スライドショー1-3 <龍田姫> 撮影:高木一行 2010.11.15

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ライナーノーツ

高木一行

龍田姫 撮影:高木一行 2010.11.15

※[ ]内はルビ。

 龍田姫[たつたひめ]。
 秋を彩り、織りなす、染色と織物の女神。
 紅葉[こうよう]は、龍田姫のしわざであるという。

 改めて書くまでもないと思うが、この『龍田姫』のような作品を撮るためには、いろいろ準備が必要だ。
 実際の撮影時間は30分くらい。しかし、女神を空間に招き降ろす予備プロセスとして、モデルも撮影者も、あらかじめ数時間以上かけ、徹底的に心身を禊祓[みそぎはら]っていく。
 全身にペイントするのも、一手一手に霊力を込めるからなかなか大変だった。美佳もよくやる。

 こんな風にして、儀礼のごとく、粛々として、祈りに満ちて、瞑想的意識を宿し、写真撮影へと臨んでいく。そういうやり方を、私たちは帰神[きしん]撮影と呼んでいる。帰神とは、古神道で執り行なわれていた降神術をいう。カミを祈り・招くわざ。
 帰神撮影によって生み出される作品が、帰神フォトグラフだ。この場合の帰神は、ヒーリングと同じ意味とみなしていただいて構わない。
  
 このたびの帰神ヒーリング撮影では、興味深い出来事も起こった。
 撮影作業をすべて終え、パソコンにデータを取り込み、御神気(マナ)のこもった作品を観の目で選び出そうとしたところ、・・・・・・アアッ、どうしたッ!?・・・・・・最初の写真も、次も、そのまた次も、・・・笠の真正面に小さな四角いものがくっついて、何もかも台無しにしている。
 何と、値札がついたままだったのだ。
 そのことに最後まで気づかず撮影してしまったから、もうダメかと思いきや・・・・、何と諸君、奇跡は確かに起こったぞ。

 帰神フォトを観ながら、笠に紅葉が1枚載っているのに気づかれたことと思う。実は、あれで、ちょうどうまい具合に値札が隠されているのだ。
 帰神撮影に入ってすぐ、モデル(=巫女)が両手で紅葉の葉を頭上まですくいあげ、ハラハラと落とす動作が、自然発生的に顕[あら]われてきた。その際、1枚が笠の上に残った。
 それはそれで面白いと思い、そのままにしておいた。まさか、それが、値札を隠すために置かれているなどとは、想像さえしなかった。葉の位置がごくわずかでもズレていたなら、これらの作品群は生まれなかったかもしれない。
 妻は、もちろん値札のことなどまったく知らないし、そもそも自覚的に(自分でやろうと思って)紅葉の葉を落としたわけでもないという。
 これが、いわゆるSTM(自発調律運動)だ(注1)。STMを深めれば、自分の周囲の状況や、人生そのものの動き(流れ、勢い)にまで調律作用が及んでくる。そうした状態を、古人は「惟神[かんながら]の道」と呼んだ。楽々と流れていくように生きる「あり方」。

 龍田姫とは、さぞ神威の高い女神に相違ない。織物(ウェブ)と関わりの深い女神でもあらせられるので、ウェブ上でこうしてヒーリングの切磋琢磨を楽しんでいる我々にとり、重要な神明の一柱といえよう。
「ネットワーク」もまた、ある意味では織物だ。

 注1:STMについては、『ヒーリング・アーツの世界』(第8回)参照。


<本スライドショーの感想(プライベートBBSの過去記録より)>

◎龍田姫のヒーリング・フォトを観の目で何度も拝見いたしました。左右の目をまず片方ずつ、その後同時にクロスオーバーすると、まるで画面から飛び出すような立体感と躍動感が感じられました。注2)
 秋を象徴的に、ある種、抽象画のようにも感じられるほどに全体的に、どこがどのようにという細かい小さいものでない、しかしはっきりと確かな秋を感じる作品でした。しばらく観の目を続けていると、目の周辺がほぐれ、いやされていました。どうもありがとうございました。<T.K 男性・東京都>

 注2:観の目の稽古法については、アーティクル観の目』『続・観の目』参照。

◎何度も観の目で拝見していますと、全体的にとらえることができるように感じられ、それまでは明るいところに引きつけられていたのですが、それは作品の部分を偏って見ていたに過ぎないように感じられました。暗闇の背景に浮かび上がるかのように現れるお姿は、レット・オフとともに曲線から生まれる美しさを伴いつつより立体的に感じられ、素晴らしい芸術に感じられました。どうもありがとうございました。<S.H 男性・大分県>

◎龍田姫のお写真を、私も何度も拝見させていただきました。
 ヒーリング・タッチを片目ずつ行ない、左右をクロスオーバーする練修を行なっていると、色の鮮やかさや濃淡、また立体感もますます感じられてきて、女神の神々しさが引き立っていきました。燃え上がるような力強さがありながらも幽玄さや儚さがお写真からにじみ出ていて、短い期間に木々の葉が燃え立つように変色し、やがて散っていく秋の自然の本質が女神の御姿に顕れていらっしゃるように思いました。
 また、熱鍼器(注3)を左右のまぶたや目の周辺に30秒ずつ行なってからヒーリング・フォトを拝見すると、粒子が非常に細やかになり、質感まで伝わってくるように感じて、女神の美しさに息を呑み、感動で胸が振るえました。両目でたった1分の施術でこれほどの変化を感じられるとは、想像以上で驚きました。これからもスライドショー・ヒーリング・セッションを随時行なっていきたいと思います。
 ありがとうございました。<N.S 女性・神奈川県>

 注3:熱鍼器、熱鍼法については、『質疑応答』(第4回)、『ヒーリング随感』(第7回)、『ヒーリング・エッセイ』(第23回)を参照。

◎龍田姫の帰神ヒーリング・フォトを拝見させていただきました。最初、一目みて思わず「うわー、美しい・・」という言葉が自然と口から溢れこぼれてきました。観の目で何度も拝見させていただき、ヒーリング・タッチで片目ずつ、そして左右をクロスオーバーすると、お姿が驚くほど立体的に浮かびあがり、曲線の美しさや紅葉の彩りが鮮やかにこちら側に迫ってきて、浮かびあがっては消えていく粒子的な移り変わりもとても神秘的で、秋を感じる美しい作品と感じました。ありがとうございました。<R.I 女性・大阪府>

◎龍田姫帰神ヒーリング・フォトを拝見させていただきました。
 はじめは視点をいろいろと変えながら観ていました。
 片目ずつヒーリング・タッチを行ってから、視点を真ん中あたりに定めて両方でクロスオーバーしました。
 一点で狭かった視点が粒子的にひろがり、とても柔らかで美しく、なんだか秋の切なくもありながら楽しげな気持ちを感じました。
 私が龍田姫を観ているはずなのに、気づくとどこからか龍田姫に観られている感覚を感じ始めました。
 素晴らしい作品を拝見させていただき、誠にありがとうございました。<H.M 男性・東京都>

◎初めは、片目ずつヒーリング・タッチで触れ合いながら鑑賞し、次に、両目でクロスオーバーしながら、観ていきました。すると、どんどん観え方が変わっていき、立体的に浮かび上がり、圧倒的な存在感を放ち始めました。
 秋という季節の持つ、豊穣さ、もの悲しさ、美しさ・・・。それらが渾然一体となって写真の中で躍り、息づいておりました。お写真を通じて、秋そのものと触れ合ったような不思議な感覚が残りました。
 今後も、様々な方法で観の目を磨いていきたいと思います。ありがとうございました。<S.M 男性・宮崎県>

◎龍田姫の帰神ヒーリング・フォトを拝見させていただきました。
 まずはかしわ手を打ち、両目にヒーリング・タッチで触れ合い、凝集→レット・オフを行なってから観、スライドショーを何巡かしたら、今度は片目ずつ目尻と目頭と触れ合い、あるいは両目をクロスオーバーさせつつ観照いたしました。何度行なっても、その度に帰神されたお姿のみえ方が変化し、艶やかさ、流れ、清冽さの印象が変わっていきました。立体感が増していき、粒子が密になっていくのを感じました。
 しばらく観照した後、熱鍼器で片方10秒ずつまぶた、目尻目頭、目の周辺を刺激し、再び観照に戻りました。すると全身のたまふりがより細かく、眼球から全身に滞ることなく流れる粒子の感覚が強まりました。笠に連なる薄布の白さがハッとするほど目に鮮やかに映るようになり、より繊細さが増し、紅葉の葉の間を光が射し込んでくるようなきらめきがあり、あるいは照らされている光の色彩の変化により秋の実りの豊穣さの感覚が増すのが感じられました。
 観ているうちに自然に自らの真音(注4)のハミングを発し始め、そこにメドゥーサ修法(注5)をクロスオーバーさせると、凝集からレット・オフに移ってオフの感覚が広がると、画面や空間の粒子がお姿とより細かく繊細にとけ合う、幽玄な感覚が生じました。
 拝見させていただき、ありがとうございました。<K.M 男性・山口県>

 注4:真音は、各自に固有の基本トーン。ディスコース『ヒーリング・アーツの世界』(第8回)参照。
 注5:メドゥーサ修法は、観の目を会得するための修法群。詳しくは、『ボルネオ巡礼:2009』や単行本『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』(ビオマガジン刊)参照。

<2011.03.12>