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高木一行
前回お約束した、エルニド・ジャングル編の第1弾だ。
案内人を断り、2人だけで「昼なお暗い」ジャングルへと静かに踏み込んでいった。
普通なら30分で行けるコースに(結果として)3時間以上かけながら、心が赴くままに、観じる(感じる)ままに、「誘われ・求められる(かのように感じられる)」がままに、帰神撮影していった。
「精霊が集まって」いそうなところが目に留まるたび、立ち止まり、レンズを向け、シャッターを斬る。
その際には、姿勢を極[き]め、観の目にしながら、満身でレット・オフ意識へとシフトする。古人のいわゆる、惟神[かむながら]、だ。
・・・そういった、いわばヒーリング・アーツ流の<祈り>に直ちに感応するかのように、戦慄的な美を湛える精霊世界の様々な姿・形が、どしどし、次々と、怒濤奔流のごとく、写し撮られ・顕われ出てきた。
聖地なるジャングルのオーガニック神殿。
さっさと通り過ぎていってしまったのでは、これらの光景は、ほとんど、あるいはまったく、私たちの目に留まることはなかったろう。我々現代人は、全然気づくことなく、「気づかれる」こともなく、どんどん踏み越えて行ってしまう。ひたすら「先」だけを見つめ、先へ先へと急いでいく。
1歩進むたびに、何か新しいものをみつけて狂喜し、驚き、感心し、立ち止まって帰神フォト・・・などとやっていては、確かに行程は遅々として進まない。
が、そうやって自分の調子を「場」に合わせていくと、「そこ」とどんどん波長が合っていく。これは如実に体感できることだ。
環境と息が合ってくると、呼吸の生理レベルも自然に変わる。息の仕方も、自ずから変化する。
まもなく、ヤシの葉の超次元ゲートが開き、これまで見えていた世界と多層的に重なるようにして、時間と空間を超えた世界が、「観えて」きた。
南海の異形の精霊たちが、強烈な生命力を放射しながら、さながらカーニバルの賑やかさをもって、エロスとタナトスの饗宴[オルギア]を繰り広げている。
熱帯ジャングルの種々の様相がはらむ、彫刻的・超立体ステンドグラス的な多層構造の裡で、生と死が、楽しげに明朗に、ダンスを踊っている。
光と闇が、相互補償的に、光と闇の輪廻の無限回廊を、超時空的に象[かたど]って連なる。
ジャングルの天蓋の、あちこちに開いた隙間から、幾条もの光が差し込んできて、葉や枝や蔓や幹などを照らす。
密林には、光が満ちている。
それらの光を、「空間を充たすもの」として認知し直すとどうなるか?
観の目によって写真の裡に空間性が観えるようになったら、次はその空間を満たす「光」を、感じようとしてみるといい。
空間に宿る光がわかれば、それを反転させ「闇を観る」ことが可能となる。これは実に「魔術的」な体験となる。
この、光と闇の観賞法については、また後日、改めて詳しく説こう。
それにしても、あの秩序整然としているように見えた小さなキノコの集合体が、かしわ手一拍でバラバラッとランダムにほどき立て替えられる様はどうだ(作品11)。何度味わっても、新鮮に感・動する。見事というほかない。
キノコの1つ1つにまで意識を行き渡らせて観ながら、撮られているからだ。美佳撮影。
一番最後の1舞(枚)は、『宇宙樹』。今回のエルニド巡礼シリーズ中で、私が最も気に入っている作品の1つ。
<2011.05.27 紅花栄(べにばなさかう)>
末筆ながら、私たちの活動に誠実な共感を寄せてくださっている、三代目春駒こと小林一彦氏に、感謝と敬意を込め、本スライドショーを捧げるものである。
妻も私も、小林さんとはいまだ一面識もないのだが、「ミナミジマ」に関わる遺伝子のレベルで、何か強く響き合うものを感じている。
「神々の庭園」の光景のあれこれを、きっと大いに楽しんでいただけると思う。
17世紀、この場所を訪れたスペインの征服者たちは、エルニドを満たすあまりに神々しい雰囲気に撃たれ、静かに立ち去ったといわれている。
※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011』
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話』
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回、第6回、第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4』