Healing Discourse

レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011 第3回 女神のヴァジャイナ Goddess’s Vagina

 来る日も来る日も、チャーターしたクルーザーで、ロックアイランド中を豪快・爽快に駆け巡った。
 船上より帰神撮影したロックアイランドの様々な表情を、スライドショーにてご紹介する。
 これら諸々の帰神フォト作品は、単なる文章のツマ、添え物として「添付」しているのではない。文と写真は、完全に対等な関係だ。

 虹の彼方[レインボーズ・エンド]の夢の国。
 この時期のパラオとしては珍しく、私たちの滞在中、ずっと素晴らしい好天に恵まれ続けた。私たちが来る直前まで、どしゃ降りの荒れ模様だったそうだ。
 波がすっかりおさまり返り、べた凪の海が鏡のように天界を映し出す、そんな奇跡のような光景とも、幾度も出会った。スライドショーにて、皆さんと感・動を分かち合った通りに。
 不思議な宇宙に丸い島々がぽっかり浮かんで八重に連なる、南海の幻想。

 ・・・・・・・・・・・・

 パラオの創世神話にいわく。
 天なる始祖が海におろした大いなるシャコガイ、ア・キムより女神が産まれた。
 この女神が独り身にて孕[はら]み、ア・キムの外套膜を借りて人類の祖神[おやがみ]を産んだ・・・と。(参考『土方久功[ひじかた ひさかつ]著作集』)
 
 シャコガイの外套膜(外側からみえるひらひらした肉厚の部分)と、女性の性器との共通性に着目する人々と、私たちはパラオで初めて出会った。
 妻も私も、これまでずっとそう感じてきたし、本ウェブサイトでもしばしばそのように述べ記してきた。妻のヒーリング楽曲『ベニティエ』は、海の女神の象徴[シンボル]としてのシャコガイを讃える霊妙不可思議な傑作だ(ベニティエはフランス語でシャコガイの意)。
 私たちと感性を同じうする人々が、ここパラオにはいる。パラオの人たちは自らを、シャコガイから産まれた者の子孫とさえ考えている。
 シャコガイが女性器に似ているのでなく、女性器がシャコガイに似ていると感じる神話的連想。
 これは、ヒーリング・フォトグラフに直通する感性[センス]だ。
 
 私は、すでにご存知の方も多いと思うが、シャコガイの讃美者だ(私がいう「美」には、美味しいという意味も含まれている)。
 私が水中帰神写真を撮り始めた主な理由のひとつは、シャコガイだった。
 あれらの美しさ、艶[つや]やかさ、華麗さ、あるいは地味さ、妖しさ・・・・などを芸術的に表現し、伝え・分かち合う道はないものかと、長の年月、想を練り続けてきた。
 それが、帰神撮影法により本当にできるようになった! 
 私たちにとり帰神撮影とは、厳[おごそ]かで敬けんな祈りの行為にほかならない。特定の宗教・宗派とは無関係の、祈りの本質とかかわるもの。
 光と影を通じ、万物の裡にある聖なる輝きを、敬いと歓びに満ちて表現しようとする試み。
 それは、ハードな面も多々あるが、とても「楽しい」。そして、楽しいと、ハードなことも楽になる。これは、事実だ。

 すぐ船酔いし、1年前まではカメラを最も苦手としていた妻が、このたびの巡礼では、日々ボートでパラオの海を縦横無尽に巡り、私と共に海の上でも中でも帰神撮影を執り行なった。楽しくて仕方ない、そうだ。
 どうやら、楽しいと船酔いしないものらしい。酔って気分が悪くなりかけても、カメラを手にして撮り始めると、たちまち気持ちが良くなるというから不思議だ。

(クリックすると拡大・以下同) パラオの海中にて帰神撮影中の妻。つい最近まで全然潜れなかったが、海中帰神撮影を始めたら、あっという間に熟達した。人間の根源的な「狩」の本能が目覚めるのだと思う。狩る対象が写真でも、狩猟本能は充分満足させられる。これはかなりのヒーリング効果(満足感)がある。

 パラオでは、毎日毎日、たくさんのシャコガイたちと出会った。どのシャコガイも、全部違っていた。模様や形に、人間の顔形以上に様々なバリエーションがある。
 それにパラオのシャコガイはとてもおいしい。沖縄もの(稚貝の多くがパラオ産)がこりこりもっちりした食感なのと比べ、さくさくあっさりした繊維質の歯ごたえがある。
 かつて日本文化の影響を色濃く受けた名残として、パラオではサシミが普通に食べられている。私たちは、毎日毎日、新鮮なシャコガイをサシミやココナッツ煮、つぼ焼き、クラムチャウダーなどでいただいたが、全然飽きなかった。

 それでは、海洋版ディナー・パーティーの開幕だ。フェミニズム・アートの金字塔的作品、ジュディ・シカゴの『ディナー・パーティ』にぶつける意図をもって、パラオ・シャコガイによるあでやかな海の晩餐会を、スライドショー形式を使って超時空的に構築する。
 写真を見ながら、目と、写真の間の空間に衝撃波を起こすつもりで、かしわ手を打っていくといい。
 目に力を入れたり、まばたきしたりしないように。
 すると、「見ること」が「観ること」へと変わる。あなたの眼前で、鮮やかに、写真空間の知覚変容が起こる。

 パラオで最初に、体と機材ならしの意味でシュノーケリングしたリゾートホテル前のプライベート・ビーチでさえ、たくさんのシャコガイをみつけることができた。上記スライドショー作品の大半は、その、最初のシュノーケリング中に帰神撮影したものだ。
 私が初めて目にするシャコガイ・パターンも、いっぱいあった。かなり大きなもの(沖縄なら超特大とされるサイズ)も、あちこちにごろごろいる。
 パラオこそシャコガイの元郷ではないか、そんな突飛な空想さえ一瞬思い浮かんだほどだ。
 夢中になって帰神撮影していると、突然、「それ」が、重低音的質感を備えて、視界に割り込んできた。
 巨大シャコガイ!!
 妻にもすぐ教えたが、私が指す方を観た瞬間、びっくり仰天して、びりびりびりっと精妙に痺れているのが、・・・こちらにまでハッキリ伝わってきた。
 
 パラオには巨大なオオジャコがいる。
 さしわたし1メートル以上ある。
 いくつも転がっている。
 そういう話は以前から聴いていた。が、まさかこんなところ(ホテル前のビーチ沖)にあっけらかんと「転がって」いるとは思ってなかったから、妻と一緒に大喜びだ。

オオジャコと、ゆったり長々、ヒーリング・タッチ。

 こうした体験は、本当に人の人生を賦活する。びりびりびりっと超精彩なオーガズム(悦楽波紋)が、人生そのものに走った感じ。そして、何だか無性にうれしく、楽しく、ウキウキしてくる。
 これこそ、私が言う「ヒーリング感覚」だ。別名「たまふり」。
 エルニドで触れ合ったオオジャコも大きかったが、パラオのは超弩級ともいうべきものだ。
 そういうのが、かの地には、うわさ通りたくさん「転がって」いた。
 ダイブして至近距離から詳細に観察すると、あたかも異次元の神話的な光景[ランドスケープ]をのぞき込んでいるかのごとくだ。
 2人してヒーリング・タッチしまくり、帰神撮影しまくった。嬉々として。ちなみに、シャコガイは影がさしただけでもさっと引っ込んで貝殻を閉じてしまうほど神経質なのだが、ヒーリング・タッチでそっと柔らかく触れ合うと、リラックして開いたままでいるから面白い。
 それらは、まさに海の女神たちの唇/女陰にほかならなかった。
 女性のシンボル、女神の紋章。

 前述のように、画面と目の間の空間全体に響き渡らせるようにして、その空間内でかしわ手を打つ。この際、手から帰神フォトへと向かう衝撃波と、手から自分の目に向かう衝撃波の、両方を同時に感じるようにする。
 つまり、「かしわ手を打つという行為」を3の原理で認知する。

 シャコガイをモチーフとする女神の文様が、パラオの至聖所・バイの正面に描き刻まれている。
 その内部は、こんな感じだ。許可を得て帰神撮影した。

 このバイでは、かつて部落の重要な話し合いが長老たちによって持たれたり、成人式の秘儀が伝授されたり、シャーマンが霊的祀[まつ]りを執り行なったりしていたという。が、今はもうまったく使われてないそうだ。
 かつてのバイの雰囲気と共振するべく努めつつ、カメラのシャッターを斬った。私は、日本刀で斬る時の武術の動きを、カメラへとそのまま応用している。
 バイの側面に描かれた鶏の絵も、1つ1つ個性的で、とても面白い。あの「コケコッコー」というやつが、力強く満身にビリビリ響いてくるではないか! パラオ人の芸術センスのレベルの高さがよくわかる。

 宿泊したリゾートでは、毎朝夕、放し飼いになっている鶏親子に餌を与えるのが日課だった。最初は警戒して近づこうとしなかったが、たちまちこの通り、ヒーリング・タッチの手から直接ついばむようになった。ところで、その鶏が「ついばむ」速度はかなり速いのだが、親鳥の鋭いくちばしが掌や指に当たっても、まったく痛くない。絶妙なコントロールだ。

 思えば、私たちの南洋群島への、これが記念すべき第一歩だ。
 私はこのたびのパラオ巡礼を通じ、「太平洋戦争」という第二次大戦の別称が意味するところを、肌身で感じることができるようになった。
 海の文明(タロイモ主食文化)のエッセンスとでもいうべきものも、生理的に実感することができた。
 これだけでも大変な成果だ。
 そのせいか、私の身の裡よりあふれ出るヒーリング・アーツ修法が、パラオ巡礼以来、龍宮的とでもいうべき独特の「海の質」を、濃厚に備えるようになってきている。
 海のわざ、龍宮の叡知・・・。面白い。

 実際のところ、正直な気持ちでは、パラオの人たちは「あのこと(委任統治下におけるかつての私たちの関係)」について、今、どんな風に感じているのか、考えているのか。その、私たちがこれまで決して尋ねようとしなかった、知ろうとしなかった真実についても、私なりに納得のいく<応え>を、巡礼を通じ得ることができた。それにより、大いにヒーリングされると同時に、大いに恥じもし、また発奮もした。
 そうしたヒーリング体験については、また回を改めてご報告しよう。いやしの歓びを分かち合うために。

<2011.08.05 大雨時行[たいうときどきおこなう]>

※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回第6回第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4