Healing Discourse

レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011 第2回 くらげの小宇宙

※[ ]内はルビ。

 小島が迷宮を織りなす場所[ところ]が、パラオにはある。
 ロックアイランド。
 それらの島々の1つに、無数のクラゲが舞い漂う神秘の湖がある。
 熱帯の木々に囲まれたその不思議な湖のど真ん中で、ヒーリング撮影を執り行なってきた。
 写真を撮ることに、なぜわざわざ「ヒーリング」とか「執り行なう」という言葉を使うかといえば、私たちが「執り行な」っているのは、単に機械的に撮影することとはまったく違うからだ。

 ファインダーを通して対象をみる。その際も、武術の高度な心身統一原理を応用し、全身全霊で観[み]ている。
 シャッターを「斬る」時には、武術の気合と同じ気迫・態勢をもってする。    
 私が構えるカメラと実際に触れあってみれば、そこにある種の存在感のようなものが宿って繊細に脈打っているのが、ハッキリわかるだろう。
 これをマナという。形に宿る生命力のことだ。

 マナは実在するし、触覚を通じ生理的・心理的同時に感じることもできる。
 つい先日、広島にヒーリング・アーツ同好の士が集った際のことだが、カメラにマナを祈り・招き・込める術[わざ]を示演してみせた。
 私が手にしたカメラの、どこでもいいから指先でちょこっと触れ合っておく。
 その時点では、ただのモノ、命の通わぬ無機物だ。
 そこから、私がマナを込める。・・・と、とたんにカメラが活き活き息づき始める! 
「気のせい」のレベルをはるかに越えた、リアルな体感・体験。
 いとしい人やペットと抱き合った際などにしばしば感じられる、生命の触感とでも呼ぶべき感触を、どうか思い起こして欲しい。
 それが、マナだ。

 カメラにいのちが宿る!・・・?
 誰もが皆、感嘆の声を漏らし、大きくのけ反ったり、全身が波打ったりしていた。マナと触れ合うと、こういう波紋反応が起こることがよくある。
 生命それ自体が歓び、踊っているのだ。これは、心身の健康のため、非常に良いものだ。
 そういう風にイノチを込めたカメラで撮るのが、帰神[きしん]撮影だ。
 ある人は、「弓道には一射絶命という言葉があったと思いますが、こちらはまさに一写絶命ともいうべき全てを賭けた神聖な狩りに臨む状態なのだと全身に感じ取れ、驚嘆いたしました」との感想を、帰宅後直ちに寄せてくれた。 

 ・・・・・・・・・

 クラゲ湖に、話を戻す。
 青緑色に濁った湖の中央部。無数のクラゲたちが、大きいのも小さいのも、指先くらいの赤ちゃんクラゲに至るまで、 光合成のため光を求め、水面下2〜3メートルほどの明るい帯域に、一斉に集まってきていた。
 まるで超次元ダンスを踊るかのように、 ふわふわ・ひらひら・ゆらゆら、やっている。
 それぞれ勝手に動いているかのようだが、観の目で観れば、個体間の位置関係に様々なパターンを読み取ることができる。つまり、クラゲたちは群れをなしている。

 パラオ人ガイドに導かれ、そのただ中をゆったりとシュノーケリング。と同時に、ヒーリング・アーツ流でどしどし帰神撮影していった。
 クラゲ(無毒)とヒーリング・タッチでトータルに触れ合い、共振・共感することなどを、合間合間に差し挟むことも忘れない。
 時折、水面に顔を出し、妻の姿を確認する。
 コンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)にて、夢中になって帰神撮影中のご様子だ。

 面白いことに、2ヶ月前のエルニド巡礼で水中写真を撮り始めてから、彼女のシュノーケリング・スキルが一気に熟達し始めた。
 まずは、妻のコンデジ作品を、スライドショーにてお目にかけよう。
 クラゲ湖へと、時空跳躍[ワープ]せよ。

 ちっぽけ・軽量・簡便なコンデジでこれだけの作品が撮れることに、まず驚かされる。コンデジもあなどれない。使う者次第で、一眼レフ顔負けの凄い芸術作品づくりが可能だ。
 言うまでもなく、コンデジを使う際も、その形の裡にマナを込めつつ、ヒーリング・アーツ式で撮影する。

 脳の思考機能を待機的白紙状態に置き、いわゆる無念無想の境地へと溶け込んでいきながら、身体が自然に写真撮影していくのに任せる。
 これが、帰神撮影だ。一名、ヒーリング撮影。
 帰神とは、古神道の帰神法に由来し、カミ(キリスト教のゴッドとはまったく異質なもの)を呼び降ろす儀礼を意味する。
 写真という形で、神(超越的なるもの)のフルカラーの影を、物質世界に刻印しようとする試み・祈り・儀礼、それが帰神撮影だ。世界の、真美を写し撮らんとぶつかっていくこと。
 それにより神明との感応が起こり、結晶的に自然発生してくる作品たちを、帰神フォトとかヒーリング・フォトグラフと私たちは呼んでいる。

 クラゲの動きを観の目で観る・・・と、それが2元的ではなく3元的に成り立っていることがよくわかる。
 (カサを)開いて閉じる、ではなく、その中間に基本体勢を置き、閉じる(凝集)と開く(拡散)の間を、力が波動的に行ったり来たりする。
 マイナス1(蓄)からプラス1(発)へ、ではなく、0からマイナス1、マイナス1から0、0からプラス1、と波動的に動きを繰り返す。これを「3の原理」と、私たちは仮に呼んでいる。
 クラゲたちは、そうやって波紋を生み出し、水中を移動している。
 
 クラゲ式に力を扱う(入れ抜きする)ためには、力を「入れ切った」ところと「抜き切った」ところの中間点に、自らの基本姿勢を置く。そこから力を抜くことと、入れることとを、鏡像関係的に対置する。3の原理と呼ぶゆえんだ。
 このような3の原理(中心と対極の在り方)に基づき身体を働かせるなら、今の半分以下の努力で、さらに鋭く強い力を生むことが、直ちに可能となる。
 オフにオフを重ね続けることで流れるように生きていく、東洋的な理想の境地、いわゆる無為自然の道が、自ずから体現されるようになる。
 ヒーリング・アーツは新たな時代を統[す]べる女神の原理のさきがけだが、それはオフの方面から入っていって、オンもオフも超越し、オンとオフを生み出す源泉となる統合止揚的な働きへと至る<道>を指し示す。
 オン(すること、力を入れること)方面に価値が偏重した男性原理主義的な現代社会にあって、バランスを取るという意味合いにおいて、私は「オフの道」を説いている。

 リラックスし切った状態を基本体勢と誤解する人が、私の経験によれば、探究者たちの中には少なくないようだ。基本でリラックスしすぎたら、おかに打ち上げられたクラゲみたいにまったく無力となってしまう。
 剛と柔の真ん中(中道)に、武術の秘伝も秘め隠されている。

 それでは最後に、私自身の作品をスライドショーにてお目にかける。
 妻と私と、それぞれまったく異なる視点・視野であることに、ご注目いただきたい。
 波紋の法を無言のまま雄弁に物語り舞う、あまたのクラゲたちの、空間性を捉えることをカメラの性能に託し、撮って撮って撮りまくった。
 そしてこのような果実[さくひん]を得た。
「3の原理」を使って、前後に少し体を揺らし(ロッキング)ながら「観る」ことも、是非お試しあれ。
 やや速く、あるいはとてもゆっくりと。1体1体のクラゲが、大きくなったり小さくなったり・・・それをしっかり味わったなら、前後の中間で静止して「観」続ける。
 すると、「空間性」が一気に深まる。

<2011.07.26 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)>

※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回第6回第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4