだ。
 私たちは感性の3D粒子化について唱えている。その粒子の細やかさ(感性のいわば画素数)に対しては、最大限こだわらざるを得ない。
 旧私塾(日本人のPTSDをいやすマナを祈り招くという当初のプロジェクト目標を達成し、現在は解散)メンバーに対しては、プライベートにDVD音質で電子配信した。そういう、「幸福なる少数者のため」の超贅沢な音楽の在り方というのもあっていいと思う。
 ヒーリング楽曲によって触発され、新たな術[わざ]が次々と生み出されていく様を、皆さんに今こうしてご覧いただいているわけだが、これは武術的な舞であると同時に、まったく新しい未来的な武術の伝授でもある。
 しかも、これはPTSDに非常に効きそうだ。
 取っ組み合っているうちに、身も心もどんどん「流れる」ようになる。活き活きとしてくる。限りなくしなやかに、したたかに。

◎龍宮拳を(習い)始めて約1年。上記ムービー5に至ってようやく、相手から攻撃された瞬間、タイムラグなしで自然に応答できるようになってきた。
 何も考えない。攻撃を予想して身構えることもない。
 もちろん、初級レベルの限定された稽古中のことに過ぎない。が、月1回程度のゆったりペースでのんびりやってきたことを思えば、「まずまず」といったところか。
 今後どうするか、・・・・このまま続けるのか、やめてしまうか、人に教えるか(習いたいという物好きがいるとして)、沈黙を守るか、など・・・まったく何も考えてない。

◎片付けしていたら、奥の方からまた面白いものが出てきた。
『メディスン・ノート』(以前はマナをメディスンと呼んでいた)と題する私のスケッチ・ブックだ。最後のページまで略図とフォーミュラがびっしり書き込まれているが、どうやら私以外、誰も内容を理会できないらしい。みせても、皆、首をひねるばかりだ。
 ところが、そこに記された1行1行に、心身の変容を引き起こす驚くべきインナー・テクノロジーの叡知が秘め隠されている。
 最初は1年〜数年に1度、程度の頻度だったろうか。私がマナの顕現と呼ぶ現象のことだ。それがやがて数ヶ月に1度、それから毎週、くらいになった後は、目まぐるしいといっていいほどの大変化が、私自身の内面にも、外面にも、生じ(流れ)始めた。数日おき、毎日・・・・となるまで、それほど時間はかからなかった。1日に10手以上の新しいマナが「顕[あら]われる」こともある。
 私はいつしか、修養上の気づきや洞察[インサイト]を簡略にエッセンス(フォーミュラ)化し、備忘録として書き綴るようになった。それが『メディスン・ノート』だ。
 このディスコース・シリーズ中で、これまでどれくらいのマナを修法としてご紹介したか知らないが、せいぜい数百手といったところか。
 十数冊の『メディスン・ノート』に記された修法を、以前ふとした好奇心から丁寧にカウントしていったことがあるのだが、1万手を遥かに越えることがわかった時点で、それ以上先へ進むことを断念した。
 もう何年も前のことであり、それ以降もマナの顕現は私の身体を通じ、様式[モード]を換えながら、今現在もずっと衰えることなく続いている。
 1冊の『メディスン・ノート』を手に取り、何気なく開いたら、そこにヒーリング・タッチのシリーズが初めて開幕した日の「学び」について、概要が記されていた。
 平成16年(2004)1月14日。この日、天行院で妻と2人、当時日々の慣例となっていた夜間稽古に励んでいた際、突如として、「ゆっくり、やわらかく、形を感じていく」ことが啓発されたのだ。
 啓発、などと大げさ・誇張と取られかねないような言葉を敢えて使うのは、そんな風に柔らかく、ゆっくり、(身体の)形に対しアプローチしていくという発想それ自体が、それ以前の私には少なくとも自覚する限りまったくなかったからだ。
 その時は、仰向けに寝た妻のももの前面に対し、両手で働きかけていたのだが、筋繊維の束が集まって筋肉の構造を形作る解剖図的イメージが脳裏に浮かんだ瞬間、その解剖的構造に完全に則って筋肉を凝集、拡散させることで、筋肉そのものの内部に波を起こすことができると「わかった」のだ。同時に、未知の術[わざ]が、わが両手を通じ、自ずから湧きあふれてきた。
 触れ合っているももの筋肉が、みるみる水のように柔らかくなっていって、ももの中身がたぷんたぷんと実際に波打っているのが、柔らかな手を通じハッキリ感じ取れる。
 オオ、禊だ、禊。『古事記』にあるイザナギノミコトによる禊ヒーリング効果を、外側の海に浸かることなく、身体内に封じ込められた海を活性化することで引き起こす、21世紀式の新しい禊法。
「揉」という漢字は、手偏に柔らかと書くことも同時に思い起こされた。揉むとは元来、文字通り、柔らかな手で柔らかく働きかけることだったのかもしれない。
 単行本『奇跡の手〜』(ビオマガジン刊)にてご紹介した禊マッサージは、この時の体験が元となって編まれた入門者向けの、わかりやすいヒーリング・タッチ練修法だ。
 これに引き続き、怒濤のように(改めて思えば、いつも怒濤のごとしだ)ヒーリング・タッチの様々な要訣が私の元に押し寄せてきた。そしてヒーリング・タッチに続き、様々な新しい道が、互いにインターフェースし合いながら、次々とその姿を現わし始めた。
 ヒーリング・アーツ創世。
 私が初めて禊マッサージを「授かった」(このように書くのが最も適当と、今の私には感じられる)この日、平成16年1月14日は、ヒーリング・タッチ、そしてヒーリング・アーツ開創の記念日といっていいかもしれない。

<2012.07.02 半夏生(はんげしょうず)>

※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回第6回第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4