Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション3 第三十一回 味覚の可能性

◎昨年シンガポールの植物園で、タッカ・シャントリエリ(Tacca chantrieri ブラックバット・フラワー、デビルフラワー)と初めて出合って喜んだのだが、先日近所の(車で約5分)植物公園へ行ったら、大温室の中でそのタッカ・シャントリエリがあっけらかんと花を咲かせていた。

タッカ・シャントリエリ

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ヒスイカズラ

こちらは同じ大温室の中で咲いていたヒスイカズラ。

◎本連載第二十一回にて、流心会のチーム・コミュニケーション・ツールで語り合った内容の一部をご紹介した。匂いを嗅ぐという、ごくありきたりな普通の行為において、まず左右の鼻それぞれで別個に感じ・意識しておき、次にそれらを統合する。つまり、「右の鼻で嗅いでいる」という感覚と「左の鼻で嗅いでいる」という感覚とを、同時に、相照的に(鏡に映しあうように)意識する。それにより、嗅覚の質そのものが深まると共に、二元性を超えた超越的な瞑想意識が現われる、というものだ。
 皆すぐできるようになり、その効果を楽しんでいるようだったが、そこで満足して立ち止まるようでは大成などおぼつかない。そんな時、流心会では、次のような叱責が飛ぶことになる。

【高木一行】

 5つの感覚(五行)の覚醒と統合は、丹田や中心(正中心)の錬磨と密接な関係があるのだから、触覚(ヒーリング・タッチ)、視覚(観の目)、聴覚、嗅覚と進んだなら、何も言われずとも、味覚はどうなっているのか調べてみる。それが普通と思うが・・・。

【東前公幸】

 遅ればせながら実験してみました。まず砂糖を舌の左側に乗せて味わい、次に右側に乗せて味わってみました。他の感覚同様に左右差が大きくあることに驚きました。
 改めて以前のやり方で味わってみると、舌を一塊ひとかたまりのものとして扱っているか、あるいは右で味わったのちに左にとスイングしながら感じていることが理会されてきました。
 左右同時に均等に味わうとどうなるのか行なってみると、意識が内向し顎や首を動かすSTM(自発調律運動)が起こってきました。舌の感覚の左右差をあるがままに感じているだけで口腔や首の違和感を調律する動きが起こり、終わると口腔内に潤いが感じられてきました。
 続いて、味わう際に、静中求動を意図してみますと味が舌に染み込んでくるようであり、あるいは舌から透明の流れが体内に放たれるようでもあり、舌や唇、頬などの口腔内が微振動しているのを感じていると瞑想状態へとシフトしていきました。
 塩や香辛料、苦味のあるものでも試して違いを感じてみました。それぞれ違っていて面白く感じました。

【平川晋一】

 味覚を感じる舌のエリアを左右に分け、ジャムを使用して片方ずつ味を感じたあと、左右の味覚を同時に意識してみました。すぐに感じたのは身体の左右の統合感覚でした。そして全体的に浮ついた状態が落ち着いてきて身体のバランス感覚が向上していました。
 舌の感覚は他の感覚に比べ、より敏感なところであり、身体の中心に直通しているような感じがありました。

【帆足茂久】

 味覚について、まず指のヒーリング・タッチにて舌と触れ合ってみますと、舌そのものが奥に引っ込んでいくのが感じられ、普段の舌が前に出過ぎているように感じられました。そして触れ合っている舌を感じていますと、咽喉、食道のほうへとつながっていることが感じられてきました。
 梅干しを舌の左側、右側へとのせてみますと、左右差があるのですが、左右を均等に意識しますと、口の中、上顎などにまで、ぶわっとレット・オフの感覚が拡がっていくのが感じられました。味覚も粒子的に感じているようでした。
 舌の仮想状態に話を戻すのですが、仮想状態で体を動かしてみますと、動きそのものが重心を持ち上げた感じの動きとなってしまうのですが、舌を調律し、咽喉や食道へとつながっていることを意識した上で動いてみますと、重心が落ちるように感じられ、STMが顕れて滑らかな動きに感じられました。 

【佐々木亮】

 味覚において、味を感じつつ異なる方向性をクロスオーバーしていくことを試みました。
 まず左右で、味の違いを片側ずつ感じていくと、普段感じられないレベルで、味が細やかに感じられ、それをクロスオーバーすることで、味覚がより多層的で空間性を持ったものとして感じられるようになりました。
 また、上下・左右・前後と様々にクロスオーバーしていくことで、味わうことがより複雑でトータルな、全身まるごとで味わう体験となり、立体的に変化し続ける光の曼荼羅を目の当たりにするかのような感覚を覚えました。
 今更ながら、味覚を単純な、一塊のものとして認知していたということにがく然としました。
 こうしたことの放置があらゆる方面に影響を与え、足を引っ張っていると感じられます。
 舌の機能として、甘味や塩味、酸味や苦味などをそれぞれ感じる場所があるとされていますが、あるものを食べた時、その味には様々な要素があり、舌の場所それぞれでの感じ方も違い、さらに時間によっても変化し、また異なるものを口に運ぶことでそれがさらに多層的に折り重なってくる等、味覚の世界がものすごい拡がりを持っていることが、新たなレベルで認識され、味覚に関する事柄に関心を持ち、様々な方面で探求することの大切さを痛感しています。  

【道上健太郎】

 味覚についてのご指摘に、驚くとともにそういえば味覚と静中求動については、試せるということを考えたすらもなかったと気付かされました。
 オレンジジュースを用意して口に含み、味を感じ取ってみると、甘い、という感覚を真っ先に舌先に感じ、飲み込む時に舌の奥を通ると酸味が感じられます。
 口に含んだまま舌全体で同時に感じ取ってみると、溶けるような甘さが舌の先端に、酸っぱさとかすかな苦さといった刺激のある味が奥の方に存在し、それぞれを別々に感じつつも「味」という全体が立ち上がってくるのが感じられます。それはいつもは同時に感じているわけではなく、飲食という行為の中で、食材が口中を移動することで時に甘く時に酸っぱく、あるいは舌の触感や口腔内の位置や大きさを感じる触覚、熱さ冷たさも合わさり、その変化というものがダイナミックに生じていることが感じられました。
 先日から冷水と熱水による実験(編注:『ヒーリング・リフレクション3 第二十四回二十六回』)を行なっていることから、口にオレンジジュースを含んだまま執り行なって、どういう変化が起きるものかを試してみましたが、冷水に手をつけて味を感じようとすると、液体の冷たさ、液体の固さに焦点が合い、舌から(外から)味を感じるという感覚がありました。熱水につけると、液体が柔らかくふわっと溶けて広がるように感覚が変化し、味が舌や口全体に広がって感じられます。そして再び冷水からまた熱水に手を移動し、静中求動で何が起こるのかを感じ取ってみると、「味」が自分の存在感と溶け合う、あるいは「自分」が「味」そのものになるというか、非常に表現しがたい融合・一体化の感覚が生まれるのが感じられました。
 と、同時に、これは龍宮会などで龍宮館にお伺いして食事をいただいていた時に何度も体験したことがあるものだ! という想起と驚きがありました。その時には味・・・体験が自分のキャパシティを超えて圧倒されていて、意識の焦点がそこに合っていないので何が起きているかという事の意識化・言語化もできず、ただ黙々と食べることしかできていなかったのでした。
 昔、とある人から私は食に対してリアクションが薄く、何も感じていないのかと思ってよく観察してみると、美味しいと感じている時ほどより黙々と食べていることがわかった、と指摘されたことがあります。そのことについて、自分がどうであるのかということをずっと把握できずに、自分は味とか料理とか食事というものに対して根本的に素養がなく、可能性がない人間なのではないかとずっと悩んでいたのですが、今になって突然過去の食事の体験が感覚として押し寄せるように想起され、食事の最中に味覚や触覚の巨大な体験が起きていたにも関わらず、それが自分のキャパシティを上回りギャップがありすぎて体験と心身とが繋がっていなかったのかと理会できました。
 ご教示がなければ一生気付かないところでした。ありがとうございました。 

【渡邊義文】

 味覚についてですが、帆足さんのご報告を読ませていただき、私も舌に指でヒーリング・タッチを執り行ないました。舌と直接触れ合っていますと、舌が思ってもみなかったほど、微妙に波打ったり、うねったりしながら指と触れ合っていることが分かりました。時には指に吸い付くような複雑な動きをしながら舌が指と触れ合っているということは、口に入った食べ物や飲み物と複雑な動きをしながら触れ合っているということも分かり、味覚を通して食べ物や飲み物の情報を少しでも多く感じとろうとしているのではないかと思いました。
 飲み物を口にしながら労宮へのヒーリング・タッチを執り行ないますと、凝集からレット・オフへ転じたとき舌が微振動し始めたことを感じました。舌が微振動することを感じたのは初めてでしたが、何かを深く味わうためには味を粒子的に感じ取る必要があるのではないかと思いました。

【道上健太郎】

 他の方が書かれているように、私も指で舌へのヒーリング・タッチを執り行なっていきましたが、渡邉さんが書かれているように舌は固まって静止してはおらず、波打ちうねり、伸縮していることに気付かされました。指から舌に触れ合うだけでなく、舌から指に対しても軽く舐め回すように触れ合ったり、わずかに離してから指に舌を接触させたりしていくと、舌は自分が思い込んでいたように対象に対して直線的に動いていかず、波打つように動いていることも感じ取れていきました。
 そういえば子育てで赤ん坊や幼児がなんでも口に入れてしまうことへの注意がありますが、それは口に入れることでものの形や大きさを感じ取るという学習の一種であるという話を思い出しました。舌というと味覚ばかりを考えてしまいますが、成長初期の触覚体験の中の重要なひとつであることが実感されてきました。
 舌と指をヒーリング・タッチで触れ合わせたまま、静中求動で感じ取っていると、舌が非常に細かい粒子の集まりとなって微振動し始め、喉の奥、首の後ろが開き、頚椎そのものの位置が組み変わるようなSTMの感覚が起こってきます。指に対してもある種の味を感じることができますが、静中求動で待っている時に味と接触感覚を感じているドット的な最小単位の感覚が、レット・オフが起きるとふわっとほどける感覚とともにより小さく細かく変化することも実際に感じ取れました。

【帆足茂久】

 舌に小さな食べ物をのせたままで、労宮を凝集、レット・オフいたしますと、裡でレット・オフの波が咽喉から食道のほうへと伝わっていくのが感じられ、何度かくり返していくうちに、姿勢が整えられていくのが感じられました。静中求動にて執り行ないますと、舌と腰腹とがつながってくるのが感じられてきて、さらに続けておりますと腰腹に充実感が沸き起こってくるように感じられてきました。食べ物を舌にのせずに同様のことを行なってみてもその充実感はやや弱いように感じ、食べ物を舌で感じているかどうかで差があるように感じました。

◎岡山の白桃。見た目は悪いが、味は秀逸である。

白桃

◎知る人ぞ知る幻の葡萄、オリンピア。

オリンピア

 実に裂け目が入ったり脱粒しやすく、しかも収量の少なさで経済性がないため、作りにくい葡萄として生産者はほとんどいないそうだ。なおかつ猛暑の影響もあって房の形も悪い。
 ところが、口に含むや、透明な輝きのような甘美で香り高き味わいに圧倒される。世界の葡萄の中で最も美味、と絶賛されることにも納得だ。

◎川崎市麻生区の王禅寺在住の頃。ある日、シータの姿がどこにもみえない。かなり時間をかけ家中あちこち探し回った揚げ句、何気なくみあげたら、キッチンシンク上の棚に置いたステンレス製ザルの中にシータが窮屈そうに納まり、寝ているではないか。
「笑わせようとしたのかねえ」と家人と笑いあったが、その後、同じようなことは二度と起きなかった。

シータ
シータ
シータ

<2023.010.05 水始涸(みずはじめてかるる)>

※来たる10月6日〜9日、最新修法の検証を目的とする第二回相承会(流心会メンバーのみを対象)を急遽開催することとなった。この間、ヒーリング・ネットワークの活動を休止させていただくのでご了承願いたい。