[ ]内はルビ。
沖縄最高の聖地とされる久高島[くだかじま]へ、巡礼に行ってきた。
1999年、龍宮巡礼と後に呼ばれるようになる海の巡礼シリーズが、ここで幕を開けた。そのはじまりの、記念すべき場所だ。
龍宮道(注1)など、当初まったく予想も予期も期待もしてなかった様々なアート(わざ、叡知)が、ここ最近の一連の龍宮巡礼(注2)を通じ次々と顕現し始めている。その「お礼参り」(これは象徴的な意味)と帰神撮影とを兼ね、独り久高島へと旅立った。
聖地に身を置いて意識と感覚を全開放しながら、自分自身をみつめ直す。
常に意識的に、注意深く、旅していく、そのプロセスの中から、今後いかに生きてゆくか、いかなる活動を展開していくかについてのヒントを汲み取ろうと試みる。
それが私の言う巡礼だ。
初日、那覇に到着後すぐ、翌日に参拝を予定していたセイファー御嶽[うたき]へ向かうことを決意し、空港からタクシーで直行した。
冷たい風が、まるで渦を巻くように吹き荒れている。
数年ぶりに訪れた沖縄の中心地・那覇は、何だかやけに小さく、狭苦しく感じられた。道端に植えられた植物たちも、元気なくうなだれているみたいだ。
梅雨入り直前のさえない天候のせいか、街全体が灰色がかってみえる。道行く人々の表情も心なしか曇りがちだ。
こんな調子で果たして写真など撮れるのか・・・。天候不安定なこの時期に沖縄を訪れたこと自体、そもそも間違いだったのではないか・・・。那覇と同様、久高島も今ではすっかり様変わりしてしまっているのでは・・・。
・・・そうした弱気な思いが、セイファー御嶽へと向かう車中で何度も頭をもたげそうになる。
そのたびごとに自らを叱咤し、姿勢と呼吸を整え直し、下腹に気合(丹田力)を入れ、心を鎮めた。
人間の言葉に敢えて訳すなら「久高へ来[こ]よ」とでもいうべき、静かな、だが確固とした呼びかけのごとき直感に導かれ、私は今、ここにいるのだ。
単なる気のせい、あるいは妄想に過ぎぬと、何度も何度も直感のささやきを振り払い、旅行計画を立てては白紙に戻すことを繰り返し、一度などは妻と2人分の航空券を購入して現地の宿も手配した末、「やっぱり嫌だ」と全部キャンセルするなどのドタバタ騒ぎを演じた揚げ句、「それでも、どうしても行かねばならない。それも独りで行かねばならぬ」とついに覚悟を決めたのが、およそ1週間前。我ながらかなり滑稽だ。
那覇1泊を含む3泊4日の慌ただしいスケジュールであり、帰宅翌日から2日間に渡る龍宮道探求会の予定が入っていた。
が、いったん来たからには、たとえ天気が悪くても徹底的に巡礼を楽しむ。万一、ずっと雨が降って帰神撮影が妨げられたなら、すでに参加を申し込んでいる人たちには申し訳ないが、龍宮道探求会を延期し、好天に恵まれるまで久高島に留まり続ける。なに、「決して降りやまぬ雨はない」と英語でもいい、「雨降って地固まる(もめごとなどの悪状況が過ぎた後は、かえって基礎がしっかりして良い状態になる)」のことわざもあるではないか。
そんな風に決意したら、心も体もすっと楽になった。
那覇空港からタクシーで南下することおよそ1時間。かつて琉球王朝時代に重要な祭儀が執り行なわれ、国王が海を挟んで久高島を遥拝したと伝えられるセイファー御嶽に着いた。
以前訪れた際は、うっそうと生い茂る亜熱帯の森の中、巨大な古代祭祀場跡に満ちる厳粛な雰囲気に打たれたものだが、今や御嶽周辺はきれいに整備され、連日多くの人々で賑わうありきたりの観光地の様相を呈していた。きけば、6年前にユネスコの世界遺産に指定されたのだという。
御嶽入り口をでんと塞ぐ不粋なチケット売り場で入場料を支払い、「順路」の標識にしたがって歩みを進めて行ったが・・・ああ、ここもやはりひどく小さい。そして狭い。
セイファー御嶽のシンボルとして有名な三庫理[サングーイ](大きな三角岩)も、はるかに見上げるような巨大さが強烈な印象として記憶に残っていたのだが、今改めてその前に立つと、拍子抜けするほどちっぽけでみすぼらしいものと感じられる。
まさか私が「大きく」なったわけではあるまい。
この場所にあった何かが、決定的に変質してしまったのだ。不遜な言辞を弄することを、どうかお許し願いたい。が、ここに残っているのは、単なる形骸、抜け殻のみだ。
何か撮るべきもの、面白いもの、こちらの感性にぐっと迫ってくるものを、御嶽内部をあちこちぐるぐる巡りながら懸命に探し回った。
その結果得た作品は、クワズイモの葉と、サングーイ奥の遥拝所から臨む久高島、そしてウタキ前の駐車場にいた猫・・・の3枚のみ(枚ではなく舞と数えるにはちょっとお粗末)。
以下の通りだ(各フォトをクリックすると拡大)。
陰鬱な灰色がかった海に浮かぶ細長く平らな、小さな島——久高島。
沖縄最高の聖地といっても、特に何か変わった遺跡とか光景があるわけじゃない。年間を通じ、昔ながらの様々な儀礼が執り行なわれているらしいが、部外者が参列・見学することはできない。写真撮影などもってのほかだ。
そんなところへノコノコ出かけていって、一体何を撮ろうというのか、何をしようというのか。
常識的に考えれば、出てくるのは「無駄足」という結論のみだ。
が、私を突き動かしてここまで導いてきた直感は、久高島をすぐ目の前にして、今や不動の確信と呼び得るものにまで高まっていた。
必ず面白いことがあるッ!!
あっとびっくり仰天するような帰神フォトがいっぱい撮れるッ!!
人生を変える素晴らしい体験が待っているッ!!
新たな芸術的感性が開かれるッ!!
単なる妄想か、否か。
明朝一番の船で、久高島へ渡ればすぐわかることだ。
久高へ、久高へとはやる心をおさえ、待たせておいたタクシーに乗り込み、再び那覇市街地へ戻った。
予約しておいたホテルに荷を置き、国際通り界隈を目的もなくぶらぶら歩き回ったが、やはり目にするすべてが縮んだミニチュア版のようで、実に奇妙な感じだった。
そうした、次元の断層に落ち込んだかのごとき違和感を覚え続けていても、夕食をとったベトナム料理のレストランでは女主人から「沖縄に住んでいるんですか」と尋ねられ(どこの国に行っても現地在住とみられる)、土産物屋の女店員には「そのズボン素敵ですね。沖縄で買われたんですか」と褒められ(実は北欧製の布でオーダーメイド)、<オキナワ>が両手を広げ、満面の笑みを浮かべて歓迎してくれているのを実感した。
内面的にも外面的にも、私の「旅」の原点は、間違いなく、ここ沖縄にある。
土産物店の軒先からぶら下がる色とりどりのTシャツにプリントされた、ウチナーグチ(沖縄方言)の言葉が唐突に目に飛び込んできて、久高島巡礼を前にピーンと張りつめた気持ちが、ふっとなごむ。
いわく、いちゃりばちょーでー(出会った者は、みな兄弟姉妹)。
いわく、なんくるないさー(どんな困難も、何とかなるものさ)。
・・・まったくその通りよと、思わず笑ってしまった。
沖縄、I love you.
<2013.04.16 虹始見[にじはじめてあらわる]>
注1:龍宮道誕生と成長の軌跡は、ディスコース『ヒーリング随感』シリーズ3〜5にて、実際の動きを写した動画と共に辿ることができる。
注2:龍宮道へと後に結晶化していくことになる2011年度の海の巡礼シリーズについては、以下のリンク先に詳しい報告がある。
ヒーリング・フォトグラフ ギャラリー1 『エルニド巡礼記』1〜7
ヒーリング・フォトグラフ アーティクル 『エルニド巡礼記・余話』
ヒーリング・ディスコース 『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』1〜6
ヒーリング・フォトグラフ ギャラリー1 『パラオ巡礼:2011』1〜4
ヒーリング・ディスコース 『ヒーリング随感3』第3回 「パラオ巡礼・寸景」
※1999年度の久高島巡礼に続く、2000年度の慶良間巡礼についてはこちら。
ヒーリング・ディスコース 『ヒーリング随感5』10〜11