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高木一行
光が満ちる空間が観えるようになってきたら、今度は、その「光」の感覚そのもの、明るさの感覚そのものを、オフにしてみる。
あなたは、真っ昼間に「闇を観る」ことができるだろうか?
私が述べているのは、白の反対としての黒ではなく、光がオフになった闇についてだ。どうか誤解なきよう、願いたい。
まず、画像の中の「明るい」部分だけを、選択的に観ようとしてみる。「光」を観る。
その、明るさへの注意をオフにして待つと(眼球を一切動かさない)、画面の中の暗い部分たちが際立って注意を引き始める。
その暗さに集中し、それをさらにレット・オフして、明るい領域へのシフト・チェンジを引き起こすことも、もちろん可能だ。
その明るさをさらにほどいて、闇の世界を舞い戻らせる。
・・・と、宇宙の深淵が、帰神フォトの向こう側に観えてくる。
真っ暗なカーリーの胎内へと、今にも呑み込まれそうな、吸い込まれそうな、強烈な吸引力を感じるだろう。
それをそのまま感じながら、「不動」でいる。自分からは決して動いていかない。そうすれば、自らの裡なる闇が自然に顕われてくる。
満身のすべてをさらけ出しながら、あらゆるものごとを天地神明に委ね切った徹底的なる献身犠牲の態度にて、光と闇の間を自在にサーフする超次元の波乗り術。
影ができるとは、光の空間がその影の形にすっぽりえぐり取られているということだ。
空間内を満たす光の、質を、観ようとしなさい。感じてみなさい。
興味深いことに、その空間性の質は、1つ1つの写真でまったく違う。
空間を光の堆積として観ることができるようになったなら、それをオフにして待ち・受け容れる。
そうやって顕われ来る闇を、同様にしてほどき反転させる。
そういう稽古を積めば、光と闇の本質を観ることが、あなたにもきっとできるようになる。
そうやって、あなたは光と闇の超越へと着実に近づいていく。
闇をダイレクトに観ようとするのは、不在(存在しないもの)を探し回ることに等しい。光の本質をつかんでそれを反転させるところに、「ちょっとしたコツ」というやつがある。
光と闇の間を、自在に行き来せよ!
マブハイ(乾杯・万歳)!
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時にヒーリング・アーツを修し、瞑想し、帰神撮影、帰神録音などを楽しんでいるうちに、ジャングルの中に開かれた道なき道は次第になだらかとなっていき、やがて目の間に豁然と海が開けた。
南シナ海からの風がヤシの葉と悩ましげに戯れる。
スライドショー最後の2舞は、迎えのボートを待つ間、海辺で帰神撮影したもの。
<2011.05.28 紅花栄>
※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011』
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話』
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回、第6回、第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4』