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高木一行
巡礼最後の日の早朝、太陽の最初の光が、浜辺から海の中へと、柔らかく差し込み始める頃合い。
妻は全裸となってうやうやしく海中へと参入し、パラオの女神へ奉納の舞を捧げた。
その様を、例によって帰神撮影。
複雑優美な女体[にょたい]のフォルムに波紋が踊り、全身に入れ墨をまとった南海の女神のイマジネーションが炸裂する。
美しく、あでやかなり。
南洋の神話を思わせる秘儀的光景の連続に、帰神撮影しつつ、幾度もエクスタシー(歓喜の戦慄)に振るえた。
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美しい自然なものを「恥」や「罪」として重苦しく感じてしまう人は、その重さも苦しさも一切変えようとしないでそのままに、ただ、視点を画面上のどこか好きなところに定めてそこをじっと見つめ、その「見つめる(集中する)」ことだけをレット・オフしてみるといい。
見つめたり、見つめるのをやめたり、を最初は振幅を小さめにして、何度も交互に繰り返す。ただし、その間中ずっと、視点は変えない。つまり、目を動かさない。まばたきも、できるだけしない。
Take it easy. 常にくつろぎ続けなさい。
すると、視線の集中がほどけ広がっていくにつれ、恥や罪の感覚も同時に薄らいで消え始める。それは、実際に体験してみないことには想像もつかないほどの、大いなる開放と安らぎをもたらすものだ。
こういう練修を積むにしたがい、み方によって、受ける印象[インプレッション]がまるで違ってくることが理会できるはずだ。目の使い方と人の価値観との間には、密接な相関関係がある。
偏見(目の偏った使われ方)を正す具体的方法として、私は観の目について説いている。
それは、かつてゴータマ仏陀が八正道の「正見」として説いた人生の調律法とも、期せずして合致している。
<2011.08.24 綿柎開(わたのはなしべひらく)>
※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011』
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話』
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回、第6回、第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4』